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[chronicles]
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1985年度をふり返って
金沢大介 |
四月になってから僕は医者に復帰を許されリーダーとして活動を始めた。だがのっけから失敗であった。4月、5月と過ぎても一人も中一入部者がいないのである。オリエンテーションでは数多くの中一と話をし、入部しそうな者もいたが結局は入らなかった。なにやら今年の中一学年会は生徒に対し、十分検討してから入部するようにと言ったそうで、これでは入部者は望めそうもない。その後中一の教室へ乗り込んでの勧誘、オープン山行と次々に勧誘活動を行ったが、結局効果はなかった。 |
これはかなり深刻な問題だと僕は思った。しかし他の部員は平々瓢々としており、中一がいなければいないなりにやる、という感じだった。僕は再三説得を試みたが効果はなく(説得の仕方がまずかったのかもしれないが)しまいにはこちらが折れた。 |
次に浮かび上がった問題は高二が夏で引退すると、夏からは高一一人、つまり山中一人で下級生を指導していく様になることであった。中三はまだ入部してから間もないのでまだ指導はできないだろう。これはかなりきつい。従って我々は夏で政権を譲るのはまだ早いと考え、引退を夏から冬に延期した。そうすることで下級生を少しでも上に引き上げ、山中の負担を多少なりとも軽くしようとしたのである。しかしここで文句を言いだしたのが小田で、彼は夏で引退すると言って聞かず、結局夏の高校合宿が終わった後一人で引退した。本当なら退部であるが、半年間リーダーをやってくれたこともあり、引退ということにした。僕としては引退は一緒にしたかったし、一緒にするのが当り前と思っていたのでとても残念な事だった。 |
夏の高校合宿終了後は中学生のレベルアップを中心に活動し、中学合宿は係をそれぞれにまかせ、月例では長距離を歩くなどして着実に力をつけていった。その甲斐あってか、冬合宿では非常に頼もしい姿を見せてくれた。 |
この冬合宿で我々の世代は正式に引退した。リーダーは山中に、会計は岡本にそれぞれ引き継いだ。我々が引退すると弱冠四名になってしまったが、非常に密度の濃い四名なので、少数精鋭で頑張っていってくれると思う。 |
この60年度は山行の面においては非常に充実したものが多く、これも部員全員の結束の固さの証明である。今までの経験をバネにしてより充実したものにしていって欲しいと思う。最後に、顧問である増子先生、野本先生、平野先生、そして代表指導委員の高坂さん、その他OB諸氏、大変お世話になりました。深く感謝します。 (1986年記) |
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