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誰れしも明るく開けた夜叉神峠に立つたならば眼前に聾え立つ白峯三山の雄姿に感激し、長々と起伏して横たわる山懐に幾本かの渓が深く入り込んでいるのに関心を持つ事であろう。
我々が白峯三山への登攀ルートとして荒川の渓々にルートを求めたのは六年前、1948年の夏に北沢を遡ったのが最初であった。当時は戦時中の空白時代のために荒廃が甚しく、さんざん薮に悩まされ、かろうじて二本の張金を残していた鷲の巣の釣橋をようやくの思いで渡り、辿りついた荒川小屋は、窓は愚か屋根も剥れて優用に堪えず、近くの岩小屋の方も利用したものだ。この山行は、苦労の連続であったので北岳登頂の感激は素晴しかった。この北沢遡行の時以来、間ノ岳及び農鳥岳への登攀ルートとして荒川の渓々への変らぬ関心を持ちつつも機会がなかったが、今年の七月ようやく細沢に入ることが出来た。そして改めて荒川の渓々が我々の前に浮び上って来た。 今日、白峯の縦走路などは小屋が登山者を収容しきれないほど混雑するけれども一歩荒川の沢筋に入ると人と出合うのは稀れで、山から受ける感じも自ら違う。 極めて大ざっぱにいって荒川の本流は、上から農鳥の水を集めて本谷右俣、左俣、アスナロ沢(平賀文男氏による農鳥沢)、間ノ岳からはアレ沢と細沢、そして大唐松の尾根から無名沢〔平賀文男氏によるアスナロ沢)と大唐松沢が合流して広河原に至り、その少し下流に北岳からの北沢がその支流ボーコン沢を入れて注流し、マムシ平で野呂川に合流する。 |
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これらのうち北沢は割合に開けているが細沢及び本谷・右俣は年に一、二のパーテイが入る程度でありアスナロ沢はなお少く、それ以外の沢にいたっては、我々はまだその記録を見ていない。そして名瀑、三ツ瀑附近はその河身通しの遡行が不可能とされ高い高捲きを要求されていたためか三ツ瀑の所在が文献によって様々に記録されている。二、三の例を上げると
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前記のうち三ツ滝の所在に関する著しい違いは大唐松沢についてである。平賀文男氏は、それを本流より下流に約 90メートルの滝を懸けていると記されているのに対し内藤八郎氏及び明峯山岳会は本谷と大唐松沢が落口上部で合流して、100メートル落下していると記している。我々は本流の滝より、さらに先へ暫く遡ってみたが、それらしい沢は合流していないし平賀文男氏の言う90メートルの滝は確かに本流の滝より下流に認めた故陸地測量部の五万分の一の地図に依る滝の所在が正しいものと思う。 以上から思うに、いまだにこの附近の河身(広河原から三ツ瀑迄)は未踏の地域だと思われる。 勿論、今度の計画は三ッ瀑の試登にあったのではない。最初の計画は本谷左俣もしくはアスナロ沢を遡行して右俣を下り、出来れば三ツ瀑の下まで沢通しで遡ってみようと云う予定であったけれども、連日の降雨のために源流へ足を入れることが出来なかったのは残念だったが三ツ瀑(三ツの滝のうち本流と細沢の滝のニツ)の登攀が成功したことは何よりの収穫だった。 |
page 1. 三ツ瀑概略 岩燕VI - 大唐松尾根から白峯三山縦走 |
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