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tome VII - 合宿報告3
中央アルプス木曽駒ケ岳昭和58年度冬季合宿
page 3/3 [食料・装備・反省] |
反省a、ミーティング内容23日
24日
25日
26日
b、装備係(小田)
C、食料係(小沢)
d、医療係(岩崎)
e、気象係(金沢)
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f、総評高二はこの合宿を最後に引退であったので、高二が身につけた事はすべて中三に引き継がせるという意気込みで合宿に臨んだ。具体的には「目的」の項で書いた通りである。そこで、「目的」の項に書いた事についてそれぞれに見ていく。 まず第一には雪山技術である。この合宿における目的の中心とも言えるワカンでのラッセルとアイゼンでの稜線歩きは十分に満足のできる物が行えた。特に稜線歩きの方は、強風の中での歩行も行い、快晴の日に登頂し、西駒山荘から山頂までは短いがバラエティーに富んだコース状態だったので非常によい経験になったと思う。また、雪山技術で重要な天幕移動は一回しかなく、これは少なかったように思う。朝の天幕撤収は二回あったが、いずれも出発するまで3時間30分もかかっている。せめて3時間以内にしたがった。主な原因としては、天幕から出るのが遅いのと。パッキングが遅いのとであると思う。これはアタックの日の朝についても言える事で、いつまでも天幕の中に居る者が多かった。天幕での生活技術については確かに向上し、狭い天幕内での個人装備整理などはうまく行えていたようだが、公の物の整理の甘さが目についた。特に鍋の蓋を天幕場でなくしてしまったのは大きい。合宿を中止せざるを得ない物であったら大変である。もっと徹底した天幕前室の整理が望まれる。生活面においては、それまで平気で身に着ける物を濡らしていた中三が、寒さのお蔭か気を遣うようになった。これは非常に大きな進歩である。 第二に雪山生活日数である。5日間と少し短いが、その分気象条件が非常に厳しかったので十分と言える。気温については行動記録に書いた通りである。また特に25日の場合は風があったため、厳冬期に風が出るとどの位の状態になるかという事がわかり、よい経験であったと思う。 第三の木曽駒ケ岳登頂は文句なしに成功である。 第四の中三をリーダーシップのとれる部員にするというのは、この合宿のというより高二の最終目的であった。中三は体力も十分につき、下界でも天幕内でも仕事を何とかこなすようになった。しかし下界ではまだよいが、山に行くと仕事に自主性がなかった。言われれば仕事をこなすが、言われないとその仕事に気付かないか気付くのが遅いかであった。そこで振り返って見ると、何でもすぐに指示を出してしまっている自分に気付いた。もっと各人に考えさえて仕事をさせるべきであった。 こうして高二にとって最後の合宿は終った。 この合宿は中三にリーダー学年を任せるためのステップとしての合宿であったので、主要な仕事は中三を中心に進めたため、それまでは仕事を言われてからやっていた中三が仕事を見つけて素早くやろうとする努力を見せ始めた。また厳冬期の木曽駒登頂は中三にとって非常に大きい自信となり、この合宿が飛躍のための第一歩であったと信じる。 このように、短い山行ではあったがあらゆる面で密度の濃い、意味深い合宿であった。 そして、合宿としては成功したが、一抹の不安を残しながらも中三にリーダー学年を任せて高二は引退したのであった。しかし、中三はこの後に予想以上の成長を遂げているので、誠に喜ばしい眼リである。 |
装備表(a)天幕類
(b)炊事類
(C)登攀用具
(d)小物類
(e)その他
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食料表
<嗜好品・調味料>
く備考>
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