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昭和62年度夏季合宿 南谷達郎
page 1/3 [合宿概要]・page 2/3 [行動記録1]・page 3/3 [行動記録2・反省] 行動記録 |
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4時起床、5時30分出発。ガスがかかっているが妙に明るい。二つ沼から黄金ヶ原まで登ると、右手はカール、左手は一面のお花畑という素晴らしい景色。トムラウシ山への登りにさしかかるころ、晴れて太陽がさしはじめる。トムラウシから化雲岳までのその日のルートは、まさに絶品。地形はほとんど平坦で楽。いたるところに池塘と雪渓があり、展望も最高。岩の間から時々ナキウサギが顔をのぞかせる。この大雪山十勝岳山系で最もおすすめの場所である。1時、忠別岳避難小屋に到着。これでちょうど丸一日分予定を短縮してしまった。
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予定を短縮してしまい、しかもこの分だと、この先も短縮できそうであるため、どこに行くべきか迷う。結局下山ルートも大幅に変更することとし、この日は旭岳のふもとのキャンプ場へ行くこととする。コースタイムは約10時間の予定。3時起床、ガスと強風の中、4時20分出発。やがてガスは引き、5時20分忠別岳に着くころには晴れてきた。白雲岳のふもとまでは、平坦な草原地帯で、左前方に旭岳を見つつ、コマクサを踏まないように気をつけながら歩く。白雲岳への登りからは久しぶりにキツい。そしてこの辺りから大雪山山系に入り登山客も増えはじめる。大雪山は、これまでとはうって変わった険しい山並みである。黒岳、北鎮岳、間宮岳、北海岳は、ちょうど円環状に稜線が連なり、その中心のすり鉢状になったお鉢平からは有毒温泉がもくもくと煙をふき出している。北海岳、間宮岳を通過して旭岳キャンプ場に12時到着。設営後、旭岳アタック。この頃から再び曇りはじめる。旭岳の登りは、急坂の直登で、転べばそのまま転がり落ちそうな斜面であるが、小学生も列になって登っている。山頂は視界ゼロ。午前中は白雲岳から旭岳が美しく見えたのに残念である。
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この日は、北鎮岳の手前の分岐から黒岳ヘアタックし、そこから、北鎮岳、比布岳を経由して愛山深温泉へ下山するルートを取る。朝食の雑炊はなぜか灯油の味がして、ほとんど食べられなかった。天気は曇りで、昨日は丸ごと見えたお鉢平は全く見えない。黒岳へのアタックは、展望はなし、人は多く、得るものはなかった。比南岳方面へ向かうと、人も少なくなり、山もさらに険しくなる。比南岳から永山岳への尾根はかなり痩せており、もし展望がひらけ下の方が良く見えれば、かなりスリリングなルートであろう。永山岳から晴れて展望がひらける。左手下方に沼の平の数々の沼が美しい。しかし、登山道の方は急な下りでぬかるんでおり、極めて歩きにくい。一人あたり少なくとも3回は転倒し、ドロだらけになる。途中の沢で一時間ほどゆっくり休んだ後、1時30分愛山渓温泉に到着。解散となった。この日は全員温泉で一泊して疲れを癒してから帰京することとなった。
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反省
北海道の山は素晴らしかった。北アルプス、南アルプスの山々とは全く異なるおもむきを楽しめる。ただ少々レベルを高く見積りすぎていた感はある。結果的に一日短縮したが、高校生だけの機動性の高さを考慮すれば、さらに一日か二日短縮できたはずである。その分、石狩岳も含めてルートを設定していれば、密度の濃い合宿になったであろう。ミーティングでの反省としては、朝寝坊が何度かあった他、撤収やパッキングの遅さなどが指摘された。高校生だけの天幕生活としては少々手際の悪さが目につく合宿であった。 |
反省会資料から
食料
コース
医療
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