風来日記
西日本の旅
(第5回/4月15日〜4月21日)
4月15日 日曜日 曇り時々雨
6時40分起床 独りでホテルを出て港に沿って奇麗に整備されプロムナードを散策。
更にその先のグラバー邸まで歩く。 グラバー園と名前を変えて入場は8時からで今はクローズ。昔は自由に入れたと記憶する。
丘を下りて昔 (35年前?) 泊めてもらった松ヶ枝町のMさんの家の跡を捜す。多分これだろうと思う駐車場を見つけ、Mさんの結婚式の後、彼の父上と痛飲した事を思い出す。 1時間20分歩いてホテルに戻る。
9時、本日ドライブに同行予定のSさんご夫妻がホテルに来て出発。雲仙を越えて島原に行く予定。
10時半、途中のドライブインでブランチ。小生とSさんは長崎ちゃんぽん、和江は皿うどん。ベジタリアンのS夫人(ラティー)はオムレツ。味はマアマアというところなるも量の多さにちょっと辟易。
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12時20分雲仙温泉到着。お山の情報館(ビジターセンター)のPに停めてビジターセンター見学後温泉が湧き出している地獄を約30分歩いて回る。インド人のS夫妻にとっては珍しい景色らしく興味深げに眺めていた。
山を越えて島原に出る。普賢岳の土石流に埋まった家が記念館として残されておりその凄さをまのあたりに見る。あたりは皆新築の家ばかり。普賢岳の噴火は300年振りとはいえ土石流に襲われた土地に家を建て直すど根性を感じる。
3時、汽車で長崎に帰るS夫妻を島原駅に送る。
我々は、島原半島最南端からフェリーに乗り天草に向う予定。取り敢えず約34キロ先の口之津に向かい、そこの公共の宿くちのつを電話で予約し投宿する。部屋の窓から海岸の松林を通して雲間より幽かに東シナ海に落ちる夕日を見る。 盛り沢山の料理(9皿の料理と具雑煮にご飯)の他に、昔長崎のMさん宅にお世話になった時に食べさせてもらったあらかぶのつくり(¥1600)があったので注文。シコシコして深い味わい。でもこんなに高いものとは知らなかった。満足な料理と充分なお酒! 23時就寝。
4月16日 月曜日 曇り時々小雨
6時起床。独りでホテルの前の海岸を散策。天気は曇り、昨夜は雨が降ったらしく砂浜はしっとり湿っている。小さな漁港は船の出入りも無く静か。
7時45分朝食。昨夜の豪華料理に比べちょっと淋しい。
8時半出発しすぐ傍のフェリー乗り場より天草鬼池行きの船に乗る。ハッチの車も乗客もガラガラで9時出航。風は強いが波はそれほどでもなく静かな30分の航海後天草鬼池到着。港周辺は人影も少なく淋しい街。島を一周すべく反時計回りに走り出す。時折雨が降り、また薄日が射す不安定な天気。
和江流儀に従いみやげもの店で停めて物色するも取り立ててお土産になりそうなもの無し。和江はデコポンとイチジクのジャムを買おうと試食させて貰うが不合格。益々買うものなく困っている様だ。
内田皿山焼という磁器展示室訪問。コーヒーを「お好きなカップで自由にお飲み下さい」とあるも、作品はあまり参考になるもの無し。その上コーヒーは空!!
