[chronicles]



1949年度(昭和24年4月〜26年3月)をふり返って

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笠原達雄



麻布学園山岳部も年と共に組織化してきたようです。私達の時代とは数段の進歩を残しています。当時はただ有志の集りのような形で今日のようなやかましい規則もなく、学校の勉強など返り見ずに気儘に山ばかり遊び歩いていた。

私達が先輩からバトンを渡されたのは昭和24年の4月からで高校二年生になった時だから、八年余り前のことになる。何かとうるさい先輩がいなくなって喜んだものの、いざ自分達だけでやっていくとなると、仲々心もとなく、今迄先輩の後を必死になって、くっついて歩き廻っていたのが、急に引張り廻わしてくれる人がいなくなって当座はすっかり息を抜いてしまった。今から振り返って思うと第二回神ノ川合宿のときなどは雪のためとは云え、何とだらしがなかったかと自分ながら恥しい。しかし、そうそう呑気にしてはいられないので4月の末には新人歓迎山行、その年の5月、文化祭の時に南アの仙丈、駒ケ岳、夏の合宿は南ア赤石、聖岳と結構張切った。当時の赤石、聖岳の山行のときなど一週間の間、人一人会わず小屋などは屋根は削がれ、無論、管理人などもいない全くの秘境の地を行く思いで探検家気取りでいたものだった。

当時の部員は下級生が割合に少なく、私達高二は内田、後藤、佐近の三者と私の四人で他に高三の吉田さんが協力してくれた。

現在と非常に違うことは食糧事情が悪く、山行のたびに悩みの種になるのは家から食糧を貰うことで、主食の半分はパンや小麦粉で間に合わせなければならずベーキング・パウダーなどを使ってパンを焼いて食べたりした。

世の中ではよく「買出し」と云って食糧を求めて近郊の農村に出掛けた時代だから、今日のように一般の登山者やハイカーなどはいる筈がなく、山麓の人々は重いザックを背負って歩いている我々はよほど物好きに見えたらしい。

[1950年度の総括へとつづく]




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