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[chronicles]
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1949-50年度(昭和24年4月〜26年3月)をふり返って[2/2]笠原達雄 |
[1949年の総括からのつづき] 高三になって部に始めてテントを備えることが出来た。ミード型である。そのテントを始めて使用したのは夏山合宿の南ア北部縦走のときだった。戸台から仙丈?野呂川?間ノ岳?北岳?鳳凰のコースであった。北沢峠から仙丈の登りにかかるころから雲ゆきが悪くなり、薮沢のカールにさしかかるころに猛烈な夕立に会い、体にぶつかった雨は服の中を流れ体温を奪って地に落ちる。体は寒くて震えが止らない。余りの急にテントを取り出してポールを立てずにもぐり込んで中から手で支えていたが、そのうちに雨漏りが始った。皆んながその雨漏りを避けてテントの中で移動し始めたので今度はテントが動き出した。これはえらいことになったと思い、私はテントから飛び出して附近に平地を探したが中々適当な所が見つからない。そのうちに歩きもしないのに呼吸が激しくなっているのに気がつき、これはいけないと思って思い切って森林帯までテントを移動することにし、大声でどなってテントの中の者を外に出して、やっとの思いで森林帯の平地までテントを移動した。しかし一旦濡れたテントの雨漏りは防げず、その晩は全員ザックに腰を下して夜を明かし.た。雨は翌日の昼過ぎまで降り残ったが小降<り>の時を利用して食事をしたり、濡れた物を乾かしたりして一日を潰してしまった。今から思えばお笑いぐさで時々思い出しては笑っている。私達がテントを張って夜を過した所は今は小屋が建っているそうだ。 もう一つの思い出は南ア聖岳でブロッケン現象を経験したことだ。大沢岳から兎岳への尾根である。遠山川側から押し上げる霧は尾根の近くで消えていった。反対側赤石沢の方から朝日が指しているときである。ふと見ると西側の霧の中にニジの輪がかかっている。そして、その中に自分達の影が映っている。まぎれもなくブロッケン現象だ。始めて経験した私達は有頂天になって喜んだ。そして簡単に悟りを開き、真野さんは真野超特上人(シンヤチョウトク)、内田君は内田上人(ナイデン)などといって、速成上人が出来上った。これなどはえがたい経験をしたと思っている。 大した成果も挙げないうちに学校を追い出される時期が来て、次の代の人達の活躍を期待しつつ、バトンを譲りました。(1958記) |
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