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tome VII - 合宿報告4
中央アルプス木曽駒ケ岳昭和58年度冬季合宿
page 2/3 [行動記録] 行動記録12月22日23時20分新宿発の夜行列車で出発。高二は現役として最後の合宿に意欲を燃やし、中三は厳冬期の雪山に少々の不安を抱き、それぞれの眠りについたのであった。 12月23日(曇)岡谷?塩尻間のトンネルの開通によって寂れてしまった辰野で飯田線に乗り換え、伊那市に着く。途中の水場は期待できなかったので駅で水ポリタンクを満タンにする。タクシー3台に分乗し桂小場へ向けて出発したが、前日の雪のため最初の車は桂小腸の少し手前、次の車は内ノ萱を少し越えた所、最後の車は内ノ萱の手前でそれぞれ登れなくなってしまう。しかたなく後の2台に乗っていた人は最初の1台が止った所まで歩くことにする。最後の車に乗っていた者は30分以上も歩いたそうである。
ここまでの積雪はだいたい足首までで深い所でも膝下までであったのに、急に腿までになったためトップはザックを置いて200歩ラッセルをし、ザックを取りに戻り後ろにつくというようにする。距離的には非常に短かかったので、すぐに大樽小屋に着くと思ったがそんなに甘くはなかった。1時間多いたが大樽小屋に着かないため一本とる。そこから35分歩き、疲れきって大樽小屋に2時35分に着く。すぐ天幕設営をするがなかなか捗らない。予定通り小屋のすぐ横の小さな平地に冬用天幕を張り、斜面を何とか整地してエスパースを張る。この間に、先生とOBは胸突八丁の偵察に行って下さった。 天幕設営の後、個人装備整理をしながら小屋の中で紅茶を沸かし、整理を終えてから飲む。紅茶は温かくて、予想以上のラッセルで疲れきった我々には、この上なくおいしく感じられる。ラッセルにより思わぬ時間を食い、先生とOBの話によるとこの先も同じような状態ということなので、同じ失敗をしないように翌日の対策を検討する。結局、荷物を背負ってのラッセルは困難なため、隊を二つに分け、一方は空身で30分ラッセルをしてザックを取りに戻り、その間に他方はザックを背負ってラッセルの終わっている所まで行き、今度はザックを置いてラッセルをするということに決定する。 夕食後はミーティングをしてすぐ寝たが、何しろ狭い所に張ったので片方が下っていて非常に不快であった。それでも天幕の方はまだ良かったようでエスパースは誠に悲惨だったそうである |
12月24日(快晴)4時に起床し、朝食をとり、天幕撤収に取り掛かる。9名を、石井・金沢・小田・増子先生の隊と、大塚・小沢・岩崎・山内先輩・野本先生の隊とに分けた。 例により岩崎のパッキングが遅いため、石井隊が先発隊となりワカンを着けて出発する。10分位で前日に先生とOBがつけて下さったトレースがなくなり、そこにザックを置いていよいよ恐怖のラッセルが始まる。30分ラッセルをしてからすぐに引き返す。途中で後発隊に会い、ザックの置いてある所まで戻りそこで一本とったが、今往復した所を今度はザックを背負ってまた登り返すのかと思うと気が滅入る。しかし気を取り直して出発。トレースが完全についているためか、意外に早くラッセルをした所に着く。後発隊のザックの横を通り、先へと進む。やがて、ラッセルを終えて引き返して来る後発隊に会い、しばらく行くとトレースがなくなった。ザックを置いて一本とる。ラッセルを二回した後に昼食を食べた。 これを繰り返しているうちに先発隊と後発隊との差が広がり、先発隊がラッセルを三回した後にザックを背負って登って行くと、胸突ノ頭の少し手前で、一本とっている後発隊に追いついた。そこでテルモスの紅茶を飲んだ。温かくて非常においしい。後発隊が残りの胸突ノ頭までのラッセルをし、そこを先発隊が登ったが胸突ノ頭から稜線までに吹き溜りがあり苦労する。
50分歩いて12時30分に西駒山荘に着く。小屋は半分位雪に埋っていて、入口の戸は開かなかった。しかし窓が開いたため、背負子とさしあたり必要ない食料を入れさせてもらった。なるべく強い風が当らないように小屋の風下に天幕場を決め、三泊する所なので念入りに整地をする。玄関も掘り、快適な天幕の設営を追求した。その努力の甲斐あって天幕生活は快適なものとなったが、気温は相変わらず低く、水ポリタンクを天幕の端に無造作に置いておくと、アッという間に凍ってしまう程である。次の日は木曽駒アタックなので期待と不安を抱きながら早々に寝る。 |
12月25日(曇)
強風のため体感温度は非常に低く、視界も狭いため思うように歩けない。また、金沢の調子が悪いようで。ペースは非常に遅い。1時間以上歩いて石の陰で一本とる。相変わらず風は強いが、馬の背まではまだ少しありそうであったのでさらに進むことにする。50分位で岩肌が見え始め、同時に小田のアイゼンが外れたので引き返すことにして、少し戻って風の比較的当らない所で一本とる。ここで昼食をとったが、チョコレートはカチカチに固くなっていたし、口も寒さのためにうまく動かないので食べづらい。
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12月26日(快晴)
昨日とはうって変わっての快晴である。快くピッチが上がる。40分位歩いて、昨日昼めしを食べた所で一本とる。そこからは急な登りの馬の背で少々危なそうであったので、中三の間に高二とOBが一人ずつ入って慎重に登る。50分でこの少々危険な急登を登りきると、前方に目指す木曽駒山頂が初めて姿を現した。その横には険しい宝剣岳がそびえ立っていて、何ともすばらしい展望である。偵察の時にはこのような展望はまったく見えなかったので、宝剣岳のすばらしい形に感嘆してしまった。その木曽駒と宝剣をバックに、何枚か記念写真をとってから出発する。
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12月27日(快晴)
そして最後の下りを歩き始める。何と言っても雪道の下り程爽快なものはない。しかし、中三に転倒して雪に埋もれる者が続出し、スピードに乗らない。また、勢いがよすぎて片足が雪に埋まってしまうと、すかさずすぐ後ろの人が周りの雪を踏み固めてしまい、足が容易には抜け出せないようにしてしまうという変な事が後ろの方で流行ってしまう。また、駆け下って行って何かにつまづき、そのまま前に倒れる人を後ろから見ていると、腹の肉がちぎれるほど面白い。大樽小屋で一本とって昼食にする。歩き始めて1時間10分で桂小屋を通過し、更に所々凍っている林道を30分歩いて12時に内ノ萱に着く。無事登頂もでき、満足感に浸りながら体操をしてから解散し、高二にとって現役最後の合宿は幕を閉じた。 |
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text by h.ishii, pictures by h.mashiko
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