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■ 2002年度 冬合宿 感想    野本 勇  [2002/12/28]

02年度、冬の(合宿)トレーニングに行ってきました

 今回も、計画書が出ずに、最終的な計画書が手元に届いたのは、24日夜でした、それも自分でメールを印刷して手に入れたものです。

 もちろん、12月の始めに、松江を呼んでどうなっているか確認し(冬合宿は行く・場所はどこがいいですかとの返事)、幾つかアドバイスをして、試験前には報告するように伝えたが、まてどくらせど 返事はなし、学校の生徒委員会の先生から、まだ合宿の計画書が出ていないけど、早く出すように催促を受けたので、提出最終日に、私が勝手に 北八が岳の白コマ池周辺(雪山に慣れるのにちょうど良いかと思えて)、中学3名で届けを出しておく。(今までの土本学年と同じではないか)取りやめてもいいんですが、初めての松江の計画だから・・・・・・春合宿からは知りませんと 伝えてあります

 テストの最終日に、松江を呼んで、確認するとテスト前に計画を立てたのだが、藤森が30・31日しか空いていない、高橋が25日まで、塾があり日程が取れないとのこと。松江一人では冬合宿が行えないので若干パニックになっていたようで、計画がストップしていました。(そんなこと早く顧問に言えよ)。もう日程もなく、30・31日では学校としては休業日で基本的にクラブ活動を含めて活動停止期間なので、学校としては合宿は認められないこと。山岳部としてOB引率のもとに山に行くことはかまわないことを3人に告げて、松江一人でも山に行けと指導。松江は一人でも行く気になったのですが、一人では北八が岳にいっても仕方がないので、彼の力で登れて、少し雪があり、ちょっぴり寒いところ、彼がまだ登っていないところ等を話していたら 奥多摩に登りたいというので 雲取山をすすめました。

そこで出来上がった計画書が次の通りです。

計画書はこちら

 計画書の中に、高2の佐藤が入っていますが、計画書のチェックと一回目の準備会を開いたときに、佐藤が手伝いに来て、私と松江で荷物の分担をしていたら、荷物を持ちますので参加していいですかと打診したので、松江の負担を軽くするために、参加を認めました。(松江一人では合宿というのには恥ずかしいので参加を認めたのが本音です)

合宿当日、朝8時立川集合では、満員電車に大きな荷物を抱えていい大人が乗り込むのもいやなので、少し早めに家を出ました(大失敗でした)。立川には30分以上も早く着き(もしかして早めに集合しているかと期待をしていました)一人で寂しく待っていると、なんと土本が現れびっくりしました・・・・佐藤から雲取に行くと聞いて、個人山行として一人用のテントも持参で参加したとのこと。個人山行ならばOB会に計画書出したかと聞くと、出していないとのこと(駅でお説教もいやなのですが、個人で行く場合にも、OB会・教員に計画書を出す必要のあることを言う羽目になりました)
 集合時間の8時ジャストに佐藤が見え(集合時間の10分前には来なさいとお説教)しかし、肝心の松江がこず、自宅に電話すると、少し遅れて出たが8時頃には着くように家を出たとのこと。奥多摩行きは本数が少なく次の電車を乗り遅れると やきもきしていると 15分程度遅れてやってきました。結局電車に乗ったのは、私が駅に来てから1時間近くたってからでした。彼ら曰く、満員電車を気にせず集合時間に来ればいいんですよ・・・(麻布生でなければ 切れて 帰るところ ・・・ 学校の授業ではないんだから早く来いよ(もちろん学校の授業も遅刻してはいけません))

電車の中ではいつものごとく よく眠っています。

鴨沢は快晴で、少し暑いくらいでした。右上。準備を整えて・・・ 

久しぶりの山行でバス代に荷物料金を取るというので、バスの運転手に幾らか聞くと、荷物を見ながらいいですよの一声。観光客も少なく乗客に迷惑をかけないからか、昔の表示をしてあるのか・・・・ともかくバス代が安いのは助かる。

歩いて1時間もしない内に、先日降った雪が現れ(途中で営林署の人が道を整備していたので聞くと、例年になく40?ほど積もったとのことでした)

