[chronicles]



1959年度(昭和34年度)をふり返って

早崎裕久



いま昭和34年度を振り返ってみると、運動部と文化部の両立運営という事の難しさを心底、認識せしめられた年度であったと回想する事が出来ます。

格闘競技でもなく、タイムレースでもない登山競技は、定性の世界です。天象、地象、地理、歴史、総ゆる自然科学や、人文科学に挑戦し、また、挑戦され、自己の体力をローソクのように削ってゆくスポーツ。冬季の峻峯に自己最高の足跡を求める反面、旬日を経ずして、過去何度となく、足を踏み入れた陽光の山野に新らしい自分を求める。格闘競技やタイムレースでは、ありえない事であり、また許されない事でもあります。しかしながら、山岳部ではそれが許され、それを「是」とするのであります。それが、研磨に繋がるからです。このようた多くのファクターを有したスポーツが、他にあるだろうか、私は、ここで登山競技は十種競技である等と、卑近な対象はしたくない。登山競技は、もっと深淵なものであるからです。

登山というスポーツに必要なのは、何者にも打勝つ体力、何事にも負けない精神力。そこまでは他のスポーツと同じである。が、登山競技というより、山岳部活動にあるのは「体力」「精神力」そして「生活」である。このような事が他にあるだろうか。十五世紀の遠洋航海者、砂漠や荒原を流浪する西域の民、トナカイを追って雪原を彷徨するエスキモー、大遠征する蒙古軍や、アレキサンダー大王軍。山岳部とは真に彼等なのである。しかし、それだけではない。登山には「愛でる心」があり、必要なのである。これが最大の特徴である。それら全部を包含したものを私は「スポーツアルピニズム」と定義づけている。

「運動」あるいは「スポーツ」、というような定義をするには、余りにも、深く、大き過きるのが、登山であり、山岳部でもあります。文頭に、山岳部とは文化部と運動部の性格を兼備えたスポーツ団体であるかの如き、安易な表現をしたのは、高校生が運営するには、余りにも、大き過ぎる世界であるがための、百歩退った自己暗示表現なのです。

昭和34年度を振り返り、その時の心境を思い出すと、体力と精神力と技術力の養成は、他の運動部と違って、各部員の問題意識のボトムアップを如何に上手に行なうか、という点にかかっている。山岳部に入部する人間は、自分が気が付かないのに「愛でる心」の遺伝子を潜在的に持った人間です。体力も精神力も技術もなく、ただ潜在的に「愛でる心」の遺伝子を持った人間を、山岳部員として育てる難しさ。そのためには、OB会より派遣する、指導OBが、個々の技術力は勿論「愛でる心」をなにほど顕在的に有しているか、という事が、非常に重要になって来ます。優秀なOBに指導された各部員は、卒業し、OB会に入会するや、必ず「愛でる心」を発芽させた素晴しい人間にし、本来のスポーツアルピニズムを消化していく事と思います。

麻布学園山岳部は部員を、単に「旅行好き」や、「ハイカー」にしてはならない。また「尖鋭化した登攀職人」にしてはならない。それらは、その目的のための、他の団体に任せるべきであり、麻布学園山岳部は、「登山」を媒体として、「体力、精神力、生活技術力、登山技術力、愛でる心」を養成し、「本当のスポーツマン」をはぐくみ、スポーツアルピニズムに立脚した「登山愛好家」を育てる団体であります。

私は、昭和34年度に、前述の事を学び、また、OB各位の秀れた指導と部員諸兄の無私の協力を受け、それらに裏付された充実した山岳部生活を送る事が出来ました。前述中、大変くどく申し上げておりますが、「体力、精神力、技術力、愛でる心」の涵養はややもすれば、二律背反、両刃の剣に陥いり易い懸念があります。今後のOB会の指導方針に期待する事、大、であります。

(1976記)




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