現役時代、猛烈厳しい予算で資機材を調達した思い出の九電苓北火力発電所に寄る。 PR館は無いが鑑賞温室を一般開放しているので懐かしさに立寄る。
胡蝶蘭の大輪がすばらしく小生が館内を一巡している間、和江は花の管理をしているおばさん(松本さん)と話を始め、小生の全国行脚の話までしている。行きがかり上、元IHIまでばらしてしまった。 小生が車で千葉まで帰る事を知った松本さんはミッキーマウスツリーという変わった苗木を2鉢進呈してくれる。持ち帰る苦労が心配なるも好意に感激。
妙見浦という絶景の奇岩というところに行く。確かにそれなりのものはあるが絶景とはちょっと言い過ぎ。波が高いのに数人の男女がスキューバダイビングしているのには驚き。
隠れキリシタンで今では聖堂の建つ崎津天主堂訪問。迫害にあいながら隠れて200年間連綿と信仰を守り続けた底力の怖さを感じる。子供の時に親から刷り込まれた事は絶対なものになる事を江田島の兵学校と併せ考えさせられる。
和江は近くのおじさんと仲良くなり情報を集め、牛深なら旨いものが喰えると聞き24キロ先の牛深に向う。この地方は皆人懐こく皆 笑顔で挨拶をする。豊かな土地なのだろう。
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牛深の道の駅に隣接する海鮮レストランで昼食とする。苓北発電所の温室の松本さんが言っていた「今は春雲丹といって雲丹が一番おいしい」という言葉を頼りに雲丹を捜したが本日は時化でダメと・・・・・残念!!!! しかたなくきびなごづくし膳というのを頼む。きびなごばかりでにぎり寿司、刺身、かき揚げ、南蛮漬け、ぬた、茶碗蒸し、味噌汁とそのほかにひじきの煮つけと盛りだくさんで(¥1,280)は驚き。和江は海鮮どんぶり。これも具沢山。
今回の旅の最西端の折り返し地点を牛深とする。磯々会S夫人の出身地でもあり意義深く感じる。ここまでの走行距離3,490キロ。
2時、ここから千葉を目指して東走開始。ガイドブック、観光案内資料、道の駅等で宿の情報を得ようとするも適当なものが無いのでそのまま走り続け熊本市内の公共の宿(警察関係)グランド肥後に投宿。立派な設備に感激。
夕食は宿舎内よりも気楽に歩いて数分の八剣伝というチェーン居酒屋。結構Goo!
ホテルに戻り、日記を書きながら眠くなって11時就寝。
4月17日 火曜日 曇りのち晴れ
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7時前起床。良い天気にハッピー! 8時20分ホテルの奇麗な前庭で写真を撮って出発。
和江を降ろす予定の福岡空港まで約170キロ。阿蘇山経由だと210キロとかなりハードとなり悩んだが、せっかくここまで来たのだし、それに天気も良さそうだし阿蘇経由とする。時間が足らなければ趣旨に反するが高速に乗る手もある。
新緑の阿蘇の雄大な景色の中でのドライブを楽しみ白川水源に行く。途中の道路は良く整備され気持ちが良い。和江も満足そう。
白川水源は阿蘇の伏流水が湧き出す泉。奇麗な池。空のペットボトル4本に水を汲む。ただし、環境整備協力金という美名の下に金(たった百円だけど)を取るのが気に喰わない。料金所でおしゃべりしている二人のおばさんの手当に消えるのだろう。
阿蘇外輪山の眺望を楽しみながらコンビニで買ったサンドウィッチとコーヒーのブランチ。単線1両のローカル電車がのどかに通り過ぎる。
阿蘇を降りて約160キロ、途中の道の駅でお土産を買いながら3時 福岡空港着。
和江と別れて東行きの途をとる。
スーパーで夕食調達、シート位置変更、車内清掃etc.