 雪に少しは慣れていると思った松江でしたが、だいぶ手こずったようでした。雪だまりに足を取られてズボンをだいぶ濡らしていました

天幕場に着く頃には天候が悪化し、かなり松江が寒がっていました。4時過ぎて天幕を張ったのですが、松江は寒がって動きがかなり鈍く(雪山の経験が少ないのでしょうがない)ポッとしているので、少々怒鳴りながら天幕を設営させる(自分が生徒だったら寒いんだから少し暖まってからでいいでしょと思うかも)。さすがに佐藤もテキパキとは行かないが、頑張っている。松江は雪山の設営が初めての様子で、竹ペグの取り扱いが分からないようだったので、見本を見せるつもりが 結局私がほとんどやってしまい、テントの中に彼を放り込んで個装をまとめさせました。テント設営が終わる頃には、低気圧の移動でだいぶ風が強まり、寒さも一段と増してきました。

 松江が、靴と靴下がだいぶ濡れて、凍傷になったらどうしょうかと騒ぐので、まず乾いた靴下に取り替えさせて、凍傷の一般的な講義をし(少々のことでは凍傷にならないこと、凍傷になる条件など話して聞かせた、原因はスパッツを付けずに雪だまりにつっこんだこと) ← 私も初めて雪山に行ったとき同じような経験をして焦ったことを思い出してしまった。

 やることが無いので、5時30分には 夕食の準備に取りかからせ、夕食が出来るまでにお茶でも入れろと、佐藤に言うと・・ガスコンロのヘッドを土本と取り合っているではないか。話を聞くと、急遽土本が参加することになったので、土本にヘッド(団装として持っていた)を持ってくるように伝えたところ。食事も別に作るということで自分の分としてヘッドを持ってきた。合宿としてはヘッドを持ってきていないということ。予備として、計画段階から私がガスコンロ一式を持っていくことになっていたので、合宿本体は私のヘッドを使うことになり、食事の準備だけで、テント内の暖房にもお茶を沸かすことも出来ない状態になり、食事が終わったらやることも無く、6時30分には就寝になった。

 天気予報が当たり低気圧の移動で風と雪が強まり、テントが大分うなっていた。10時頃テントの外に出てテントの張綱を点検している気配がして目が覚めると(さすが佐藤とそのときは思った)しばらくして松江が戻ってきた、佐藤はけっ飛ばしてもおきそうにもなく、熟睡しているもよう。松江にご苦労様と声をかけると、先生4時すぎています起床しますかというのにはびっくりして、時計を見直して、「今10時30分だよ。まだ早すぎる」とシュラフの中に潜り込ませた。(次の日に話を聞くと、単にキジ打ちに出ただけでした)


 2日目の26日は朝から快晴で(奥多摩は冬型気圧が強ければ快晴になる)朝方は冷え込みました。朝の準備で、松江が靴が凍ってしまってはけませんとの申し出る。無理矢理足をつっこんで靴紐を結べとの指示 足が凍傷になったらどうしょう 足の先が痛くとも動けば凍傷になんかならない(昔、このように生徒の声を無視して靴を履かせ歩かせたことを思い出した。この生徒の親子共々、もしかしたら未だにこの受け答えに反感を持っているかも)。私も昔2月に袋田の滝に氷壁登攀の訓練に行ったときに、ビバークをかねて氷の上で寝て靴を凍らせてしまって靴が履けずに困ったこがあった。

 松江は、昨日の道を通って帰りましょうと、心細いことを言い始めた。それでも頂上にはいきたいらしく、頂上をアタックして戻りましょうというので、頂上まで行けば、戻るより先に(三峰口)行った方が楽だと言いながら予定の行動をとらせた。朝の準備と撤収に若干手間取り、出発が7時近くなってしまった。朝が冷えた分雪がしまっており頂上までは昨晩の風雪でトレールが消えていたが、それほど雪も深くなく順調に頂上にたどり着きました。朝の天幕場写真左 と途中 写真右

