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tome VI - 合宿報告 3
南アルプス縦走(赤石〜北岳)昭和35(1960)年度夏季合宿
page 1 [合宿概要・計画・行動日記 1/2]
期日
隊員
計画高二のメンバーに比べ高一が圧倒的に多い事から、今年は体力、技術を徹底的に向上し、明年の大きな目的を達成させる事に主眼を置き、夏合宿は体力養成の点から、南アルプス縦走に決定した。 コースは、特に南アルプスらしい所という事で、赤石岳より北岳までとした。 試験中及びその前約二通間を除き合宿にそなえて準備、トレーニング、研究会に励んだ。特に高一のメンバーには、これほどの規模の山行に未経験の者も多く、装備等に慣れるため、準備の中には個人山行も多く取り入れ、幾分かでもこれをカバーすべく務めた。 試験後から合宿までの二週間は、学生のほとんどいない学校へ毎日かよい、トレーニング、装備の点検、コースの検討(特に水場の位置に注意して)、食料の研究(軽量、高カロリーを重視)及び調達、等々、トレーニングにヘトヘトになった体にムチ打って、頑張った。この間、指導員であるOB三島氏を初めとし、OB諸氏の慰問を頂いたことは、現役にとって多いなる励ましとなった。 |
行動日記
合宿が東京駅発という事もめずらしいが、事前に手紙で連絡が行き届いたせいか、山岳部発足以来(?)と言っても過言てないほど多勢のOB諸氏の見送りを受けて、東海道線大阪行き鈍行の夜行列車はすべりだした。 これから先の強行軍の事を思いながらも、ともかく全員元気に出発した。 |
金谷から千頭鉄道で千頭まで、更に軌道で井川まで、大井川に添っで登る途中は実に美しいながめが展開する。井川から先はバスで幾つかのダム建設サイトを、畑薙第一堰堤まで行く。着くころには昼を廻ってしまった。 昼食をとっていよいよ出発。堰堤のワキを通って川添いの石コロの多い平坦な道を歩き初めたが、照りつける暑さと、肩に食い込む荷物の重さで、思うようにピッチが上がらない。小きざみに小休止を取りなんとかペースをつかもうと努力したが、昨夜の夜行での寝不足もたたり、本日の予定である堪島までの行軍は断念し、赤崩で本日のキャンプを張ることにした。大井川源流の非常に景色の良い河原であった。 夕刻、羽ありの大群に見舞われながらも、ローソクの光を頼りに夕食をとり、第一夜を終えた |
それにつけてもアプローチに2日間もかかるとは、南アの山の深さを再認識させちれた。夕食後、テントに戻ろうとした所で、一気に夕立にみまわれた。明日からの天気が気にかかる。 |
朝食後撤収。幕営地のすぐ近くの取付点から登りにかかった。下から眺めた以上の急坂である。心臓破りの急坂を手を使いながら登る事も幾度か。高度をかせぐには最適であるが、バテる者続出。昨夜来から、迷コックのせいでか腹をこわす者が多く出、その上にこの登りである。皆相当まいるだろうとの予想がまさに的中。昼頃には一年生の半数以上がフラフラになってしまった。背後からOBの罵声が飛ぶが、それもはるかかなたに聞えるほどである。 道は針葉樹林の大木をぬってはるか上まで続いている。木々の間から眺めた空からはいまにも夕立が降り出しそうに見え、前途多難と思いやられたが、OBの励ましに皆よくがんばり、ヘトヘトになって小屋にたどり着いた、と同時に、ものすごい夕立が降り出した。間一髪で濡れずにすんだ。ラッキーであった。 バテた体と悪天候。更に水場が小屋からはるか下にある(往復20分)ため、夕食を作るのに手間どって、シュラーフにもぐりこんだのは11時頃になってしまった。 |
小屋の前で恒例の麻布体操を行ない出発。かなり遅れてしまった。1ピッチ登るごとに木の高さが低くなり、その内に森林限界を過ぎ這松地帯に入った。強い日ざしをまともに受け非常に暑い。肩に食い込むキスリングの重さがこたえる。 昼食は頂上直下にある岩場でとった。ここは不思議に、岩の間から水が湧いている所で、回りは美しいお花畑になっている。中村OBより花の名前を教わった。アオノツガサクラソウ、シナノキンバイ、チングルマ、タガネウスユキソウ等々であった。 |
気温が下がり、ウスラ寒くなった頂上を早々に引き上げ、デポ地点まで引き帰し、荷物を取ってから本日の幕営地、荒川小屋までは下り坂一方である。 今にも降り出しそうな空を見ながら、夕立と競走で下った。大聖寺平を過ぎて、いよいよあやしいかと思う間もなく、とうとう夕立につかまってしまった。荒川小屋に着いた時は全員ズブ濡れになっていた。 この荒川小屋の幕営地は、、ダケカンバの散立する草原の斜面にあって、所々大きな岩が顔を出しており、眺めは良いがなかなか適当な幕場をさがしにくいのである。ただ水場はすぐ近くに沢があり、水にはことかかない点では良いキャンプサイトと云える。 夜、リーダー、OBのミーティングにより、赤石の登りで体をそこねてしまった、神薗、青野、高橋の3人を、明日大聖寺平経由大河原へおろす事とした。 ここで3人のメンバーが減るため、以降の食料計画、装備の調整を行ない、降ろす荷物、小屋に提供する荷物を分け、荷物の分担を行なった後就寝した。 山を下りる者、残る者、各々感慨をこめながら枕を並べて斜めの天幕の中でねむりについた。[次頁に続く] |
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