風来日記

西日本の旅

(第4回/4月5日〜4月14日)


4月5日 木曜日 晴れ

6時起床 荷物を整理して日記書き。7時半豪華で食べきれないほどの朝食。

8時過ぎ宿を出て歩いて港に向う。昨日と違って風が無く太陽が当たって気持ち良い。8時半の船で日生に向う。日生について降りようとするとクルーのオッチャンが「違うよ、ここは日生駅で日生港はこの先だよ」と。どうして小生が日生港に行く事が分かったのか不思議。でもその一言が無かったら困った事になった。

日生港で車に戻り備前焼きの伊部(インベ)に向う。駅前のPに停め駅の2階にある備前焼伝統産業会館に行く。膨大な量の備前焼の展示販売。その全てが釉薬を掛けない備前の焼締。その徹底振りに感心する。一つ一つを丁寧に眺める。更に近くのギャラリーを軒並み見て回る。20軒も見ると頭がボーとしてくる。駅前に戻り備前陶芸美術館訪問(¥400)。備前には物故を含め大勢の人間国宝がいるのが分かったが彼らの作品がどうしてその他の作家と隔たりがあるのか理解できない。分かる日が来るのだろうか???

更に西に走り昨日の民宿で紹介されたギャラリーに行く。陶芸体験が出来るというので紹介されたが時間が無いので体験は止める。

そこから日生方面に引き返し、備前藩主池田光政が庶民教育の為に作らせた閑谷(シズタニ)学校に行く。山の中にぽつんと立つ立派な建物。丁寧に切られ組み立てられた石塀が見事。池田家の家系図に池田茂正の名前を発見。僅かながら(3%?) 血のつながりを再認識。

相生まで戻りIHI臨海荘に投宿。現役時代は何度も泊めてもらったが、辞めてから泊まるのなんだか緊張。

6時半、伊勢田氏にピックしてもらい市内の飲み屋で、昔の仲間(國廣、国貞、伊勢田、橋本)と鍋を囲み痛飲。2次会は国広さんご案内で昔懐かし五島に行きよっちゃんに再会。楽しい一夜でした。

 

4月6日 金曜日 晴れ

6時半起床。臨海荘の窓より懐かしのパネル工場と相生湾を眺める。

記録整理して7時半朝食。チェックアウトして相生工場長室訪問。國廣、国貞、伊勢田各氏に昨日の御礼と出発のご挨拶。小橋、粟井の両氏にも再会。

8時28分出発。R250を西走して岡山に向う。

好天で暖かく眠気を感じたので途中の公園のPに停めて休憩。ちょっとウトウト。

岡山市内後楽園に行くが桜満開の為か駐車場満杯。やむなく大きく迂回して近くの空地に停めて徒歩で行く。後楽園脇に川が流れその土手の遥か彼方まで満開の桜が続くのは見事。ただしその下にやはり遥か彼方まで弁当を広げる人々々々。園内にも大勢の人。桜を入れて写真を取りまくる。澄んだ大量の水が園内を流れるのが美しくその傍に枝垂れ桜と枝垂れ桃が圧巻。約1時間散策。

倉敷に向う。ナビが変なコース取りをするので気になってうっかり信号を見落としヒヤリ! 注意しよう。

倉敷の美観地区の前のPは偶々集金機械の取替え工事中で本日は無料との事。ラッキー。大原美術館の庭を通って川べりの道を歩く。ここも桜と川となまこ塀がマッチして最高。ここでも1時間ほど歩く。歩きながら徳島名物の竹輪状のカマボコを焼いていたので軽食代わりに食べる。歩き疲れてエルグレコはパス。

今夜の泊地を鷲羽山と狙いをつけて走り。5時半到着。

瀬戸内海を挟んで高松が見える高台の広々したPを泊地とする。展望台に登りすぐそばに丸亀に通じる瀬戸自動車道が見える。

 

4月7日 土曜日 霧雨のち晴れ

6時起床。外は霧雨。昨夜よく見えていた四国高松は霧の中。ちょっと散歩したが景色も良くないので戻って車内でミルクティーを飲みながら日記と記録整理。

バッテリーの残圧少のアラームが鳴ったので途中で止めて9時スタート。

1時間ほど走って菜の花の咲く川の土手に止めて朝食(キャベツ炒め、若布の味噌汁、ご飯)、メール交信。

岡山県の観光パンフレットを見て笠岡市の干拓地に行く。菜の花3000万本との触れ込み。しかし点在していて圧巻というものでもない。途中の峠の桜を堪能したからマッイイカ!