日本海に沈む夕日を期待して海岸の高台の空地に停めたが夕日は不発。
水平線に漁火が並んで見える。
23時就寝。
4月18日水曜日 小雨
6時半起床。僅かながら小雨。車内整頓、メール交信(時々Netに入れる)。
N氏より山陰のガイド受信 感謝。前回のガイドで田川市の石炭資料館を推薦いただいたが、ここから60キロ以上あり心残りもあるがパス。8時出発。行き先はとりあえず 海側を走り、遠賀川の川べりで朝食。味噌汁、野菜サラダ、納豆とご飯。
小倉を通過してN氏のもう一つのご推薦宗像神社にナビに従ってゆく。しかし小さな神社であまり見るものもなし。もしかすると別の宗像神社だったのかもしれない。 これもN氏ご推薦の小倉市内の田舎庵で天然うなぎを食べようと電話して駐車場の有無を訊くも、「無いし近くにも無い」とぶっきらぼう。諦めて本州に渡ることにする。門司まで来てナビに従って誤って北九州自動車道に入ってしまい小倉方向に連れ戻される。時間(約30分)も金(¥500)も燃料も無駄使い。
関門トンネルで門司に渡り、給油とオイルチェンジ。
前回西行きの時に見物を忘れて通過してしまった長府の街を訪ねる。
長府博物館訪問。博物館といっても大部屋に考古学、中世の歴史的な物、維新の資料それに下関のふくに関するものなど色々なものが並んで系統性が無い。
乃木希典将軍の大きな銅像が印象的。ちょっとがっかりするも車を停めさせて貰うので満足。長府は練塀に囲まれた家が建ち並び落ち着いた城下町の雰囲気を残す街。 気に入ったが、雨中ジャンパーを着て薄手の手袋まで付けたが寒かった。
でも途中で止んで薄日が差し出したのはラッキー。
近く(約30キロ)に温泉付きの道の駅があるので泊地として目指す。
夕日も顔をだし山々に囲まれた広い道の駅。
夕食(調理済パックおでん)の準備をし、日記を書き、入浴。
11時就寝。
4月19日 木曜日 快晴
6時起床。辺りは薄いミルクの中の様な霧状態。もう一度シュラフに潜り込む。
7時半、縮こまって寝ていた為に足が吊って猛烈な痛さに起床。
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近くに「楽しい老後」と書いたハイエースが泊まっている。重装備で自転車はおろかBSアンテナまで装備している本格派。声を掛けたかったが寝ている様で遠慮。
メール交信なぞをして8時出発して秋吉台を目指す。
石柱渓という道路標識があり予備知識はまるで無いが、名前が気になりちょっと寄ってみたくなる。ナビにインプットするとそれほど大きく迂回しなくても良さそうなので向ってみる。
石柱渓の傍に車を停めると地元の人がナンバープレートを見て「千葉からですかー!」
といって道の案内をしてくれる。「奥入瀬のミニチュア版」の由。約1キロの間渓谷に小さな滝が連続する それなりの景観。東京近郊なら観光客が連なるであろうがまるで人が居ない。約30分で折り返し静かな朝の散策を楽しむ。
少し走って道の脇に停めて朝食(天麩羅うどんとコロッケ)。
12時、秋芳洞のエレベータ出口でトレッキングルートマップをもらい、まず秋吉台科学博物館にゆく。豊富な展示物に分かりやすい説明で参考になった。秋吉台はそもそも珊瑚礁の隆起で3億年掛けて作られた台地である由。ブラインドケーブフィッシュという洞窟内で暮す目が退化した白い魚達が目が無くても活発に泳いでいるのに感動。
