風来日記

西日本の旅

(第2回/3月21日〜3月28日)


3月21日 水曜日(春分の日) 快晴

6時半起床。TVによれば昨日東京の開花宣言の由。気になっていた磯々会の花見のタイミングも予定どおり31日でOKかな?

部屋で日記書き。

8時、奥様肝いりの豪華な朝食。車の中の手抜き飯に比べなにもかにも美味しい。

昨日、N氏が作ってくれた熊野、高野の推薦ルートを復習する。更には車に行きナビのセッティングまでしてもらう。9時半、ご夫妻に送られて出発。ひたすらM氏が設定してくれたナビに従い走行。

13時、湖と山を眺めながらレトルトカレーライスとサラダの昼食。

13時40分谷瀬の吊り橋到着。高さ54メートル、長さ300メートル弱で日本一長い歩行者用の吊り橋。対岸の橋の端がはるか向こうに見える。試しに歩いてみる。横揺れが激しくバランスを取りにくく歩きにくい。両側からトラスを張っているがそれでは押さえきれないのだろう。風の強い時は怖いだろう。「橋の上には20人以上乗るな」との注意書きがあり、小さな小屋の中でジイチャンが監視をしているが実際は20人以上歩いている模様。

十津川の手前で三里山の水という清水があったので水を補給。3時40分本宮町の道の駅で熊野大社と熊野古道関係の資料を貰う。同時に日本全国の道の駅の所在地、設備の案内が出ている本を売っていたので購入。傍のスーパーで今夜の食材調達。

4時半熊野大社到着。130段の階段を登りきると古式然とした社殿がある。厳粛な気分になって参拝。

本宮前のPに戻り、道を隔てて歩いて数分先に大鳥居がある。明治22年熊野川の大洪水で流されるまで社殿がここに建っていた由。現在は大斎原と称し、日本一高い鳥居だそうだ。菜の花の向こうに聳え立つ大鳥居をパチリ。

先ほど買った道の駅の本で今夜の泊地を中辺路(なかへじ)の道の駅と定め、その途中にある湯の峰の温泉郷に山道を迂回する。ガイドブックには日本最古の温泉とあるせせらぎと幅の狭い国道を挟んで両側に温泉旅館がならぶ鄙びた温泉場。

その中につぼ湯というのがある。板囲いの小屋の中のこじんまりした公衆浴場。それでもなんと\750。

その温泉場には温泉を持って帰る為のスタンド(?)もある。10リットル¥100とは結構せちがらい。

泊地は予定衣通り熊野古道の傍の道の駅中辺路。坂の途中にある道の駅でPも傾斜しているが宵闇もせまってきたので泊まる事とする。

 

3月22日 木曜日 快晴

7時起床。朝食を摂らず熊野古道に入る道までR311をドライブ。地図を頼りに山の尾根にある古道に車で近づこうとウロウロ。親切な人が声を掛けてくれて教えてもらう。

8時45分古道と車道の交差するところに停めて歩き出す。けっこう急な山道だが良く整備されている。道標もしっかりしている。その昔、京都のお公家さん達がよく歩けたものと考える。

50分歩いて引き返す。さえずりがまだ上手くない鶯の声があちこちから聞こえ、スミレが咲いてやっと春になった事を感じる。

車にもどり途中で摘んだ蕗の薹をいれた味噌汁で朝食。

12時半、白浜を目指して出発。途中の産直市の店で新鮮野菜を調達。

13時白浜三段壁到着。どこが三段なのか良く判らないがスケールの大きな断崖を展望台から眺める。

歩いて断崖の上に行って見る。日本の観光地では必ず在る「危険なのでこれより先立ち入り禁止」の看板が無いばかりか手摺も無い。際まで行って下を覗き込んでいる人を見ているだけで足が竦む。

其処から1キロ弱の千畳敷見物。波に侵食された砂岩の広がり。去年行った青森県深浦の千畳敷の方がスケールは大きいが岩の形状に変化があり面白い。

白良浜(白浜の本当の名前はこの様に書くことを始めて知った)を通過して円月島を眺めながら岬の先端にある南方熊楠記念館に行く。Pに入ろうとしたら閉まっている。ガイドブックを再確認すると木曜日は休館。残念! 火曜と木曜はこの種のものは休みが多い。今後の教訓。

