[chronicles]



1982年度をふり返って

石井秀行



57年度は引き続き、今西氏が夏季合宿までリーダーをしていた。今西氏は56年度から、57年度の夏合宿を最終目標に置いて計画をたててきた。56年度の冬季・春季合宿と、一応の力はつき、57年度夏季合宿は北アルプス縦走ということになった。薬師岳から笠ケ岳まで8泊の合宿になり、今西氏の代の引退合宿にふさわしい大きな合宿となり、天候のため計画変更を余儀なくされたものの、十分に成功と言える合宿であったと思う。夏季合宿を終え高二は引退し、9月に僕がリーダーを引き継いだ。リーダーになる前には、僕がリーダーになったら、日常の部の運営と合宿を中心とした山行の両面においてやろうとしていた事がいろいろとあった。だが、いざリーダーを引き継いでみるとなかなか思うようにこなせないので、すっかり自信をなくしてしまった。更に、何か大きい計画をたてて実行するには一年下の学年の力が必要不可欠であるという固定観念があった。しかし、その学年の部員は頼りない者一名と登山経験は豊富だが山岳部に入って半年の者一名だったので、僕の代では大きな計画はまだたてられないものとあきらめ、後のために尽くす段階であると思った。

10月・11月には、今まで通りの山行を続けるのが精いっぱいで、年間計画はたてたが、冬季合宿で中二の教育をして春季合宿で中二を含めでできるだけ高度な合宿を行うという漠然としたものに過ぎなかった。そして冬季合宿になり、ただひたすらに下級生の教育ということを念頭に置いて計画をたてたので、無難な八ケ岳に決まった。それにしてもリーダーになって初めての合宿が雪山というのは非常につらいものであった。合宿の準備期間と合宿中を通じて、指示の手際の悪さに加え夏山に比べ仕事の量が多いため、リーダーとして数々の失敗を重ねた。この冬季合宿では中二が雪山に登るのが初めてであったため、極く浅い段階ながら、できる限りの事は一応教育できたと思っている。しかし中二の雪山経験は一回に過ぎない。

春季合宿の計画段階でこの事実から逃れられなかったので、八ケ岳からの脱出は不可能であると思った。しかし、代表指導委員である三品先輩とOB諸氏と増子部長先生(部長先生は他に野本先生と平野先生)と会合し、下級生の教育について話し合った。僕としては教育に徹する覚悟でいたが、むしろハイレベルの合宿を高一と中三で行い、中二の山行に対する意欲を湧かせた方がよいのではないかというOB諸氏の意見により、春季合宿には中二を連れて行かずにレベルの高い合宿を行うことを決定した。この会合で僕と大塚は、下級生の教育から僕らの好きな合宿を行い、レベルアップをどんどん計るという方向に、180度転換したのであった。

結局春季合宿は遠見尾根に決めたが、遠見尾根にはテレキャビンもあり、比較的容易であると思ったため、小遠見山で遠見尾根から分岐し南へ延びている大川尾根という、過去に理科大山岳部ぐらいしか登っていない尾根を登ることにした。なにぶん山行記録がほとんどないため、長野県山岳総合センターに情報を問い合せたが記録がなく珍しがられ、合宿の後で逆にこちらから記録を送った程であった。そして次の年の冬には、山岳総合センターのパーティーが大川尾根を登っだそうである。事前の偵察なしに、記録のほとんどない尾根を征服する計画をたてたのは、中三の河上の関係で大谷原にある理窓山岳会の小屋を借りられることになり、そこをべースにしてルートの偵察と工作を比較的容易に行えそうであったからである。そこで中二を雪に慣らすため、合宿前半のルートの偵察と工作の間、高一・中三と共に行動してもらうことになった。

この合宿の計画では、五竜岳は技量に見合わないとして白岳までのはずであった。しかし五竜山荘で話し合っ結果、(1)雪面の状態が比較的よく、アイゼンがよく効く(2)河上は気分が悪く頭痛がするというので、五竜山荘に残して連絡役とし、高二の二人に対して増子先生と高坂OBで一対一のサポートが可能である(3)可能なことはできるだけ行い、できる限りレベルアップに努めるーなどの理由で五竜岳にアタックすることに決めた。五竜岳登頂は、僕と大塚にとってはたいへん大きな自信となり、大幅なレベルアップにつながったと思っている。

このように9月にリーダーを引き継ぎ、春季合宿を目標において山行計画をたてたものの、漠然としていたので場所の決定が遅れ十分な偵察もなしに合宿を行うことになったので、冬季・春季両合宿は十分に満足できるものとは言い難かった。しかし、次の年度で夏季・冬季合宿と最高学年として下級生を引っぱって行くだけの自信と意欲が僕と大塚の二人に備わったのはこの年度であった。こうして意欲満々で58年度に乗り込んだのである。

(1986記)




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