tome VIII - AAC50年の歩み 2


 

座談会「AACの50年をふりかえる」(1)

平成8年8月26日


page 6/6


1日170円の食費 ー完成直前の黒部ダムー

溝口 僕の場合は中畑先生にとても影響を受けました。先生は松本高校出身で、いつもクラスでも山の話をされてました。それで山岳部に入って中三の合宿が表銀座、秋は氷川から雲取山、三条の湯でとても水が旨かったのをよく覚えてます。冬が丹沢の蛭ケ岳への主脈縦走でした。

高一の春は芝倉沢で雪上訓練をしましたね。この時は大変な雪崩があって、他のパーティーでは遭難者がでた。記録によると夏は南アルプス、大きなキスリングを担いで東京駅を出発した。大井川鉄道は有料か只か選べて、只というのは命の保証は致しませんということだった。

早崎 僕はこの合宿で初めて蛭を経験した。

溝口 食料は1日1人170円でした。部費は新聞部、野球部、山岳部の順番で10万円貰ってました。それだけあれば何でも買えた。僕は自分で個人装備にあまり金を出したことはありません。靴は四谷の高橋で八千円でビブラムの靴をオーダーしました。(「靴の値段はあまり変わっていない」との声あり)


溝口洋三

秋葉原で米軍払い下げの寝袋、日出帽、ミトン、オーバーズボンなどすべて揃ったです。寝袋は良いものが二千円、安いのが五百円。二千円のはとても良くできていた。

小倉 チャックも良かった。朝鮮戦争で使ったから、北朝鮮に寝首をかかれたとかで、ワンアクションでパッと開くように改良されていた。鉄砲を打つからミトンは三本指。

早崎 朝鮮戦争は山岳戦。だからそのおかげで山の装備がずいぶん良くなった。

溝口 昭和36年の夏合宿では大町から黒部に入ってダムができる直前の平(たいら)の渡し場で橋を渡ったのを覚えてます。翌年からはダムに水が入って船になりました。37年春には爺ケ岳東尾根から鹿島槍。この時は当時有名な山岳写真家の三木慶介さんが特別参加で同行されて、この時の写真が『蛍雪時代』に大きく出ました。

先輩では加藤和彦さんはものすごくファイトのある人で活をいれられた。早崎さんは顔に似合わず比較的優しかったです(笑)。

加藤和彦
1959年撮影
早崎
 そう、加藤さんはバテた奴は休憩の時に立たせたままで座らせなかった。

小倉 俺はいつも全員立たせていた(笑)。

溝口 僕らは後輩に優秀なのが多かった。40年卒の堀口君は気象のことを実に良く勉強していて、随分教えられました。それから42年卒の武藤君はお父さんが南極越冬隊に参加された方で、いろいろ教えていただきました。

ー最後に後輩、現役へのメッセージをお願いします。

小倉 率直に言うと今の人達への教え方をどうすれば良いのかよく分からない。ノスタルジーを言ってもどうにもならない。日本山岳会と関わりを持つようになって大学山岳部の人たちとも触れる機会があるが、その感が強い。結局はOBと先生の熱意が必要、これが無いと指導はできない。若い人が減ってきているのは我々OBの熱意の不足ということだろう。若い先生たちにも熱意を持って欲しい。

近藤 一つは、厳しさがあったからこの年になっても集まって馬鹿な話をしているんだ。なかなか上手く伝えられないが、だらだらやっていると長く続く絆が生まれてこない。自分たちに厳しくすれば長い絆が生まれてくるということ。

それからやはり指導者の果たす役割は大きい。自分たちの時代を振り返っても先生の魅力が大きかった。自然、山を愛するということをストレートに生徒に教えることが大切なんじゃないか。増子先生にも随分お世話になった。ここらで若い方に交代していただいてもいいかもしれない。同じように自分たちの時代を振り返ると今の0Bに指導能力が無いことも問題だ。

今の山岳部の状態を見ると、僕はとにかく一からやり直すことだと思う。山行も本当に生徒が自主的に行くようなものに絞ったらいい、高い山である必要はないんだから。建て直すという考え方ではなく、作りなおすという気持ちが必要だ。

三島 僕は現役の諸君にはOBについて来いと言いたい。もちろんOBがきちんとものを言えるようになるというのが大前提、そう言えるようにならなきゃいかんと思うね。

早崎 中学生の頃、先生から受けた影響は本当に大きかった。麻布に入って担任の戸田先生が西域の話ばかり。山岳部に入ったら中畑先生に出会った。先生方は山登りを教えてくれたというわけではなかったが、あの先生たちに会ったから山に入っていったように思う。教えてくれたのはOBだった。OB会の活性化があってはじめて現役の活性化につながる。

溝口 現役の皆さんには自然に親しむことからスタートして欲しい。0B会もいつでも手助けができるようにしたい。

ーどうも有り難うございました。



page 1. 出席者・司会
page 2. 山岳部の始まり - 第一回高尾山行 -
page 3. 山岳部隆盛期へ - 鹿島槍東尾根春合宿 -
page 4. 独特の雰囲気の文化運動部 - ピカピカの装備がずらり -
page 5. 映画上映会、すきやき山行、そして山岳映画撮影合宿
page 6. 一日170円の食費 - 完成直前の黒部ダム -



home > history > iwatsubame > VI-IX > AAC50年座談会(1)
prev.

(C) 2000-2024, azabu alpine club
all rights reserved.

ホーム || これまでの活動 || ギャラリー || コラム || 山岳部員・OB会員のページ || 掲示板 || このサイトについて
岩燕メイン || I-V号 || VI-IX号 || 那須追悼号 || 岩燕総合インデックス || 管理者へメール