[chronicles]



1981年度をふり返って

今西規



あまり自分の現役時代のことは書きたくなかったのであるが、今回『岩燕』が発行されるということで、昔私がAACのリーダーを務めた関係上、仕方なく筆を取った。というのは、私のリーダー時代の活動は低迷していた。部員数こそ13名と増えてはいたが、部員の意欲というものが不足しており、最後にはリーダーもヤル気をなくしてしまった。そんな状態であったので、こうして記録を残したりすると、AACの輝かしい歴史の中でかえって目立ってしまうのではないかと恐れているわけである。

私の学年には、チームワークやリーダーシップが欠けていた。皆で大きな目標を立ててそれに向けて一致団結して努力する、というような事は無かった。本来なら年度の始めに長期計画を立て、冬山合宿の準備など半年前くらいから始めるものであるのに、いつも我々は合宿の一週間前にやっと計画の概要ができるという始末であった。これでは立派な活動ができるはずもない。

たいてい、合宿の候補地でモメた。私が南アルプスを主張すると、サプリーダーの小沢は北アルプスを主張する。(その結果行われたの飯豊連峰の縦走であった。)そのような時に、私がリーダーの権限を行使すると、部員の中から「リーダーの権限が強すぎる」などと露骨な批判も出たりした。逆に私が譲るとリーダーの権限はますます弱まっていき、そんな中で私は部活動全体が馬鹿馬鹿しくなったりした。2月山行が行なわれなかった背景にはそんな事もあったのである。この時期は、部は崩壊しかけていた。

その後私は投げやりな態度に出て、文化祭をさぽって個人山行をしたり、部山行でも勝手な行動に出たりした。それがまあ良かった様で、なんとか高二の夏までやりとげることができた。57年9月に次の学年への引き継ぎを終えた時には、ただホッとしたという気持ちだった。

こんな一年間であったが,我々が成功した事もあった。それは、多くの新入生の勧誘、そして養成である。この年は中一がなんと6名も入部し、そのほとんどが部に居着いてくれた。上級生の指導も熱心であった。彼らのために12月と4月に月例山行を行った。最近私は、OBとして部山行に同行したが、当時の中一が今は高二になって、部の中心として伸び伸び活動していた。それを見て、我々のやってきた事も無駄にはなっていなかったなと、嬉しくなった。私にとって山岳部は、辛かった思い出がどうしても多いが、それでも貴重な多くの経験をすることができた。今後のAACを担ってゆく人たち、頑張って下さい。山行記録に関しては、『レポート』46号(昭和57年6月発行)を参照した。

(1986記)




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