福山のスーパーで昼食用にご当地のマグロの海苔巻きと稲荷寿司を調達し(トモ)の浦の港に停めて昼食。調度そこに和江から電話で代々木公園でお花見中の由。

鞆の浦は大陸との交易の港町で朝鮮通信使が「日東第一景勝」と賞した場所とあるので行ってみたが、瀬戸内に浮かぶ島々が美しいが同じような景色はいくらでもありそう。そこの街に残る本田家住宅見学。保命酒という健康酒の作り酒屋の工場兼住居。250年の歴史がありそれなりに趣がある。

保命酒は今でも製造販売しているが味醂に薬草をいれたものゆえまずそうで買わなかった。

R2に戻り尾道に行く。港に車を停めてロープウェーで千光寺公園に昇り尾道の街を俯瞰する。そこから瀬戸内を見下す景色と桜と、点在する短歌・俳句・短文などの碑を眺めながら歩く、文学の小道なる石段の坂を降りる。志賀直哉の旧居も残されている。以外に質素なしもた屋。

尾道のスーパーで食材調達をして安芸の小京都といわれた竹原に向い港を眺めるセブンイレブンのPに停め泊地とする。

 

4月8日 日曜日 快晴

7時起床。明け方は少々寒い。湯を沸かしてミルクティーを飲む。コンビニで朝食のサンドウィッチ購入。

朝の散歩を兼ねて竹原の美観地区に行こうと歩き出したが。結構遠いので引き返し、車で行き近くの空地に停めて散策。いままで幾つもの昔風の家並を見てきたが、この街は観光用に作られたそれとは違って昔の家並みがそのまま残された感じで落ち着きがあって素晴しい。長さは200mほどの路地の両側に並ぶ木造住宅で趣がある。20分ほど散策して呉に向けて出発。

途中の漁港に停めて朝食。サンドウィッチ、コーンスープ、サラダ。傍は選挙会場。

11時半呉市役所前で昔の友人Kさんに会い、彼のマンションに行く。HAはマンション前のKさん御用達しの飲み屋のPに停めさせてもらう。立派なマンション。

彼の飲み友達が近くで花見の宴をしている由。誘われて飛び入り参加。教会前の公園で10人ほどのおじさんおばさんが楽しげにやっている。今年は賑やかな花見は出来ないと思っていたが望外でハッピー。しかしやはり初対面の人ばかりでちょっと打ち解けられない。最後はKさん邸で締めの1杯。飲み続けの1日。

 

4月9日 日曜日 晴れ

6時半起床。Kさんが準備してくれたフライドエッグ、ハム、

レタス、味噌汁の朝食。

マンションから徒歩15分のところにある彼の事務所に行き昨日花見で撮った写真を彼のPCにコピー。

車にもどり記録整理。9時出発。昔一度行った江田島の海軍兵学校に行く事にする。行く前に市内の観光案内書で場所、行き方なぞを確認しようとナビに従い走るが場所が特定できないのでそのまま江田島まで約30キロ走る。呉とは海を挟んで目と鼻の先なるも大きく迂回して橋を2つ越えて10時15分到着。「今日は閉館」なんていわれる事をちょっと危惧したが毎日Openと聞いてヤレヤレ、それも午前中の見学は10時半の1回だけ。調度良いタイミング。

江田島OBの広報担当の人の引率で30名程度の見学者に入って回る。いろいろくだらない話も交えて説明するので時間がかかる。たとえば「校内の松の木は皆真っ直ぐに空に向って生えている。これは学生が毎日『キヲツケー!』の号令をかけているからです」など。本命の歴史資料を展示してある参考館は耐震建築に建て替え中で一部だけ別に展示中の由。ちょっとガッカリ。それでも海軍の歴史や特殊潜行艇回天で殉職した若者達の遺書なぞを見る事ができた。

純粋に祖国の為と信じて逝った人達の遺書を読むと教育の魔力とそれを先導した天皇を頂点とする人々に怒りを感じる。

12時見学終了。昔は酒保と呼ばれていた食堂で昼食。あら煮定食(¥600)が安くて美味。同じ道をたどって呉に。音戸大橋のたもとの公園のPに停めて散策。桜見物。2時呉港脇の海上自衛隊資料館到着。先週オープンしたばかりの展示館で機雷掃海と潜水艦について展示してある。最後は実物の潜水艦の中に入れるのには興味津々。こんな狭い空間に何日も閉じ込められて生活する事は小生にはとても出来そうもない。