 お汁粉を作らせ30分ほど休憩した。・・・頂上の避難小屋を改築したと聞いていたが立派な建物に変わっていたのはびっくり・・・


 この先も、トレールを付けながらとなると、三峰口まで今日中に帰れるか不安だったのですが、頂上で6名ほどの高校山岳部員(学校名は聞かなかった)がおりまして、トレールが付けられているので一安心した。佐藤一人ではかわいそうかと思いつつ、松江では心許ないし、土本は何となくばてているし、私は体中痛いし・・・・・  

 先が長いので、適当に切り上げて出発。この先基本的に下りなので、と自分に言い聞かせたものの、以前逆コースを歩いた時、えらく時間が掛かったことを思い出した。
 途中、松江のスパッツのゴムひもが外れているのに気づき、告げると、スパッツの付け方を知らなかったと言う。本人もどうしていいのか分からなかったようです。だったら聞いてくださいと思いつつも松江が本格的な雪道を歩くのが初めてであるということを、忘れていた。

写真左は 途中から見た奥多摩方面  写真右は 白岩山山頂での休憩

 大ダワから白岩山まで、ピークを巻くのだが、道が悪く思った以上に時間が掛かってしまった。体力不足の私はここで、新しく購入した6本つめアイゼンの履きこごちを試すために、朝から付けていたのだが(生徒は雪がアイスハーンにはなっていないので、付けさせてはいない)、木の根に爪を引っかけバランスを崩した。以前ならば何でもないのだか、危うく怪我をするところだった。これに懲りてアイゼンを外す。やっとの思いで霧藻ヶ峰にたどり着き、ほっとする。ここから先は、三峯参拝者の散歩コースでもある。ここから思った以上にスピードが上がり3時発のロープウエイに間に合うぞと心も弾み三峯神社に到着。しかし 神社からロープウエイ乗り場が遠い、いくら歩いても乗り場がない・・・やっとの思いで着いたら3時05分でロープウエイが動いている・・・・次は4時 1時間も待つのかよ でもいいかここで荷物がまとめらる と思いつつ乗り場に着くと、ロープウエイが到着しだい 臨時に出しますよ ・・ え ・・ それは有り難いと即切符を買い 乗り込む (途中ですれ違ったゴンドラに お客が3人ほど乗り込んでいた 納得) 麓に着くと、バスの乗り換えまで10分もないよと言われ、そのままバスに乗り込む(結局乗り物の中で身支度を整えた)三峯の駅で解散。

  結局、今回の合宿も生徒の計画で行ったと言うよりは、教師指導でした。もちろん教師指導でかまわないのだが、もう少し、自分らの山岳部であり、自分らが山に登るというスタンスを取らない限り、部員は増えないと感じた。一人でも部員として残れば、山にはつき合うが、私のトレーニングでしかない気がする。

麻布学園 山岳部顧問 野本




■ 2001年度 春合宿 感想    野本 勇  [2002/3/27]

2002年春合宿が終わりました。(オトナシク報告します・・・愚痴としてHPにのるのも問題なので)また、詳しい報告書は土本君より夏休み頃には出ると思います。

3月21日より23日の2泊3日で奥多摩(奥秩父)の笠取山から飛竜まで、中2の松江君と高1の4人(学校に届けた、合宿の参加者には高1のメンバーは入ってません)で、のんびりと登って来ました。

3月21日(天気は薄曇り)

近頃、電車の都合で集合が朝のJR八王子駅になり、これから山に行くぞという雰囲気が無くなりました。・・・自宅から近いしゆっくり家で寝てから行けるのは有難いです。

塩山からタクシーで一ノ瀬(作場平橋) → 2時前には笠取小屋に到着、早速テントを設営して(写真1)時間があるので、笠取へアタックしてきました。

写真1
写真2

途中から、思ったより雪が残っており、(写真2)足下がおぼつかない状態でした。また、風が強くなり、松江君は初めての経験でした。私は、老骨に鞭打ってという感じで登っていたのですが、いつの間にか、土本・成田が目の前から消えてしまいました。

