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昭和62年度夏季合宿 南谷達郎
page 1/3 [合宿概要]・page 2/3 [行動記録1]・page 3/3 [行動記録2・反省] 行動記録 |
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上野発の急行八甲田に乗るべく例のごとく午後6時頃から駅でならぶ。行き先が北海道で、しかも、これから丸24時間乗り物に揺られていなければならないということで、いつにない興奮と緊張感が漂う。 |
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午前9時頃青森に到着、ここから山岳部として初めて本州を離れ、北海道へ踏みこむ。午後6時頃札幌。ここからさらに旭川経由で富良野へ。午後11時、誰もいない富良野駅からタクシーで登山口へ行き、駐車場で設営、ようやく24時間にわたるアプローチが終り、安堵感が漂うが、実はまだスタートもしていないのであった。 |
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4時起床、雨になりそうな空の下、5時50分出発。林道をぬけ、登山道に入ると、いきなりぬかるみにはまる。これもまた北海道の醍醐味だと我慢して進むとやがて美しい原始ヶ原の湿原が広がる。薄暗い朝もやの中、広い草原の上に花がところどころに浮かぶその風景は、初めて北海道の素晴らしさを感じさせるものであった。やがて富良野岳への急登にさしかかると同時に雨が降り始めた。展望は全くなく、雨は強くなっていき、ひたすら登り続けたことしか記憶にない。11時に富良野岳、12時40分三峰山を通過し、3時に上ホロ避難小屋に到着、キャンプ場は申し訳程度にしかなく、しかも「降り続く雨の中、既に池となってしまっているため、避難小屋の中で泊まることとなった。合宿初日は総合的に見て、最悪の一日であった。「寒い、身も心も...」というセリフが部員たちの間にはやりはじめる。
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4時25分起床5時55分出発、テントの撤収がないため朝はスムーズである。出発時の霧雨は十勝岳に着くころ止むが、ガスが濃く視界はゼロ。このガスは「ガス男」と呼ばれる私の責任であるらしい。十勝岳山頂周辺は砂礫帯でケルンや標識以外は何もない場所で、コンパスと足跡らしきものだけを頼りに進む。やがてガスが晴れると全く植物の見えない一面の砂地であることが分かる。殺風景ではあるが、このような風景は嫌いではない。砂のラッセルの中を進むと、徐々に植物が見えはじめ、それと同時に展望もひらけてくる。8時30分、美瑛岳にて、今合宿初の展望をおがむ。なだらかで広大な山なみは、比較的険しい本州の山では見られない、一種独特なものである。この日はコースタイムを大幅に短縮し、9時30分に美瑛富士避難小屋に到着した。
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4時起床、再び雨である。5時15分出発。展望はゼロ、雨がまとわりつく、オプタテシケ山を、7時45分通過。ここからはかなり大きな雪渓である。雪渓の上の道は識別しにくく、オプタテシケ山とコスマヌブリの鞍部にある双子池キャンプ場は、下手をすると見逃してそのまま雪渓を下っていってしまいそうであった。双子池は水が豊富でほとんど全てぬかるみである。時刻は9時20分、予定ではここで設営であったが先に行くこととする。コスマヌブリ付近で、雨があがり、ガスも引きはじめ、ツリガネ山付近で、今合宿初めて太陽が顔を見せる。太陽エネルギーを吸収し、突然元気がわいてきた我々はほとんど走るようなペースとなり、3時50分、二つ沼に到着。キャンプ場のマークはついていないが絶好のキャンプ場地形であった。水場も近い。ここで設営することにする。夜、テントの中に猫が入ってくる。こんな山奥で他にキャンプしている人もいないのに、どこからやってきたのだろうか。いまだもって不明。
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