その隣の大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)に入る。ここは有料(¥500)戦艦大和の10分の1模型が真ん中においてある。現物は236mあったが1/10でも23mと威圧する。その他にもゼロ戦の実物がおいてある。しかし隣が無料でそれなりの物が見られるのでこちらが見劣りする。IHI製のジェットエンジンも展示してあったが会社名はどこにも書かれていないのにはちょっとガッカリ。

2時間の見学後4時出発で広島に行く。

今夜はUとの再会の約束。「待っているから早く来い」といわれ趣旨に反するが高速で走る。5時Uの事務所兼邸宅到着。厳重な防犯対策が施された建物にびっくり。そんなに厳重にする必要があるのかな?

市内中心地の新天地にある彼のおなじみの飲み屋に連れて行って貰う。オコゼの薄作りにぽん酢、骨の唐揚げ、ノドクロの塩焼き、つきだしの竹の子の煮付け(これは旨いのでお替りまでしてしまった)などなど堪能。

Uさん邸に戻り奥様と再会。ハンサムボーイ(とはいっても32歳)の息子の圭一君(弁護士)にも会う。ウィスキーで2次会後1時就寝。

 

4月10日 火曜日 快晴

6時45分起床 写真、記録整理。9時半、Uが起きて来て今朝5時まで起きて仕事をしていた由。不規則な上睡眠不足と多量な喫煙を見ると彼の体調が気になる。

奥様の配慮ある朝食に感激。具沢山の味噌汁と旨いご飯に目刺、竹の子の煮付け等など。

Uの車で彼のプレジャーボートがおいてあるマリンに行き船を見せて貰う。彼の車もさることながらボートも凝りに凝った重装備に驚き呆れる。夜間高速走行を前提とした装備。それを殆んど出廷していないそうで勿体ない。さらにすこし離れた作業倉庫に行き別の船を見る。これは小型艇なるも装備充分。

事務所に戻り下関までのビューチェックポイントを聞いた後、別れを惜しんで1時出発。宮島に向う。

広島は一般道の交通網が良く整備されており高速道路並のバイパスで快適に西走。

宮島口に車を停め13時55分のフェリーで宮島に向い、17分で対岸の宮島着。

船着場を出ると早速鹿達が迎えてくれる。お蔭で街の至る所に鹿糞が散乱しており臭いもある。観光客にとっては鹿が居る景色は楽しいが住民にとっては鬱陶しいのではないかな? 歩いて厳島神社に行く。3人の姫の神様がご神体とかで赤い艶やかな作り。外国人の観光客が多い。さすが世界文化遺産であり観光日本のシンボル。約30年前米国のBechtel社のお客さんを案内して訪問した事を思い出す。潮は調度干潮で景色としてはイマイチ。でも周りの桜が満開で今ならではの景色を堪能。神社の裏山にある千畳閣を見る。未完成で天井が無く骨太で武士らしいの梁を眺める。重文の5重の塔を含め何処も満開の桜とマッチした景色に満足。入学さんご推薦の焼牡蠣はオフシーズンのせいか賞味出来なかった。

1時間半の訪問後フェリーで戻る。15分毎に運行するJRとプライベートの2社の船があり1時間に8本が運行する。さすが天下の宮島。

更に西に走り岩国の錦帯橋傍のロープウェーのPに停めて泊地とする。

パックに出来上がった豚汁の夕食。 日記を書いていたら今年初めての蚊が2匹。

 

4月11日 水曜日 快晴

6時起床。歩いて錦帯橋に行く。満開の桜を背景として橋の写真を撮る。良い時期に来られた事に感謝。早朝のせいで誰も居ないのがなお良い。

橋の袂に「槍倒し松」というのがある。大名行列が他藩の城下を通過する時は槍を倒すのが礼儀なるも弱小岩国城下では槍を倒さない。この非礼に対抗して松の枝が街道に掛かる様に植えて槍を倒して通らざるをえなくした由。長州の負けじ魂をほほえましく感じる。

早いせいで橋の通行料(¥300)が無料なのも益々Good!