土本は、少々体重が増えたようです
成田は、靴が足に合っていなくて、靴擦れの心配があったようです。

この所為ではないと思いますが、最終日にあとわずかの差で2時台のバスに乗り遅れてしまった。

頂上は、風が強く、写真を取ったらそく退散しました。

(写真3)で松江です

私事ながら、強風でも体が冷える位にしか考えずに行動していたのですが、頂上について何と目の周りの風景が動いているではないか、昨年軽い眩暈を起こして数日学校を休みました。再発したのかと畏れたのですが。帽子をかぶり体を暖めたところ元に戻りました。よく歳を取った方が普段から帽子を被っていますが、私も仲間入りか・・今後冬山に行くときは充分に気を付けなければならないと思いました。
 だいぶ遅れて土本・成田が着ましたが、強風の中にいつまでも待っているのはつらいので、風のないところまで先におりました。
早目に天幕場にもどり(テントの下が雪解けで湿っていましたがなかなか良いところでした)

テント内ではいつもの通り特別やることも無くといって雑然として要るのは伝統か

4時より夕食の準備を始めて、7時には就寝の予定が、30分で準備が整い5時過ぎには食事(内容はきむち鍋)も終り、やることも無く6時にはシュラフの中に入ったのですが、周りのいびきがうるさいのと、発酵したワインジュースを持って行くのを忘れてしまい、なかなか寝つかれませんでした。(これも歳か)

3月22日

4時起床(すばやく起きた)時間通り起きたのにはびっくり、今まで時間通りに起きたのを経験していない。・・・・さすが高1・・・・進歩を認める。

途中で、北斜面では、アイスバーン状態で軽アイゼンを付ける。・・・最初に外れたのは・・?・・10分後でした。 アイスバーン状態もそれほどひどくなく、取れたのはそのままにして、先に進みました。

今日のコースは短いのと、最終日のコースが長いので、みんなの様子をみて、早く将監峠に着くようならば、コースを変更して飛龍を越えて三条小屋までとし、最終日はのんびりと林道を下れば東京に早く帰れると思ったのですが、成田・土本が少々遅れてしまい予定の時刻(10時)を30分ほどオーバーしてしまい、結果として計画通りに将監小屋に露営しました。・・・・小屋に着くなりいきなり大型の犬の吠え声で驚きました・・・いくら山奥でも紐でゆわえて置いてほしいです。しっかり一人500円を取られました。でもここのトイレは今どきに珍しく古くひどい

12時前にはやることもなく、テントでゴロゴロしていたら、天候が曇から霧雨に・・

結果として三条まで行かなくて良かった。・・・・6時には消灯

3月23日

夜中は霧雨と風が強く気温もだいぶ下がったようです。

今日も3時半には起床しテントの撤収もスムーズに5時半には出発できました。一本目からアイスバーン状態では有りましたが、軽アイゼンを付けるほどでは有りませんでしたが、滑ってひゃっとする場面も有りました。

途中下の写真(左)のように霧氷がなかなか綺麗でした。・・だれも気に止めなかったようです。
先頭を歩いている佐藤がすぐに見えなくなってしまい注意をすると色々なことを言っておりました。

飛龍の分岐点につき、頂上にアタック。写真(右)しかし、リーダーである土本は行きません(何回も登っているのでもういいのか)で・・・・・

分岐よりの下山は、快調かと思いきや予定のコースタイムをはるかにオーバーで丹波に2時20分を目指したのですが、間に合いませんでした。

3時前に丹波のバス停に着き今回の合宿を終えましたが、解散と同時に眠りコケタリ・お菓子を口に運ぶのやらで・・・・・これもいつもの風景でした。


右の写真は飛龍の分岐点

手前の土本君はバテ気味

成田君は靴擦れ

谷口君は荷物も少ないせいか元気

松江君も今回団装が無いので元気

佐藤君が一番荷物を持っている

写真を撮っている野本は腰痛

バス停で
帰りの電車の中で

最後に感想を一言

今回、2月の時点で高1が南アルプスを計画していたので、さすが早速増子先生にお願いしました(野本は寒いのは駄目とこの所腰痛で自信が無い)。さかずに中1と新人の松江は無理があるので、私が奥多摩で松江に計画させる事にし、幾つか資料を渡しておきました。

