tome VII - 合宿報告4


 

中央アルプス木曽駒ケ岳

-昭和58年度冬季合宿-
石井秀行



page 1/3 [合宿概要]

計画と準備

この合宿で高二は引退であったので、テント生活を含めた雪山技術をいろいろと教育できて、しかもレベルの高い合宿を目指した。具体的には、ワカンでの少々辛いラッセルとアイゼンでの稜線歩きを行うということを第一に挙げた。更には、気象条件の厳しい所というのも山域決定のための条件であった。これらの条件を満たし、理想としては、キスリングを背負ってほんの少しでも稜線を歩くことであったので、山頂辺くまでロープウェイが通年運行されていてエスケープが容易な木曽駒に決定した。

最初の計画としては、伊那から西駒山荘まで入り、天候を見て頂上を越え、上松に下るということにした。縦走ではないものの、3000b近い頂を越えるため、コースの状態が気になった。そこで、10月に場所を決定してから最初の連休であった11月12・13日に、石井と大塚と山内先輩とで偵察に行った。特に「馬の背」の状態の偵察が主であった。




11日の夜行で発ち、12日は伊那から内ノ萱までバスで行き、桂小場まで林道を歩き、登山道を登り始める頃から雹が降り、また樹林帯の中では所々に赤布をつけながら歩いたりで、思うようにピッチが上がらず大樽小屋に駆け込んだ。小屋のすぐ横にわずかな平地があるだけで天幕場としては非常に苦しかった。しかし大樽小屋周辺以外に平地らしき所はないので、しかたなくそこを合宿1日目の天幕場と決定した。偵察隊はさらに胸突ノ頭まで行き幕営した。13日は予定を変更して馬の背を通って木曽駒をアタックして伊那に下山することにしたが、風が非常に強かったため、馬の背の通過は非常に困難であった。吹き溜りでは相当積っていたが、馬の背では岩肌が現れていて歩きにくかった。何ケ所か危ない所もあったので、馬の背をキスリングを背負って通過するのは危険と判断した。またこの偵察で、西駒山荘は冬期には開放してあるということもわかった。

そこで最終的に、西駒山荘の近くにACを設けて、天候を見て木曽駒をアタックするということにした。アタックのために2日用意し、この合宿では中三の雪山での生活日数を増やすことも目的であったため、1日目にアタックが成功しても、2日目は下山せずに山に残り、次の日下山するという計画にした。

目的

  1. 中三の雪山技術を向上させる。
  2. 中三の雪山での生活日数を増やす。
  3. 木曽駒ケ岳に登頂する。
  4. 中三をあらゆる面において、リーダーシップのとれる学年にする。

期日

  • 昭和58年(1983)年12月22日―27日

隊員

  • CL石井秀行(高二) 食料
  • SL大塚進(高二) 会計・装備
  • 金沢大介(中三) 気象・装備
  • 小田健一(中三) 装備・コース
  • 小沢雅男(中三) 食料
  • 岩崎裕介(中三) 医療・記録・食料
  • 山内健司(OB)
  • 増子寛(部長)
  • 野本勇(部長)
  • 在京連絡所今西規(高三)

準備期間

12月12日―21日

高二はこの合宿で引退であったので、主要な係はすべて中三に任せて高二がサポートするようにした。中三は各係の仕事を順調に進め、下界での仕事もだいたい身についたようであった。

各係の仕事に並行して、トレーニングとアイゼン及びワカンを着ける練習を重ねた。また、準備期間中一回ではあったが、午後に高坂先輩に学校に来て頂いて、馬の背の危険箇所の通過のために極初歩のザイルワークを習った。すべての係の仕事は終わり、実行に移すのみとなった。



行動表・概念図





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page 2. 行動記録
page 3. 反省・装備・食料


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