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tome VI - 合宿報告1
大唐松尾根から白峰三山縦走昭和32年度春季合宿
page 3/4 [行動記録 (i)] 行動日記3月25日小倉氏をはじめ、多数の人々の見送りを受けて、23時55分新宿発最終列車で、我々は希望に胸をふくらませて壮途についた。 3月26日(雨後晴)甲府着は三時半。芦安行きの一番バスが出る迄4時間あるので、バスの待合室で仮眠をとり、7時30分出発。芦安に着く頃、小雨が降り出していた。出発前に交渉してあった青木興業の三輪車に全員のザックを乗せ、高一の四人を便乗させて現地連絡所にお願いしてある鹿島建設事務所迄先行させた。他の八人は小雨の降る中を歩き出した。バス道路を何度か横切って登り夜叉神トンネルに着いた。なかなか長いトンネルで、はるか向うに出口がポツンと見えるが、それが一向に近くならず、あきる頃やっと出ることが出来た。この後観音トンネル他数個のトンネルを抜けて、鹿島建設事務所に着いたのは11時近くであった。ここで昼食をとり、倉庫に預けておいた荷物の内BH用の炊事用具だけを持って、小雨の中を荒川小舎に向けて出発した。30分程でワシノス山への分岐に出た。雪の少々ある道を一息で頂上迄登り、一休みしてから今度は野呂川への急な下りである。道が凍っているのと山に入っての初日であるので皆慎重に下った。川が眼下に見えはじめてから河原に出る迄大分時間がかかってしまった。吊橋を渡ってしばらく河原を歩いて行くと、やがてBHに使用する荒川小舎に到着した。二月の偵察の時とはまるで様子が変り、小舎の周辺は全く夏同様である。雪はほとんど無い。大きな小舎に他のパーティーも少なく、静かな合宿第一夜を迎えた。雨雲はすっかり上り星空に半月が輝いていた。(写真:BH 荒川小舎での薪割り) 3月27日(晴)今日は二隊に分れ、一隊はC1偵察、他は鹿島事務所へ残りの荷をとりに行く予定である。7時30分小舎発三島、小林、高林、加藤、宮崎、三浦の六名が偵察隊員で他は荷上げである。雪のない状態だと大唐松尾根への取付は、吊橋を渡ったすぐ上が良さそうに見えたので、これを登ることにした。草付と落葉の急斜面を四つんばいになって登る。開けていない尾根の登りは全く苦しい。一時間程登ると高い樹間から間の岳が見える所に出た。真白い3000米の稜線を望み、一段とファイトを湧して再び急な尾根を登り出した。北岳の姿が見えはじめる頃より次第に高山性をおびて、モミ、サルオガセ、シャクナゲ、岩と現われて来た。依然として雪は少なく木の根頼りの苦しい登行が続く。夏道の尾根と合する所より、しばらくして展望のきく所へ出た。正面に北岳、間の岳、弘法小舎尾根、吊尾根が見え、右には甲斐駒、鳳凰三山と素晴しい眺望を昼食を食べながら楽しんだ。 ここから稜線通しに登ったので全く悪路の連続、しかたなく尾根をはずれて沢筋に入った。雪が多くなったので100米位の交代でラッセルをした。膝から股位までの積雪である。2時頃から再び稜線に出た。ここからは雪は多いが楽で、尾根筋を忠実にたどること一時間で、唐松平らしきかなり広い平らな場所に出た。一段登った所に丁度天幕が一張り張れる所があり、岳樺の樹間をすかして大唐松尾根が延々と続くのが見られる。距離的に見て一応C1建設地をここに決定し、荷上げして来た食料のダンボールをデポし、3時15分下りはじめた。下りは昼食を食べた地点よりしばらく下った所で、朝登って来た尾根の一つ右の尾根を下ることにした。ここは夏の間に入ったらしく、ナタ目や針金が掛けてあるので大分歩き易い。落葉の急斜面を下り五時頃河原に出ることが出来た。200米程河原を歩いて荒川小舎に着いた。小舎では荷上げ隊が夕食を作って待っていた。偵察隊はかなり疲れた模様である。夕食後器具と食料の整理をして消燈。(写真:C1 へのルート工作) 3月28日(晴後曇後雪)[I隊]今日はいよいよ唐松平へC1建設の日である。I隊の三島、加藤、福井、坂の四名はC1に入るので個人装備を持ち、他の者はC1の食料、器具、燃料を持ってBHを出発。今日は昨日下りに通った尾根に取付いた。落葉の急斜面を登り2時間程で展望台に着いた。昨日より大分早い様である。青空にくっきりと北岳、間の岳が真白に見える。そこから沢筋に入り雪の樹林帯を登って再び稜線に出た。唐松平に到着したのは12時であった。昨日より3時間もの短縮である。