[chronicles]



1953年(昭和28年)度山行記録

1953年(昭和28年)4月
  • 雲取山(4月6日〜7日)
    • A班:近藤(リーダー)、荒垣、鈴置、大迫、中西
      • 6日:朝上野発〜熊谷〜三峰口〜大輪〜白岩小屋〜雲取小屋
      • 7日:出発〜雲取頂上〜B班と会う〜七つ石山〜タカの巣山〜六つ石山〜氷川〜立川〜新宿
    • B班:神原、高草木
      • 6日:14時新宿出発〜氷川(16:40)〜川野着(バスにて 17:50)〜鴨沢(18:30)〜小袖にて夜食・出発(20:00)〜七つ石小屋(22:00)〜就寝(23:00)
      • 7日:起床(4:30)〜出発(5:00)〜雲取頂上(8:00)以下 A班と同行。

    七つ石小屋には夜具無しシュラーフ使用。雪は少なかったが七つ石山北面には一尺あまりあった。

  • 総会並びに送別会(4月18日[土])
    三階西側の教室に用意された会場には OB 会員並びに現役及び部長近藤啓吾先生、計40 名近くの大勢が陣取り、青木(高三)さんの春山合宿報告から始まったプログラムは本年度卒業の森田・三橋両氏の送別会にて四時半フィナーレを終った。
    OBからの質問、注意点をまとめると
    1. 早朝出発の事、今回はよく守られていた様だが春山ではかならず午前中行動の事。
    2. 時間を能率的に利用する。早く小屋に着いた時など次の日の為の偵察を行う。
    3. 風雪の時にも務めて戸外に出て自信をつけること。
    4. 他人のラッセルの利用は避けること。
    5. テントを使用せよ。
    6. 登頂のみを目的とするな。
    7. 就寝は九時前後とする事。勿論早いほどよい。
    8. 一部の隊員が登行中などかならず出むかへよ。
    9. より大膽であれ。例へば駒津岳にて吹かれた時など風は西北の向きから吹き、駒ヶ岳南面のトラバースする面などは無風の状態であった(三橋)
    10. チームワーク及リーダー権の問題は検討を要しようが現在より強めにして欲しい。

5月
  • 大菩薩集中登山(5月2日〜3日)
    • A班:近藤(リーダー)、大迫(高二)、桐谷、長谷川(高一)、三浦、橋本(中三)
      • 2日:新宿発(14:00)〜氷川着(16:15)〜バス発(16:50)〜小野着(17:40)〜川久保にて夜食・部落最後(19:30〜20:05)〜白糸の滝(21:30)〜食事・就寝(00:15)
      • 3日:起床(3:30)〜朝食(5:00)〜出発(6:00)〜道標(7:00)〜フルコンバ小屋にて米とぎ(8:45-9:40)〜尾根出合(10:25)〜峠(10:35-10:50)〜頂上(11:20)〜昼食出発(14:55)〜長衛小屋(15:28)〜川出合(真分岐)(16:15-16:25)〜部落(バス乗場)(16:40)〜バス(18:10-18:35)〜塩山発(18:42)
    • B班:神原(リーダー)、高瀬、新家(高二)、遠藤、田辺、佐藤(中三)
      • 2日:新宿発(14:00)〜初鹿野(16:42-16:55)〜田野橋(17:30)〜途中夕食第一回目(19:10)〜嵯峨塩橋(19:15)〜嵯峨塩鉱泉(19:40)〜大藤村下日川組合(20:20)〜夜食・就寝(22:50)
      • 3日:起床(4:00)〜出発(5:00)〜一号橋(5:35)〜日川を左岸に入る(トラック道より下った所)にて朝食(6:10-7:55)〜大菩薩館(8:17)〜稜線出合(9:00)〜石丸峠(9:35)〜大菩薩峠(11:05-11:20)〜頂上(11:50)以下A班と同行。