12時40分、約2時間の長者ヶ森までのコースを取る。見渡す限りのカルスト台地は隅々まで野焼きが行われ、今は若芽が伸び始めたところ。従って行き先の長者ヶ森までのほとんど歩いている人もいないトレールが良く見える。途中の小高い丘の上に山口県知事名で天皇陛下ご見学記念の大きな碑が立っている。すぐ傍に「この自然を後世に残すため如何なる施設の設置も禁止」とあるのに! 専横な権力に腹立たしさを感じる。暖かな日差しにひばりがさえずって、昨日の凍える様な寒さと打って変って汗ばむほど。所々にドリーネと呼ばれる大小の窪地があり、ここに雨水が集まり地下の鍾乳洞に吸い込まれていくらしい。そしていまでもそれが造成されていくのが判る。40分ほど歩いて、景色も植生も変化の無い単調な歩きに飽きて引き返す事にする。来た道と別の道をとるのにトレールを外れて歩いても全く問題ない。行き先も遠くにはっきり見えている。トレールを外れると蕨がにょきにょき頭を出している。摘んでいっても灰汁が無く処理ができないので諦める。遠くで袋一杯摘んでいる人が居る。長者ヶ森は何の変哲も無い森だけれど見渡す限り大きな木が無いなかでここだけこんもりと森が形成されているのが不思議。多分水が流れずに溜まる構造になっているのだろう。
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鍾乳洞は以前(とは言っても30年前)来たし、中国でも何度も潜ったので今回はパスして萩市に向う。
ガイドブックにある萩市郊外の笠山という椿の群生地に行く。ここに椿の家という店があって魚料理がうまいらしい。ここに泊まって魚料理を食べよう。
4時到着。椿の大群落。足摺岬(3/30)にも椿大群落があったがそれより木が太い様に思える。花の時期は過ぎてはいるが一部残っている。ピーク時(2/中〜3/中)は素晴しいのだろう。
椿の家の魚料理は4時半までで諦め、海の見えるPに停め泊地とする。
日本海に沈む夕日を刻々と見ながら一杯。しかし沈む少し前に雲があり海に沈むところは見られなかった。猫が3匹来て物欲しげにしているので魚の缶詰の残り汁を置いたら奇麗になめて、おかげで片づけが楽になった。
早めに10時就寝。
4月20日 金曜日 快晴
6時起床。晴天にハッピー。椿の森で給水。日記書き、記録整理などしてバッテリー残圧低のアラームで萩駅に移動。駅は殆んど人の出入りも少なく控えめな感じでレトロな駅舎。駅前の無料Pで朝食、日記、メール交信。東京のM氏(山口御出身)より電話で松蔭神社に行く事を勧められる。宮司は懇意の由。小生も最初に明治維新の端緒となる吉田松陰ゆかりの場所を訪ねてみたいと思っていたところ。駅前の観光協会で親切に且つ簡潔に案内を受け、早速松蔭神社訪問し、山口県神社庁長(そんな役職があるのすら知らなかった)を勤める上田宮司にお目にかかり、宮司自ら神社を案内していただき、吉田松陰の人となりのご説明を頂く。何処に居ても人を惹きつける魅力と知識溢れる人だった様でその為の努力も物凄い。
松蔭神社は今改築中で隣の門下生を祀る松門神社に合祀中の由。お参りをさせていただく。続いて古寓、松下村塾等を松蔭の教え方を含めてご説明いただく。
一人で来て見るのに比べて中身の濃い見学が出来て上田宮司にもM氏にも大感謝。そのうえ社務所にお招きいただき薄茶を一服いただき更に感謝。
吉田松陰歴史館(¥500)入館。松蔭の生涯を蝋人形で展示してあるが、解説は参考になるが、一生懸命作ったのであろうが蝋人形の印象はイマイチ。
境内の藤が九分咲きで見事。
伊藤博文の旧宅と東京の別宅を移築したものを見学。別宅はその豪華さが素晴しい。貧しい旧宅に比べ立身出世の激変を感じる。
毛利家歴代の墓所がある東光寺は山門だけ見て回りに点在する窯元の店を見て回る。どこの店もお客が無く、快く迎えてくれ萩焼のやさしい肌触りとともに人の温かさを感じ、見るだけなのに申し訳ない。
旧城下町に移動し、美術館前のPに停め城下町散策。この街はどこにも無料Pがありそれだけでも気に入った。街並みは無理に観光客目当てに作ったのではなく自然に昔のたたずまいが残ったいい感じの街並み。