町営のPに停めて町営の風呂に入る。風呂場は2階にあり白良浜の本当に真っ白い砂浜を眺めながら入浴。

スーパーで食材購入後、白浜の街はずれに在るとれとれ市場に行く。地場の野菜、魚を売っている。スーパーで買い物をしなければ良かったと後悔。しょうがないので白子を購入して今夜の鍋の材料とする。

明日の予定の高野山を目指し20キロ離れた紀州備長炭公園というこれも道の駅を泊地とする。

停まっている車は一台もなくちょっと気味が悪いが景色の良い場所なので泊まる事にする。

 

3月23日 金曜日 快晴

7時、鶯のさえずりで目覚め。朝は寒いがそれでも数日前の凍える様な朝とは大分違ってきた。

隣に1台RVが窓に新聞紙で覆って泊まっており起きてきたら若いカップル。

高野山目指して走る。10時 山並みの見える峠道の脇に停めてブランチ。

麓には「チェーン必帯」との警告表示があった。今の時期にありえないと無視して通過したが、標高1200メートルの峠を越えて奈良県に入ると日陰には雪が残っているのには驚き。

13時 高野山金剛峰寺到着。大きなPに停めて参拝。傍に居た少年僧に奥の院のお墓の場所を聞いて2キロ先に移動。途中はお寺が軒を連ねている。

祖父の分骨した墓参りが目的。

別院墓所に到着後参詣道入り口の案内所に「個人のお墓の場所は何処に問い合わせればよいのか?」と聞いたところ「ここには数十万基のお墓があります。管理するお寺に問い合わせるしかありません。」との回答に途方にくれる。兎に角「弘法大師廟への参道に面しているお墓」という母から伝えられたキーワードを頼りに参道の古そうな墓石を丹念に。行きつ戻りつ見て回るが見つからない。別の一の橋案内所で聞くも回答はほぼ同じ。母に携帯で電話するも繋がらない。1時間半捜しお腹ペコペコで諦めて車に戻りインスタントラーメンを食べているところに母からコールバック。「御廟に向って左側。参道より数歩奥に入ったかなり広い敷地」という新たなキーワードを貰って再度探索。なんと割りにすぐに見つかった。今まで参道際ばかりを探していたのだが、確かに参道に面しているが墓石は10歩程奥まったところにあった。

墓の前に建てられた墓誌には八幡製鉄所従業員総代梶本金平謹誌とある。簡単な墓の清掃をし参詣後写真撮影。

帰る前に参道沿いにある「姿見の井戸」に健康診断に行く。中を覗いて自分の姿が見えないと3年以内の命とか。覗いて姿が何処に写っているか判らず焦って位置を移動してやっと自分の姿を確認してホッ! 一人で焦った自分に呆れる。

祖父の参詣を一度は諦めたが魂の引き寄せを感じながら高野山を後に和歌山港に向う九十九折を下り、途中の紀ノ川の川沿いのPを泊地とする。

 

3月24日 土曜日 曇りのち雨

7時起床。雨の予報だったが薄日が射す曇り。雨が降り出す前に川縁を散歩。今日は始めて薄手のジャンパーとする。雑木の新緑に心が和む。

朝食は後回しにして和歌山を目指し出発。和歌山城の周りでPを探す。

さすが徳川御三家の一つで威厳のある城構え。城内を散策するが天守閣には登らない。あちこちで復元した天守閣を見てもう飽きた。桜が多く植えられているが開花はもう少し。花の時期は見事なのであろうと想像する。

紀三井寺に参拝。朝の運動と思い231段の階段を休みを取らずに登る。寺内は何という事のないお寺。それでも西国33箇所札所の2番目とかで、その様な恰好(白い半纏の様なもの)をした人が行きかう。