    タイムはほぼ予定通りに行ったが各所に無駄な時間がある。又帰宅時間が遅すぎた。天候は二日は曇時々雨、夜半から晴間が現れる。三日は晴、午後から曇り勝ちになる。新入部員には最初のキャンプであったが夏山合宿の練習としてこの位の技術では心細い。シュラーフは二人で一個使用したのでつらかったが中三の者達は初めてのキャンプで喜んでいたようだ。夜中でのキャンプを行ひ非常な練習となったと思う。

  • 景信・陣馬(5月3日)晴。青木、伊藤(景信より一緒)。新宿(8:46)〜景信(11:40)(偶然に伊藤に会う)〜陣馬山(13:40)〜和田峠(14:15)〜藤野駅(16:50)

6月
  • 丹沢沢登り(6月14日)
    A班:近藤(リーダー)、神原、吉田、大迫、新家(高二)
    B班:一杉、内藤(高三)、荒垣(高二)、佐藤(中三)

    7時小田急新宿駅待合室にて集合。
    A班は水無へB班は勘七へ行く事に電車内にてきめる。コースタイムは例の通りで略す。塔ガ岳にて豊多摩の連中と会った。花立にてB班と合流、例の如く大倉尾根をかけ下る。

  • OB会(6月23日[火])青木、近藤、神原の三人が現役として出席、7:30 池袋シグレ食堂にて。
    議題:
    1. OB としての部報について。イ.原稿 ロ.資金
    2. 夏山合宿 イ. 目的 ロ. 方法 ハ. OB の参加について
    3. 積雪期登山の具体的方法について
    4. OB 会の方針

7月
  • アコンカグア講演会(7月1日)早大山岳部提供による映画とスライド並びに講演の会、午後三時定刻通りに開幕。映画は早大「涸沢合宿」他天然色スライドは実に鮮明にアコンカグアを写し、講演後の質問は活発をきわめた。
    満員の学生及び先生方から我が山岳部を再認識していただいた点にこの会は成功と云へよう。

  • 乾徳山(7月28日)晴。青木、伊藤。前夜(23:50)新宿発〜塩山(3:18-3:45)〜鳴沢(5:30)〜徳和(6:15-6:50)〜国師平(水場)〜乾徳山頂(9:45-11:00)〜扇平(11:20-11:40)〜牧場(13:00)〜増富(15:15-15:40)〜バス〜塩山(16:20)

  • 南アルプス夏山合宿(7月25日〜8月4日)
    A班:近藤(リーダー)、水野、大迫(高二)、熊井(高一)、笠原(OB)
    • 25日:夜8:12 新宿発
    • 26日:甲府〜夜叉神峠
    • 27日:夜叉神峠〜南御室小屋
    • 28日:南御室小屋〜広河原小屋
    • 29日:広河原小屋〜大樺小屋
    • 30日:大樺小屋〜北岳小屋
    • 31日:北岳小屋〜熊の平野営地
    • 1日:熊の平野営地〜北荒川野営地
    • 2日:北荒川野営地〜三伏小屋
    • 3日:三伏小屋〜鹿塩(山塩館)
    • 4日:帰京

    B班:神原(リーダー)、荒垣、新家(高二)、桐谷、佐藤(高一)、佐藤[晃]、田辺(中三)、松田(OB)

    • 26日:A班と同行
    • 27日:同上
    • 28日:南御室小屋〜早川尾根小屋
    • 29日:早川尾根小屋〜北沢にてキャンプ
    • 30日:全員駒ヶ岳往復
    • 31日:荒垣、桐谷、佐藤[晃]帰京。残る5名仙丈往復。正午キャンプをたたみ戸台口へ下る。
    • 1日:朝、帰宅。

    この合宿の模様は、A班・B班別々に岩燕 IV に報告されています
    注)2000年12月現在、A班のものはまだ www サイトには掲載されていません。

全員集合


B隊全員(写真を撮ってる人以外)と思われます。

早川尾根より北岳(田辺恭穂)


8月
  • 山中湖合宿(富士登山)高瀬(高二)、菅原(高一)、三浦(中三)、福原、庄野(不明)、青山、仲谷(OB)

