tome IX


 

山岳部創立の頃


小田薫
(1949卒)



1946年(昭和21年)6月に麻布中学校山岳部を創立し、学校当局から承認され(麻布学園の100年第3巻年表に記載されている)中村太郎が初代の部長に就任した。学校側の山岳部長先生(今は顧問と称している)は菊池市郎(体)先生であった。旧制中学校の時代である。その後学制改革で新制高校ができて麻布学園となり、中学校3年、高等学校3年の中高一貫校となる。小倉茂暉と小田薫は旧制麻布中学校5年生で卒業して新制高校には行かなかった。中学校では最後となる第53回卒業生として昭和23年3月に卒業した。中村太郎、真野素一、成瀬杉雄等は昭和24年に高等学校第1回生として卒業している。飯島文男は準卒として昭和22年3月に卒業した(準卒とは4年生修了で卒業出来る制度があった)。当時は旧制中学と新制中学、高等学校が麻布の中に混在していて、入学年度が同じでも卒業年度が異なるケースも珍しくなかった。創立当時の部員は10名以上いたが、卒業後OB会に所属し、後輩達と一緒に山へ行った者は少く、中村、小倉、成瀬、真野、小田が残った位である。部報岩燕は創立年の7月1日にA4版1枚の第1号が発行された。1953年(昭和28年)11月に第4号が発刊され充実した山行報告が記録され、部報らしくなった。編集者神原達の労作である。創立当時は指導してくれるOBもいなかったので、山の本を読んだり、ぶっつけ本番で山に行っていた。成瀬と小田は在学中に社会人山岳会の日本山嶺倶楽部(代表故高須茂氏)に入って山行を重ねていたので、情報量は豊富であった。小倉と中村は夫々大学の山岳部に在籍して技術を磨いていた。後輩にも優秀な人達が人部されて、昭和24年〜28年は第一次黄金時代だった。記録を見ると11月の南北八ヶ岳縦走。第1次・2次・3次の西丹沢神ノ川合宿、1月の八ヶ岳西面合宿。春夏秋と数回の南アルプス縦走、冬の富士山氷雪訓練、夏の南アルプス全山縦走は甲斐駒ケ岳から聖岳迄の記録。北アルプス夏山合宿等装備もお粗末で食糧事情、交通事情も悪い中で積極的な山行を実施している。この4号の表紙から題字の「岩燕」は部長の近藤啓吾先生(國漢)にお願いして書いていただいた。

59年の間には亡くなられた方々も大勢います。小倉、中村、真野、飯島、櫻井晴二、佐近丸彦、仲谷千秋、松田裕明、中村彰宏、長谷川栄一、水野健、大迫武治、坂和麿、唐沢成昭、関根福蔵、佐藤則秋、堀口正治、藤原弘、高松武信、坂本道哉、石井秀行の諸兄だ。同期生を除けば私より若い人達ばかりである。私と山行を共にした人もいれば、お顔を知らない人もいる。夫々の同時代に歩かれた仲間として、皆様の胸中にいつまでも記憶される事であろう。つつしんで心からご冥福をお祈りします。

追記 歴代の顧間(部長)先生のお名前を記載します。( )は麻布学園退職年月

  • 菊池市郎(体)(平5・3)
  • 近藤啓吾(国漢)
  • 中畑善雄(国)(昭39・4)
  • 故風間昌司(英)(昭53・8没)
  • 深木和俊(英)(昭45・3)
  • 故宇野鴻(平2・3)(平8・2没)
  • 三木紀人(国)(昭41・3)
  • 平野博志(数)
  • 増子寛(理)
  • 野本勇(技)
  • 岩佐洋一(英)

の各先生です。以上
2005年8月

(二四年卒)



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