直ちにミード型白天幕の建設にかかった。風は高いモミや岳樺が密生しているので、心配ない。設営後二回目の昼食を食べ、II・III隊の8名はBHへ下って行った。倉庫用の雪洞を掘り荷物をおさめ、今夜は三島が雪洞に眠ることにした。 [II・III隊] C1建設後直ちにBHに下った。道は雪がかたまって非常に歩きにくい。何回も転びながらそれでも昨日より早く1時間半位でBHに着くことが出来た。降りはじめた雪がだんだん激しくなって来た様だ。明日からの天候が気にかかる。炊事、薪取りと手分けをして早目に夕食をとった。吊尾根より二人下山して来て同宿した。 3月29日(曇後小雪)[I隊] いよいよI隊の登路開拓という任務の開始である。今日はC2建設地の偵察である。唐松平から南に下りすぐに直角気味に西に曲る。平らな所をすぎてから深い樹林帯の中をゆるく下って行く。今日は四人共輪カンを着けているので雪は大分積っているが余りもぐずらず歩き易い。ナタ目を探し、赤布を付けながら進んだ。池のある所を過ぎてから2140米峰の北側を水平に捲いて行く。登り下りの余りないトラバースが延々と続いた。大唐松尾根の名に恥じず、全く深い樹林帯であるが、時々樹間を通して吊尾根と鳳凰三山が見える。 稜線より100米位下を北側にほとんど水平にトラバースが続いていたが、2300米峰の下でナタ目を見失なった。もどっていくら探しても見当らないので、沢状の所を頂上目指して直登した。やっと2300米峰に着きそこで昼食をとった。そこから見ると大唐松山は眼前にすごく高くそびえている。12時出発。コルに下ってはじめて南側を望むことが出来たが、曇っているのでなにも見えない。風も強くなって来て気温も相当下っているようである。コルから先は急な尾根通しに登るので輪カンをはずして登りにかかった。1ピーク過ぎた所で先はいやなやせ尾根となっている。南側へ水平にトラバースしてから尾根に取付いたが、全く変な所へ出てしまった。しかたなく稜線目指して上へ上へと登った。最後に滝場の様な所に来て行きづまったが、どうにか登れそうなので坂氏がトップで登り、次に三島が登り、残りの高一をザイルで確保して登りきった。この失敗でかなり時間をくってしまい時計は2時を指している。大唐松山のピークは直ぐ上らしいので、ピッチを上げて稜線通りに登り2時30分頂上に着いた。一面ガスがかかり風も強い。じっとしていると手足が凍える様な寒さである。頂上はドーム状になっており南側が直角に切れている。木もなく、天幕が二台帳れそうな場所なのでここをC2予定地とし、荷を木陰にデポして三時下山を始める。コル迄は忠実に稜線通しに下り、30分ほどで輪カンをはずした場所に出た。ここから沢を下ってトラバースなので帰路を急ぎ5時にやっとC1に戻った。唐松平へのゆるい登りがいやになる程疲れていた。今日は明日のC2建設のために横田がI隊に加わることになった。 [II・III隊] 6時45分出発。荒川小舎を出ると例の通り急な登りをナタ目、赤布を頼りにC1に向った。C1に着くころから雪が降り出し気温は零下11度迄下って来た。荷上げ品をかたづけてテントの中に入り、お湯をわかして昼食を食べた。明日のC2建設の手伝いに横田をC1に残してI隊と合流させ、他の7人はBHへ下って行った。もうこの道もなれたもので日毎に時間が短縮される。 3月30日(曇風強し)[I隊] 今日は5人でC2建設である。個人装備に炊事用具と燃料を持ってC1を出発。雪が降ったらしく前日の踏跡がうすくなっている。しかし道はもう判っているのでピッチは早い。トラバースを終り大唐松山とのコルでアイゼンを着けた。薄曇りであるが風は大変強い。クラストした上に新雪が10センチ程積っている。12時大唐松山につき直ちに天幕建設にかかった。斜面をならしてかためるので相当時間がかかった。入口を南東に向け、ミード型天幕を建設した。中で昼食を食べているうちにガスが晴れ次第に素晴しい三山の展望が見えはじめた。 II隊がC2迄食料を荷上げして来る筈であるが四時になっても来そうにないので、横田がC1に下って行ったが、途中で道を見失なったため一時間半ほどしてもどって来た。今夜は五名でC2に泊ることにする。夕方になり完全に晴れ渡り、吊尾根、北岳、間の岳、農鳥岳、南ア南部の山々、富士山、甲府盆地、奥秩父、鳳風三山と360度の絶景にしばし喜びの声を上げた。夜に入ってコンデンスミルクを沸かして五人で飲んだ。腹が減ってたまらない。