    今年度、南アルプス合宿新人が多い山行であり、又今後の為の訓練が第一の目的であった。
    我々は、ミスも多かったが、我々の最善の努力で目的を果たすことが出来たことを幸と思っている。

9月
  • 谷川岳西黒尾根(日程失念)水野、(吉岡)(以上高二)。土台〜西黒尾根〜谷川岳〜天神峠〜谷川温泉

10月
  • 丹沢クズハ沢(10月4日)曇後晴。神原(高二)、田辺(中三)。
    新宿(7:15)〜大秦野(8:20)〜菩提(9:40)〜クズハ川本沢出合(10:40-11:00)〜F1(12:00-12:40昼食)〜三ノ塔(14:05-14:30)〜富士見橋(15:10)〜ヤビツ峠(15:35)〜蓑毛(16;20-16:35バス発)〜大秦野(17:00)〜新宿

    製材所を左に入りキャンプ場の跡を行く立派な道が出来ていて、滝の二つや三つは見逃してしまうから早目に沢に下ること。

  • 那須茶臼岳、朝日岳(10月15-16日)近藤以下高二部員全員
    • 上野発(21:35)〜黒磯(1:15)〜湯本(泊)
    • 出発(6:45)〜茶臼岳〜朝日岳〜帰京

    例年の校内遠足のついでにと、一山余計に稼いだわけである。朝日頂上にてココアを沸かして宇野先生に進呈した。


11月
  • 中央アルプス空木岳(11月1日-4日)神原、大迫、新家(高二)、伊藤(高一)
    • 2日新宿発(20:15準急行)〜辰野(4:10-4:20)〜赤穂(5:30)〜ハイヤーにて〜板橋(6:00)〜光前寺(6:35-7:00朝食)〜烏帽子岩(8:10)〜マヒナギ(12:00)迷子尾根(13:50)〜鞍部(14・OO)〜三角点(14:20)〜空木岩室(16:00)
    • 3日出発(8:00)〜分岐(8:10)〜空木頂上(10:10-10:30)〜岩室(10:48)〜昼食(12:00-12:40)〜笹原(14:00)〜岩見滝(14:55)〜光前寺(15:50)ー赤穂。帰京。

    臨時試験を終えてほっとした気持で、実に気が良く合った山行であった。光前寺の庭の簡素にして骨のある雰囲気は是非一度見ておくとよい。往き返りとも立ちよって温かいお茶の御馳走になつた。岩室の一夜は折からの本州一体を蔽った低気圧の為にゴーゴーと雪が小屋の周囲を流れて実に無気味であったが、夜半風の為にすっかり洗い清められた空に満天の星空を仰ぐことが出来た。頂上からの展望は素晴しかった。特に伊那谷の対岸の南ア連峰は我々に夏の苦しい合宿へのノスタルジヤを感じさせる程であった。再び光前寺から仙丈岳の姿は二度と忘れられまい。

  • 大菩薩嶺(11月2日-3日)佐藤、菅原(高一)
    • 2日新宿発(6:35)〜初鹿野(9:30-9:40)〜田野橋(10:20)〜嵯峨塩橋(12:00)〜(途中昼食)〜鉱泉(12:40)〜大藤村下日川組合(13:20)〜一子橋(14:00)〜大菩薩館(15:00)〜テント設営(16:00)
    • 3日 出発(6:00〜石丸峠(7:30)〜大菩薩峠(9:00)〜大菩薩嶺(10:00-12:00昼食)〜唐松尾根を経て長兵衛小屋(13:50)〜パス停留所(15:20)〜塩山(16:50)帰京。