木戸孝允(桂小五郎)の旧家訪問。8歳の時の字と11歳の時の詩と字を見てその素晴しさに唖然。 当時の素晴しき日本人と今の小生を含めた日本人の格差とその中間に位置する江田島の若者達を感じる。菊屋家住宅ではちょうど萩焼の有名作家18名の作品展示をしているので見せてもらう。案内のおばさんが付いて作品一つ一つの説明をしてくれる。
ゆったりとした時間を味わいながら家並みを歩き、「御食事処わらじ」という店に入り蕎麦を食す。大きな竹を輪切りにした丼代りの入れ物が趣あるが味はちょっと塩辛い。
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高杉晋作の家を見る。松蔭は松下村塾で近隣の子供達を指導しただけで、優秀な子弟を集めた訳でもないのに斯くも傑物が揃って輩出したのは松蔭の指導力の凄さを感じ、上田宮司のお話を反芻する。
萩城前の萩陶芸資料館見学(¥300)だれも見る人が居ないらしく小生が行くと慌てて電灯を点けてくれた。歴史的価値のありそうな作品に見入る。
近くのウェルハートピアで入浴。日本海を眺める広々とした浴槽にわずかなお客さんでゆったりと入浴。
各地で入浴していると入浴マナーの違いを感じる。九州ではほとんど前を隠さずに堂々と歩いていたが、ここでは全部の人がタオルでしっかりと分身を隠して歩く姿が印象的。
魚市場に隣接する道の駅しーまーとを泊地とする。魚市場だからシーマートなのだろうがあまり良いネーミングではない。ビールとウィスキーを飲みながら記録整理。
道の駅の中にある和食店がんがんで夕食。お勧めは市場直送の新鮮な魚が少しずつ付いた鯵からあげ定食(¥1500)。雲丹のにぎり寿司を含めて7品と豪華。これも含めて萩の町を本当に気に入った。
4月21日 土曜日 曇り
6時起床。旅行40日目。天気予報どおり曇りなるも今日は雨は降らないらしい。ものすごい数のカラスが煩く飛び回っている。
6時40分出発し近くの反射炉を見に行く。江戸末期に作られた反射炉で遺構が残っているのは伊豆の韮山とここだけ。しかし煙突だけが復元されて炉体の構造がわからない。韮山のそれは幕命によるものだがこちらは萩藩独力によるものの由。長州の気骨を感じる。
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気に入った萩に別れを告げ津和野に向い、山間の新緑と山桜を楽しみながら走り、8時津和野の手前の道の駅で休憩。山桜、山吹、アケビ、芝桜等などみな満開。散策しながら写真に収める。山葵の葉と茎を売っているので試しに購入。インストラクションに従い車内で洗って軽く熱湯に通す。
津和野駅前のPに停め観光案内で概要を訊く。まずは葛飾北斎美術館に入る(¥500)。「この地で北斎の絵が見つかったので」というかなりいい加減な設立理由ながら結構おもしろい原画を見る事が出来た。ただし北斎独特の海の波散る絵は展示換えとの事で見る事が出来なかったのは残念。僅かながら薄日が差し始めた街並みをそぞろ歩き。長崎の禁制キリシタンがこの地に連れられ受刑した事を知る。レプリカながら踏み絵も見る。 道筋に流れる小川に巨大な、多分今まで見た最大級と思われる、鯉がそれも沢山いるのに驚き。
郷土料理店でうずめめしなるものをブランチに食す。ご飯の下に細かく刻んだかおりある具があり、薄味の汁がかけてある雑炊風。もてなしにはお粗末なのでご飯のしたに隠してうずめ飯とした由。小京都らしい奥ゆかしさを感じるがそれが¥1200はちょっと行き過ぎ。味もちょっと鹹め。
駅のPに戻ると調度電車が着いて多くの観光バスが出迎え中でごった返す。
石見を目指す。 いわみ銀山は石見と書くことを知る。
5時、日本海に面する港の一角の空地に停め泊地とする。
今日も日本海に沈む夕日は見られなかった。萩で買ったべらごという3〜4センチの半干しの小魚を焼いて食べる。うまい。