帰りは上流の橋から帰り遠景の錦帯橋を撮る。佐々木小次郎の像を見るが顔が現代的過ぎる。岩国藩家老の香川家ゆかりの公園と裏山を約1時間20分散策。

8時、山口に向かい走り、途中の峠に山賊村といのがありここのPに停めて朝食。

ツナサラダ、味噌汁、ご飯。 早くも鯉のぼりを吊っている。

12時徳山の緑化公園Pに停め散策。ここでも鯉のぼり。満開の桜の海を泳ぐ鯉のぼりを始めてみる。さらにチューリップがこれも満開で良い景色。

磯々会N氏のメールによる旅ガイドに従い山口を目指す。 マレーシア駐在のI氏より国際電話で「徳山を通るなら実家に寄って行け」と。お誘いはありがたいがご本人不在の実家によるのはちょっとずうずうし過ぎるので辞退。色々な人が小生の気まま旅をサポートしてくれるのが嬉しい。感謝!

N氏お勧めのザビエル記念聖堂に行く。フランシスコザビエルはここでも布教活動をしたことを知る。残念ながら記念館は休館で聖堂だけを覗き、隣接の桜満開の公園を散策。中学生が大勢遊んでおり気軽に声をかけてくれる。

瑠璃光寺というのがあり行ってみると毛利の殿達のお墓の石段があり手を叩くと良い音で反響するうぐいす張りの石畳というのが面白かった。

国の重文の五重の塔が立派で美しい姿。五重塔資料館に入り説明を丹念に読むがその時は理解したつもりだったが 今、日記を書く頃にはその全部を忘れてしまった。

瑠璃光寺でもらった資料に常栄寺に画聖雪舟が作った庭というのがあるので行って見る。石を配した庭園なるも入園料(¥300)を払って見る程のものでも無かった。寺の受付のおばさんにこの辺の風呂屋を聞いたところ「ふれあい館」というのが在ると親切に教えてくれた。ここがなんと入浴料が¥100!設備も奇麗で庭園の入園料帳消し! ふれあい館前のPを泊地とする。

山口のすずきと烏賊の刺身の夕食。

山口の街は古い街ながら落ち着いた雰囲気だった。

 

4月12 木曜日 快晴

6時半 寒くて目を覚まし起床。モヤシの味噌汁を作って飲む。

7時出発して下関を目指す。8時15分 下関の手前のマリンホテルの大きなPに止めて休憩。和江から長崎にて合流の旨のTelあり。このペースだと14日長崎が調度良いのでそれでFix。記録・写真整理、日記書き、朝食(ツナと野菜たっぷりのサラダ、刺身のズケ、納豆とご飯)。ゆっくり滞在。

関門トンネル人道入り口を見に行く。エレベータで降りて見る。九州まで歩いて13分、結構歩いている人が居る。入り口で写真だけ撮って戻る。

この下で写真を撮っていたら傍に歴史体感紙芝居というのがあった。猿若姿のおばさんが紙芝居で壇ノ浦の合戦を含めた約10分の観光案内を無料でしてくれる。小生ひとりでちょっと照れるほど一生懸命の演技。おまけに絵葉書のお土産までついている。そのおばさんに教わって宮間神宮に行く。壇ノ浦の源平の戦いで破れた幼き安徳天皇を祭る社。社のすぐ前の海峡を大型コンテナ船が通過するのが面白い。神社の裏に平家の武士の墓がありその脇に耳なし芳市の像がある。ちょっと現代的な顔でがっかり。宮間神宮の隣に日清講和会議が行われた春帆楼がある。今でも割烹旅館ながら講和会議の資料館を併設し無料Openして、再現した会議場の立派な調度が見られる。中学時代、日本史の先生に教わった伊藤博文のトリックが何も書かれていない事がちょっとガッカリ。

下関市場のPに停め昔の建物散策。旧英国領事館、秋田商会、南部町郵便局(現役の最古の郵便局)等を観て回る。どの建物も下関港を臨む目抜き通りで未だに現役で使われている。運動公園の水のみ場で給水。

今夜は下関に泊まってふく料理でもと思ったが適当なPが見当たらない。しかたなく関門を渡って九州に入る。関門トンネルはかなりの急勾配。上海の黄浦江隧道を思い出す。距離も同じ位。ただし向こうは無料ここは\200(それでも安いか!)。

関門を見下す絶好のロケーションのめかり公園のPに停めて泊地とする。本州を越えて日本海への落日を期待したが、途中で雲の中に入ってしまった。

日が落ちると関門両サイドのイルミネーションが徐々に艶やかになり、それを見物にヤングカップルが次々と車を停める。すぐ傍の門司の光より海峡の向こう側の下関の方が光が多く奇麗。街の大きさの違いだろう。