青黒いヴェールに白峰三山が白光りして実に幻想的である。満天の星空に半月が出て来た。甲府のネオンが赤、緑、黄と全く素晴しい。(写真:大唐松山 C2 にて) [II隊] いよいよC1に入る日になった。C2用のラジュース、ナベ、その他を持って出発。途中強風で寒さに、ふるえ上りながらも大分早くC1に着くことが出来た。テントの中で昼食を食べた後、III隊は12時40分BHへ下って行った。テント内を整理し夕食の準備をしながら、C2から下って来る筈の横田の帰りを待ったが、いつまでたっても帰って来ないので、これは予定を変えてC2へ泊ることにしたのかなと思いながらもずいぶん心配した。又、C2の食料が置いてあるので、これはどうしたわけかと思ったが、一日分だけ持って行ったのだろうと考えていた。 [III隊] II隊と別れてBHへ下った。道が凍っていて大変歩きにくい。今夜は立正交成学園山岳部の五名と同宿である。 3月31日(快晴)[I隊] 素晴しい快晴。絶好のアタック日和りだが残念ながら全く空腹である。農鳥岳の大斜面は雪煙を上げて迫力がある。ともかく今日は農鳥下のコル迄偵察してくることにし、コンデンスミルクを飲んで横田を残し九時出発。この辺の稜線は木は低くまばらで、次第に岩が現われて来てナイフリッヂ状になり、やがて2590米峰に着いた。そこから下り、再び登って2570米峰に着く。ここは天幕が一台帳れそうな良い天幕地である。そこから下って最後の尾根とのコルに出る。ここで農鳥岳の斜面の斜路を確かめてC2に帰った。全くの無風快晴である。C2に帰ってもテントキーパーの横田だけでII隊は到着していない。2時頃先に下った横田と共に、II隊の四名がC2用食料と個人装備を持って上って来た。小林に聞くと、昨日II隊はC1に入り、C2へ荷上げする予定は取消したと思っていたとのことである。とりあえず縦走隊の小林、榊原、宮崎の三人がC2に入り、三浦氏と横田がC1に下ることになった。C2には七人入ることになったのでかなりきゅうくつである。夕方から天候は次第にくずれて来た。(下写真:C2 よりの白峰三山) [II隊] 昨日の連絡表にあったC2及び縦走用食料、器具、燃料等を四人で分けてみると大分重くなる。少々まいっていると丁度出発間際にIII隊が連絡にやって来て、金井と斉藤の二人に荷上げの手伝いをしてもらうことが出来て大変助かった。 途中ナタ目を見失ったりラッセルに悩まされたりして少々手間どったが、大唐松山の一つ手前のピークで昼食を食べている時に大唐松山の頂上にI隊を見つけた。今日アタックしてC1へ下る筈のI隊が、いつまで待っても下りて来る様子がないので、どうもおかしいと思ったが、とにかくC2へ急いだ。ナイフリッヂを過ぎ、最後の斜面を登っていると上から横田が連絡に下りて来た。 C2に着いて驚いたことに「I隊は昨夜から何も食べていないぞ」等といっている。これはどうしたわけかと三島に奪ねてみたら、現地に来てから一部行動をかえたが、その解釈がI隊と他の隊との間で違っていたのである。即ち、最初の計画ではC2の建設をI隊とII隊の合同で行なうことになっていたが、これはII隊がBHから出るため時間的に無理だというので、C2はII隊から一人I隊に加わって五人で行なうことにした。これをI隊はC2の建設だけで、食料等はII隊がその日に後から荷上げするという考えだったらしいが、我々はC2に必要なものは全部持って行くものと考えていた結果この様な事になったのであった。とにかく何事も起らなくて良かった。計画の変更をした場合には、くどいくらいお互いに打合せをしておかなければならないということを思い知らされた。 C1を空にしておくわけにはいかないので、II隊はここで解散し、三浦氏と横田の二人はC1に下り明日III隊と合流することになり、縦走隊はC2に泊り明日農鳥小舎へ向うことにした。 [III隊] 昨夜は寒さが厳しく睡眠不足であったが、快晴のもと元気にBHを出発しC1に向った。樹間に垣間見る北岳、間の岳の展望を楽しみながらC1に着いた。ここで出発間際のII隊を合流し、C2用の食料その他を持って出発、1時間程行った所でII隊と縦走の成功を祈って別れ、C1に引返した。昼食後30程昼寝をしてBHへ婦った。例によって薪採りをした後夕食。今夜は海城高校山岳部11名と同宿である。 |
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