ここに和歌山地方気象台季節観測用ソメイヨシノ標準木があるがまるで咲いていない。

ガイドブックによればここが早咲き桜の名所とあるがまるで外れ。

次のコースはここからフェリーで徳島に向う予定だが本日は風雨強くなり快適でなさそうなので明日渡る事にしてとりあえずフェリー乗り場視察。

その他、番所の鼻、庭園、和歌浦などの観光地もあるが雨でもあり車で素通りする。

駅前の本屋を見つけ四国のガイドブックを購入。スーパー銭湯に入り本日は余裕の一日とする。本日の走行83キロ。

 

3月25日 日曜日 曇りときどき雨午後は曇り

7時起床。朝起きた時の寒さが無くなりありがたい。

7時半スタート。昨日調査した和歌山港からフェリーで徳島に向う予定であったが、ガイドブックを購入して読んでみると淡路島も見所があり捨てがたいので35キロほど北の泉佐野から淡路島の津名へのフェリーに乗ることにしてR26を北上する。

日曜朝市とあるので寄ってみる。30軒ばかりの仮設の魚屋がならび見たこともない魚を並べられている。買ってみたいが車の中で料理できそうなものがないのでボイルしたホタルイカだけ購入(¥200)。

関空を通り過ぎ8:40泉佐野港到着。フェリー乗り場の様子がおかしい。駐車場も切符売り場もバリケードで閉ざされて人影もない。傍にいた釣り人に聞いてみたら、「今年の1月で休業したよ。淡路に行くなら和歌山から船で徳島に行くか神戸に回って本四架橋を通るかだね。」といわれ、良く見ると看板に「2月1日より休航します。あしからずご了解ください。」と書いてあった。大いなる悪しきにガックリ!!

朝食をとりながらどうするか考える。船の上で潮風に吹かれながらの朝食の予定だったのだが・・・・・。

ここまで来たのだからと意を結し、このまま北上して本四架橋を通って淡路に向う事とする。明石まで81キロ。途中昔おつきあい頂いた堺化学の工場横を通過して当時を思い出す。関空経由ここまで何度も日帰り出張をしたものだ。のんびり旅の出来る今に感謝。日曜のせいか道はすこぶるスムース13時本四架橋に入る。橋の取り付け部は3車線の長いトンネルになっている。明石の狭いところで橋桁の高度を稼ぐ為にしかたがなかったのだろうか。

淡路島に入った頃は晴れて気持ちの良い天気。道の駅あわじで観光情報を得た後、国営明石海峡公園に行く。入園料¥400の他に駐車料金¥900(普通車は¥500)。ばからしくなり止めて「あわじ花さじき」に行く。菜の花とムラサキハナナが満開で絨毯の様にひろがりその先に大阪湾が見える。ぽかぽかと気持ちが良い。ここは駐車も入園も無料。どうなっているのだろうか? 運営母体も書かれていない。

島の西側に回り北淡震災記念公園に行く。入り口に高架の国道の崩壊とトラックが転がっている実物大の模型があり圧倒される。40cm隆起し横に1.2mもずれた断層を保存してある。またメモリアルハウス(名前の付け方に違和感を感じるが)というのがある。断層が敷地を通過した家をそのまま保存しており、台所の壊れ具合を見るとそのすごさを感じる。更に震災体験館では震度7の揺れを実感できる。本物の地震だったらとその怖さを想像する。見応えのある施設だった。地震の爪あとをそのまま残して商売にするというアイデアには感心。入場料¥500。

淡路島の鳴門側の先端にある道の駅うずしおを泊地としてR31を南下。途中のスーパーで淡路特産品を購入。すずき、アスパラのお浸し、イカナゴのくぎ煮、焼きアナゴ。

瀬戸内に沈む夕日を見ながら南下していたら道が急に山側に入り、入日は見られなかった。

道の駅は瀬戸内が一望に見える丘の上で良いロケーション。

スズキに塩を振って焼いたら、身がしっかりして美味かった。これがなんと¥100。

 

