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[第7号より](1986)
1983年夏合宿レポート
大塚 進 |
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「何かすごい大縦走をやりたい!」部員の強い衝動が、12泊13日、甲斐駒から光岳への南アルプス全山縦走という、未曾有の痛快な合宿となって結実する。 |
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[第7号より](1986)
1979年春合宿レポート
高坂元顕 |
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誰も行ったことのない山。 道のない山。懐の深い山。 「山びと」の領域、南ア深南部に君臨する秘峰黒法師岳への合宿を報告する。 |
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[第6号より](1976)
「西丹沢今昔」
小田 薫 |
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わらぶきのあばら屋で、ヤギを飼う主人とカエルを焼いて食べる。今からは想像もつかない、戦後すぐのワイルドな西丹沢を伝える貴重な思い出話。 |
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[第7号より](1986)
「山と私」
橋本龍太郎 |
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元内閣総理大臣による日本脱走の記録。選挙活動とは関係ございません。 |
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[第6号より](1976)
1958年春合宿レポート
小林隆志 |
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南ア・農鳥岳東面、長大な大唐松尾根から白峰北岳へ。一年間すべての合宿を南アルプスで行った年度は、とびきりのパイオニアワークで集大成を迎えた。 |
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[第7号より](1986)
1982年夏合宿レポート
小沢 徹 |
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徹底した軽量化を武器に、梅雨の明けきらぬ北ア・薬師から笠への縦走に向かった一行は、予期せぬ敵、空腹と戦いながらひたすらに歩き続ける。 |
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[第6号より](1976)
「冬晴れのヒマラヤ」
山田 新 |
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ポカラ、ツクチェ、そしてエベレスト街道。 二カ月にわたるネパール山間部歩きづめの旅と、人々との心温まる交流の数々。['01/02 写真全面入れ替え] |
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[第7号より](1986)
「山荘建設の裏話」
近藤隆治 |
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AAC 八ヶ岳山荘はどのようにして建ったのか。 屋根の形はどうして決まったか。 何故テレビはないのか。 等々、数々の疑問に答える抱腹絶倒のエピソードを満載。 |
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[第8号より](1996)
1990年冬合宿レポート
永井 秀 |
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ビバークの連続という苦い経験を余儀なくされた前年度春合宿の反省から、無理のない計画を第一義として立案された鳳凰三山。 果たして合宿は成功するか? |
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[第6号より](1976)
1969年夏合宿レポート
前田辰雄 |
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アポロ宇宙船が人類初めて月面に到着したその日、AAC の一行は旧・濁小屋から烏帽子岳への急登に備えていた。 北アルプス裏銀座から笠ケ岳までの縦走合宿。 |
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[第8号より](1996)
1988年夏合宿レポート
飯村文彦 |
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水をたくさん飲もう!部員は水場の多い南アルプス南部に合宿の場を求めた。 しかし皮肉にも、水は空から止むことなく供給されるのであった。 |
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[第7号より](1986)
1983年冬合宿レポート
石井秀行 |
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充実した学年の最終目標とされた厳冬の中央アルプス・木曽駒ケ岳。 急登のラッセルを終えた一行に、稜線の烈風は容赦なく吹きつける。 |
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[第6号より](1976)
古い記憶の断片
中畑善雄 |
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いきごんで中央アルプス全山縦走に出発した一行を迎えたのは未曾有の集中豪雨だった。当時の顧問部長が語る 1958年夏のできごと。 |
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[第8号より](1996)
わが友飯島文男君
中村太郎 |
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山で吊橋をゆすられたり、荷物の重さをごまかされたり。四十余年におよぶ友誼を豊富なエピソードとともにふり返る。山岳部設立時の同志の死を悼む一文。 |
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[第8号より](1996)
1986年冬合宿レポート
岡本 光 |
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基本的な技量の低下から餓鬼岳での合宿の断念を余儀なくされたパーティは、やむなく燕岳に目的を変更した。AAC13年ぶりの北アルプス冬合宿を報告する。 |
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[第6号より](1976)
1960年夏合宿レポート
鮫島員允 |
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椹島を出発した一行を、赤石岳の急登、不測の下痢、そして激しい夕立が待ち受ける。いきなりの一撃にフラフラになるパーティ。目指す北岳はまだ遠い。 |
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[第8号より](1996)
岩燕 VIII 発刊によせて
増子寛 |
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サービスが行き届く一方、管理のすすむ現在の山登り。管理されたなかで楽しみを見出すことへの違和感、問題の根深さ、そして今後への展望を語る。 |
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[第8号より](1996)
1987年夏合宿レポート
南谷達郎 |
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南北アルプスはもうあらかた登ってしまった。手垢のついていない新天地を求め、AAC 初の北海道合宿は、十勝岳から大雪山へという縦走形式で行われた。 |
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[第9号より](2006)
山岳部創立の頃
小田薫
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戦後の混乱のなか、旧制中学・麻布中学校山岳部として立ち上がった麻布山岳部。創立メンバーが、当時の複雑な事情を解き明かす。付)歴代顧問一覧 |
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まだまだ続きます。お楽しみに。
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喜ぶキジ |
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