 

4月13日 金曜日 曇り のち豪雨

6時起床。太陽は出ていないが遥かに瀬戸内が眺められる。7時 唐津を目指して出発。3月13日に出発して早1ヶ月が経過。最初の頃の寒さはどこへやら。

小倉を過ぎた所でコインランドリーを見つけ洗濯。着替えはまだ余裕があるが早めにしておこう。その間にメール交信と朝食(クラッカーとレトルトハヤシビーフ)。

福岡の海の中道に行く。名前が気に入って予てより一度行ってみたいと思っていたが来てみるとなんちゅう事は無い海岸沿いの道。道の両側に海が見える所はあるが当然ワンカットの写真には撮れない。

2時 透き通った海水の海岸に面したPに停め遅い昼食。タップリの野菜サラダとコンソメスープにクラッカー。

3時半唐津到着。到着直前から豪雨。しばらく待っていたら治まったので唐津城から唐津の街並みを眺める。樹齢100年のクネクネの藤があるが満開は今月末で今は一分咲き。

駅前の陶芸展示館に行く。唐津の土は作りにくく好きになれないが意匠には参考になるものがある。そこを出ようとしたらまた豪雨。走って車に戻り中里太郎右衛門のギャラリーに行く。歩いて行くつもりだったが雨ゆえ車で行く。着くと同時に雨が上がる。趣のある庭を配した展示館。落ち着いて作品の一つずつを見る。すばらしい作品ながら、それにしてもどうしてこんな値段になるのだろうか?

他の窯も覗きたいが夕方もせまってきたので唐津を離れ伊万里の街の手前の道の駅「ふるさと村」を泊地とする。田圃の向こうに山が見えネーミングの良さ!

 

4月14日 土曜日 晴れ

6時40分 起床、7時に出発して30分で伊万里到着。駅前のコンビニのPに停め買い物をして伊万里の街並み見物。古伊万里の積出港だった伊万里津まで歩く。小さな川でヨーロッパまで行く船が接岸できるのか気になったが、後で説明を読むと長崎の出島で積み替えとある。それにしても小さな川の港。

有田に向う途中、「歴史と文化の森公園」という盛りだくさんの名前の公園で朝食。広々として緑あふれる公園で古窯跡やゲートボール場があったりして気持ちよい。回りの山々が霞の向こうに見える。

10時前、九州陶磁文化館に行く。駐車場の脇に陶器製の大皿が置いてあり直径2.2m、重量500キロとある。3cm程の厚さのタタラで作り繋いである。館内は九州一円の焼き物が展示してありじっくり見せてもらう。別室に膨大の数の古伊万里のコレクションの展示。一個人の寄贈の由。

大金持ちだったのだろう。しかしどうも古伊万里の良さが分からない。

有田の街を車で走る。昔案内してもらった対山窯がみつからない。街はずれにある陶磁器のデパート丸兄という店を覗く。あらゆる用途の膨大の数の磁器に圧倒される。磁器のふすままである。

13時25分長崎大村空港着予定の和江をピックに行く。13時前に到着し車内清掃、シートの向き変更。13時40分和江が到着し長崎市内に向う。

30年来の友人インド人のS氏夫妻に会いに行く。彼は今MHIのプラント部門に勤めている。3時彼が手配してくれたホテルサンルート長崎にチェックイン。S氏夫妻が向えに来てくれ、歩いて3分の彼のマンションに行きビールで再会を祝す。03年に上海に来てくれて以来。インド料理のスナックも旨い。

S氏ご夫妻の案内により市電で浦上平和公園に行き平和を祈る。何度も長崎に来たが平和公園と天主堂は初めて。天主堂は残念ながら閉まっており中に入れない。市電で戻り新天地のショッピングアーケードを4人でぶらつく。S夫人ラティー行きつけの露天の野菜屋で今夜のつまみ用にそら豆を買う。また電車で彼の家に戻りウィスキーと氷を購入持参しディナーのご招待を受ける。勿論インド料理。チキン、サーモン、ホーレン草、豆の夫々のカレーとチャパティにサラダ。そら豆はインド人の口には合わないらしかったが楽しい会話とウィスキー。10時過ぎ辞去しホテルに戻る。


[HOME] / [コラムTOP] / [表紙] / [第1回] / [第2回] / [第3回] / [第5回] / [第6回]