3月26日 月曜日 晴

6時前に起床。昨夜は予備の毛布を使わないで寝たが寒くはなかった。やっと春になったのか? 道の駅の先端の鳴門海峡が見える展望台まで歩き鳴門大橋を撮影。

8時出発。4キロ弱の伊毘の港で観潮船に乗り鳴門のうず潮を見物に行く。8:30の出航間際になって潮見表を見誤っていた事に気が付く。渦の見頃(干潮)が8:50と思っていたが実は12:10。4月26日の潮見と見間違えていた。マッイイカ!!乗客は小生含めて4名。キャプテンとジイチャンのクルーが一人。うず潮までは5分で到着。なんとか渦らしいものを見たがわざわざ船に乗って見に行くほどのものは無し。それでも好天気のなかでのクルージングは最高な気分。

M氏ご推薦の人形浄瑠璃の展示館に行く。次の公演まで1時間30分以上待つことになるので止めて併設のうずしお科学館を見る。立体眼鏡で見る立体シアターが在るが内容が子供だましでお粗末。館内の展示品もこれでよく金(入館料¥500)を取るなという程度のもの。これもM氏の強いご推薦の大塚美術館に行くがなんと月曜休館。このところ天気は良くなった反面、種々の展示館には見放された感じがする。海峡が見える丘の上で朝食。パン、サラダ、コーンスープ、ウィンナーソーセージ。

11時 鳴門大橋通過して四国に入る。

鳴門の渦の道というのがある。鳴門大橋の道路の下に併設されている歩道を500m歩いてうず潮の上45mから眺めるもの。入館料が¥500の他に駐車料¥820で気になったが、Pの先を更に進むと無料のPがある。これがなんと渦の道の入り口の前。有料Pに停めてここまで歩いて来た人には悪いが停めて渦の道に入る。高所だけあって風が強い。上の道路を走る大型トラックの振動で橋が揺れる。そして歩道のところどころ下を見るための開口部が明けられ透明アクリル板が張ってある。結構迫力を感じる。干潮船では時間を間違えたので、ここでは干潮12時10分を待ったが渦らしいものは出来ず、がっかりの一緒の思いの大勢の人達と入り口に戻る。

徳島の街に行く。その昔(40年前?) 東亜合成のメンテ工事の新米監督として2週間ほど常駐したところなるも街の面影がまるで判らない。当時毎晩車で中心街に飲みに行き酔っ払い運転で宿舎の民宿に戻った事を思い出し歴史を感じる。

徳島ラーメン(徳島では中華そばというのが一般とか)の代表店に行こうとナビにインプットするもその店は閉まっている。ますます付きの無さを感じる。6キロ離れた別の店をインプット。王王軒という小さな店だが店内に入ると行列。10分ほど待たされ席に付き更に5分ほど待たされてオーダーの支那そば肉入小(小というのが関東の普通サイズ)が来た。濃厚な甘辛味噌味風味のラーメンで結構うまい。ご当地の食べ方は一緒に白ご飯を頼んでラーメンをおかずにご飯を食べるらしい。女性でもその様にしている。確かにこの濃厚スープはご飯が欲しくなるが小生はラーメンだけで満足。

県道11号を祖谷渓(いやけい)に向けて西走し、3時過ぎ、今日は早めに入浴(吉野川温泉)、食材調達を済ませる。脇町という吉野川を利用した藍と繭の集積地として栄えた昔の町並みを見物。観光客も居ない落ち着いた街並みを味わう。

その先数キロの貞光という道の駅に停めて泊地とする。川と山とが見える雄大な景色に満足。

 

3月27日 火曜日 曇りのち雨

7時起床。道の駅の向かいにある公園の水飲み場で給水とごみ捨てをさせてもらう。ここ貞光町は昔 葉たばこの集積地として栄えた街で2層のうだつを持つ家並みが特徴。朝の散歩を兼ねて歩いて見に行く。確かに特徴のあるうだつを持つ家が並ぶ。しかし電信柱とごちゃごちゃの電線があり折角の文化遺産の価値半減。そのうえ街全体が僅かながらどぶ臭いので更に減点。