    気の合う二人だ、歌も自然に飛び出して来る。腹も一杯。天気は快晴、ピッチはぐんぐん、なにしろ楽しい旅であった。

  • 金峯、国師、奥千丈岳縦走(11月21日-24日)神原、水野(高二)田辺(中三)
    • 21日新宿(20:12甲府行)〜甲府(23:36バス待合室にて就寝
    • 22日甲府発(バス4:27臨時)〜天神森(4:30)〜仙娥滝上(6:10)〜金桜神社(6:45-8:20)〜猫坂(9:15)〜下黒平の橋(10:10)〜上黒平(11:00-11:15)〜金峯山道と伝犬沢分岐(12:05-13:00昼食)〜ホロ小屋(14:30〜15:45水場有り飯を炊いてゆく)〜沢出合(16:20)〜水晶峠(16:45)〜御室小屋(17:35)(泊)
    • 23日出発(6:00)〜金峯山頂(8:20-9:15)〜鉄山(10:00)〜朝日岳(10:45)〜甲府への分岐(11:30)〜大弛小屋(12:00-14:05)〜奥千丈岳(15:15)〜ルートを見失う、荒川源流へ下り途中水が現われて来たので新雪の上に針葉樹の葉をしきツエルト・ビバークを行った。(17:00)
    • 24日出発(9:00)〜荒川植林小屋〜乙女鉱山入口(13:30)〜馬トロに便乗〜金峯泉(14:20)〜杣口(16:30)〜窪平(17:20-17:45)〜バスにて〜塩山(18:00-18:46)〜新宿(21:36)

    兎に色素晴らしい山行だった。そして非常に多くの経験を味わうことが出来た。ビバーク決定の状態を少し書く。奥千丈の頂上は樹が欝蒼と茂りおまけに新雪で踏み跡は全然わからなかった。そして頂上からだらだらと下っている主脈を辿ろうと少し右腹を進んだのであったがどの尾根であるか、今から考えればあの時にも少し慎重に磁石を見るべきであったのだが、尾根を間違えて右に寄り過ぎて気の付いた時にはもはやその尾根はなくなって荒川の源流に消えていた。時計は17時。ズボンは倒木のためピリピリになってしまった。しかしツエルトは持っているし食糧も充分にあるので別に驚かなかった。翌朝その沢をよく見たら古い木材を流した木組みの跡があったので、これは旧道があるとにらんで下ったわけである。はたして10分ほどで古い線路の無い枕木だけのトロ道にでた。さいわいと云えばさいわいであった。

  • 海沢遡行(11月23日・晴)新家(高二)、伊藤(高一)。白丸(8:40)〜海沢橋(8:55)〜大地沢出合(9:40)〜三つ釜滝(11:00)〜ワサビ小屋(12:30-12:50)〜稜線(14:00)〜大岳(14:30)〜御岳(15:45)〜〜鳩ノ巣(17:25)

  • 富士山(御殿場口)(11月22日-23日)近藤(高二)
    • 22日東京発(0:10)〜国府津〜御殿場(4:00)〜太郎坊(馬返し)(8:30)〜六合目小屋(昼食)〜非難小屋(16:45)
    • 23日。出発(3:20)〜九合目(6:40)〜御殿場口山頂(7:40-8:00)〜太郎坊(15:30)〜御殿場(16:40)〜国府津(17:00)〜東京駅(21:00)

    丁度東京岳連、日本山岳会主催の講習会が吉田口であったので富士はにぎやかであった。しかし御殿場口は少なく叉強風のため頂上アタックは非常に困難であった。新雪がクラストし風はオーバー・ズボンと耳を覆う帽子を必要とさせる位であった。新調のスイス製バーナーの調子は実に良かった。


12月
  • 大山、塔ケ岳、丹沢山(12月18日-19日)佐藤(高一)
    • 18日伊勢原(8:35)〜大山町(9:40)〜大山頂上(10:30)〜ヤビツ峠(11:20)〜富士見橋(11:40)〜三ツ塔(13:20)〜烏尾山(13:45)〜行者岳(14:10)〜新大日岳(15:00)〜木の又大日岳(15:15)〜塔ケ岳(16:05)尊仏小屋(泊)
    • 19日出発(7:30)〜龍ガ馬場(8:40)〜丹沢山(9:00)(強風みぞれの為引き返す)〜尊仏小屋(10:05-11:20)〜(風雪の大倉尾根をかけ下る)〜大倉(13:10)〜渋沢(14:15)〜新宿(17:30)