北海道から来たというオッチャンが車内の設備を見せてくれといって来た。彼は家族6人で旅をしているそうだ。さぞ窮屈だろう。

車内清掃、メール交信などをして9時20分出発。大歩危(おおぼけ=大またであるくと危険の意)を目指す。10時15分小歩危(小またであるいても危険)到着。奇岩が連なっているのでそれなりの景観なるも水が濁っていて興味半減。その上流の大歩危も同様。大歩危を眺めながらハヤシライスのブランチ。雨も降り出し遊覧船に乗る気にならない。峠を越えて祖谷(いや)渓谷に行く。かずら橋を観る。丸太と藤と思われる蔓で作られた橋。大勢の観光客がキャーキャー言いながら渡っている。しかしスリルという点では先週渡った谷瀬の吊り橋の方が上。こちらは、長さも高さも短いし横揺れもない。でも形は趣がある。

ここから南下して高知に向う。

途中「日本一の大杉」という看板に釣られ寄ってみる。樹齢3000年とも言われている由。威厳のある2本の杉はそれなりに威厳を感じるもそれを見るのに¥200の入場料は如何なものか?

高知駅、かの有名な繁華街のはりまや橋を通過して高知港着。

ここは、近くに路面電車の停留所(桟橋車庫前)がありそれに乗るとはりまや橋に行けるのでここを泊地とした。

雨は一向に止まない。ビールを飲みながら日記、記録整理と写真整理。

6時半、傘をさして歩き路面電車に乗り蓮池町通で降り、ガイドブックご推薦の居酒屋「一本釣り」に行く。小生と同年程度のオッチャンが2人それぞれ淋しそうに(?)カウンターで一杯やっている。小生も彼らと離れて一杯始める。注文は当然かつおづくし。たたき、なかおち焼、はらんぼ(すなずり)焼など。たたきは焼きたててまだ表面が暖かく香ばしい厚切り!それにたっぷりと刻みネギと大蒜を付けて食すとさすが高知という感じ。はらんぼも油が乗って美味い。堪能してたっぷり飲んで¥3,870。

はりまや橋で写真を撮ってはりまや橋電停より路面電車で9時帰宅(?)

帰路は雨が上がっていた。

 

3月28日 水曜日 晴れ

7時前起床。天気良好に心晴れる。港周辺散策。南国らしく、港内に何本か植えられている背の高いヤシの木を眺めるだけで暖かくなる気がする。台風銀座のせいかそれらの幹をしっかりと固定するワイヤーが張られていた。

7時半出発。桂浜近くの坂本竜馬記念館訪問予定。8時過ぎ到着。9時開館まで桂浜散策。明るい太陽が気分を盛り上げてくれる。桂浜の端の龍頭岬からまだ早いせいか人影の少ない浜遠景の写真撮影。

9時調度に記念館に入ろうとするが、調度この時期坂本某の絵画特別展示で竜馬の展示は僅かとの事で止める。どうも付が回ってこない。

太平洋を眺めるPで朝食。焼穴子と炊きたてご飯(レトルト)が美味。

浦戸大橋という高知港海側の道を渡り県立牧田植物園訪問。牧野富太郎博士の業績とそれによる植物分類研究について見学。はるか昔中学時代、胴欄を担ぎ博士の植物図鑑を頼りに山中湖周辺で植物採集をしたのを懐かしく思い出す。植物研究では生計なりたたず、苦労した様子が伺える。まわりの庭内散策。果樹園のスモモが満開。日差しが暖かく快適。山桜の一種のセンダイヤが6分咲きで美しい。温室では蘭が満開で迎えてくれ、アイスクリームの香り付けのバニラの実を初めて見る。

12時20分出発し四万十川に向う。3時R56の道の脇に停めてサンドウィッチと稲荷すしの昼食。新緑が奇麗。

途中、散髪、キャッシュ引き出し、食料調達、給水と効率よく済ませるが四万十川の道の駅がナビのバージョンが古いせいか登録されておらず1時間弱ウロウロとロスし6時過ぎに到着。

小さな道の駅ながら四万十と周りの山に囲まれて快適な泊地。メールは不通。

今回の旅の累計走行距離2千キロを超えた。

 


[HOME] / [コラムTOP] / [表紙] / [第1回] / [第3回] / [第4回] / [第5回] / [第6回]