    心細かったし第一に天気が悪かった。丹沢で人間に合わなかった事なんて今までになかったんだから、でもいい思い出だった。

  • 冬季富士合宿(12月30日-1月3日)C・L近藤、S・L水野、神原、大迫、新家(高二)、田辺(中三)、小倉、仲谷、松田(0B講師)
    • 30日新宿発(23:55)見送り人、部長近藤先生初め16名。
    • 31日大月(2:12-2:48)〜吉田(4:00-4:50パッキング)〜馬返し(5:25)〜朝食〜出発(6:30)〜一合(7:00-7:05)〜二合(7:30)〜三合(8:00-8:15)〜四合(8:45-9:15)〜五合佐藤小屋(10:30-11:45昼食)〜六合五勺テント地(12:40)
    • 1日出発(8:30)〜七合(練習地)(9:00)技術習得の為クラストした雪面で二時間三〇分練習〜昼食(11:30-12:00)〜テント(12:00)〜テント移動(13:20-13:50)〜六合小屋横へ移す。
    • 2日水野、新家、田辺、下山。近藤は馬返しまで見送り。(9:30)〜近藤テント着(15:00)
    • 3日テント撤収(9:00)〜出発(10:45)〜佐藤小屋(11:00-11:20)〜四合(11:45-11:50)〜馬返し(12:20-13:20)〜中の茶屋(14:05-14:25)〜浅間神.社(15:10-15:25)〜吉田駅(16:10)〜新宿(20:35)

    早大山岳部より小倉先輩に来ていただき積雪期登山の第一歩たる基礎技術の習得と雪中露営の方法とも教えていただいた。なお早大の中西さん(マネージャー)が最初から小倉さんと共に来て下さる予定で研究会の時なども夜遅くまで説明して下さったのだが身体の関係上合宿に参加されなかったのは残念だった。とにかく初めての雪中幕営ではあり、又合宿参加の部員も田辺(当時中三)を除いて他は皆高二であったので楽しい合宿だった。
    それにしても中学三年で皆について来た田辺の元気さは大したものだった。現在の中学生にもそれ位のファイトのある者がいる事を望む。一日早く下山した組は水野が盲腸が痛いと言ったので新家と田辺の三人を近藤が送っていった。その間テントには神原、大迫、とOB三人が残っていたがその間にも欲を云えば小倉さんに技術を指導していただきたかった。二日の夜は降雪。三日、晴れた朝をテントから這い出してみたらテントは半分位雪で埋っていた。朝食後すぐ撤収、下山。


冬合宿より

1954年(昭和29年)3月
  • 春季八ヶ岳合宿

    積雪期合宿として開部以来第一の合宿と自負したい。そしてそれも決して僕等だけの名誉ではなく部が出来て以来何年かの歴史と伝統の上に置かれて初めてその意義が評価され得ると云う事を忘れてはならない。ひらたく云うと決して先輩なしには、この合宿はおろか現に今こうして山が好きで好きでたまらたいと云う所謂"山狂い"にはなれなかったろうと云う事を(それを決して後悔しているのではたい)忘れてはならない。
    一月の富士の六合五勺にテントを建てた時が僕等の雪中露営の最初であった。そして恐らく部発足以来でも最初であろう。そして小倉先輩から教えを受けた技術を基として春の合宿はどこか手頃な山で.こく多面的な目的でやりたいと思った。即ち自身等の技術をより磨くこと、下級生に雪中露営の方法を教える事、そして合宿と云う以上まとまったアタックすると云う慾ばった考え(?)から岩と雪に富んだ八ケ岳を選んだのである。
    その具体的方法としては中村さんの代に行われた計画に真似て行者小舎附近の森林中にB・Cを建設した。そこは赤岳初め阿彌陀岳、中岳、そして横岳二三夜峯の良く見える場所であった。そして硫黄岳往復に少しでも有利なようにと、又稜線上のキヤンプを体験しようと赤岳石室の横にアタック・キヤンプを建てた。稜線での風雪の日の体験は非常に貴重なものであった。硫黄岳往復(神原、桐谷)に関してその帰着時刻の問題で少しいざこざがあったが、それにしてもこの合宿は成功したと信じる。




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