しかし、(学校側への)合宿の届出最終日になっても高1から合宿の届けが無く(最終日は昔から、試験が始まる前の日)、直接生徒委員会の先生に渡せる試験最終日になっても届けが出ませんでした。(冬合宿までは試験中に生徒を無理やり呼んで、その場で計画書を書かせて提出していましたが今回はやめました・・今後もしません)

これで、高1の春合宿は取り止めになり、中学だけで行くことになりましたが、さすが松江君計画書を作成するのに高1に問い合せをしたところ、このコースでは僕等が行くには(最初は御前山)簡単過ぎると(高1のコースではないだろうが)、笠取から(彼等が唯一登っていない)飛龍にぬけるコースを考え、計画書を作り直したようです。松江には少し無理があるのではとの指導に、荷物は持たせませんので、一緒に行きたいです・・・それでは仕方が無いので、高1と一緒に行くことになりました。

今回の合宿で気が付いたことは、高1にはリーダーが居ないことと、影で支える人が居ないので、まとまっているように見えるが、みんな自分勝手で大きな山行は無理だと思った。・・・・・自分から計画書が出ない理由でもある。・・・

クラブの顧問て何だろう・・・今年他のクラブでは生徒の暴走による指導やら、生徒がなかなか帰ってこないので、顧問の先生が早目にクラブ活動を終了させるように指導したりでしたが、山岳部は顧問が時間とか場所とか日時を決めないと中々山に行かない。・・・・強く計画を立て行かせようとすると、それに対抗して自分らの計画書を持って来る(この辺は麻布生らしく ほっと しますが)。・・・・

クラブの顧問の仕事に彼等の実力に合った計画を見てあげたり、技術的な面を教えたり、チェックしたり、クラブ活動の行過ぎにブレーキをかけたりするのが顧問と思っていたのですが、春休みに合宿に行くのに日時を空けるように伝えなくてはならないのは余りにも淋しい。それでも予定が全部入ってますと言われるよりはいいか、

今回も愚痴が出てきたのでこの辺でやめます。

最後まで付きあってくれてありがとう御座います。

麻布学園山岳部顧問 野本



■ 2001年度 冬(中学)合宿 感想    野本 勇  [2001/12/28]

昨日より、中1の藤森君と新たに参加した中2の松江君とで、奥多摩三頭山にミニ合宿を計画し無事下山しました。高校生は増子先生と鳳凰三山にいってきました。

今回、私はクラス旅行もあるので山には行かないつもりでしたが、新たに中2の松江君が山岳部に入ってくれましたので何とか山に連れて行ってやりたいのと、中1を雪山に参加させるのはどうかと思い、中学生に雪の無いところに計画させました。松江君には初めての山行で靴からザックまで買わせるのは酷なので、以前山岳部OBから頂いた靴・シャツ・その他もろもろの道具を貸したところちょうど良かったので、彼はヘッドランプなどほんのわずかなもので済んだようです。OBに感謝

最初の計画では、もう一人中1が参加する予定でしたが、27日がどうしても都合がつかずに参加を断念しました。

12月27日

 9時に立川駅集合でしたが、当日朝のニュースで青梅線がポイント故障で大幅に遅れているとの情報が入り20分ほど私は家をでる時間を早め、立川の駅に向かいました。駅では1時間以上も電車が遅れているのと、発着ホームが時間にならないと分らないという状態でした。2人がもしも遅れて来るようだと、奥多摩駅のバスに間に合うかどうか不安になっているところへ、時間通り2人が見えました。1時間遅れの電車が発車するアナウンスで飛び乗り最終的には計画通りの時間で奥多摩駅に着きバスに乗れてほっとしました。2人とも朝のニュースは聞いておらず何も知らずに家を出たとのことでした。・・・・・家を出る前に天気予報ぐらい聞いて来て欲しかった


奥多摩の山は・・・年ぶりですので新鮮さが有りました。天気もよく風も穏やかなのでドラム缶橋を渡るのに物足りなかったです。(風の強い日に渡って怖かった思い出しかなかった)取り付き点からイヨ山まで快調に飛ばし暑いくらいでした。イヨ山を過ぎてから北側斜面にいくらか雪が出はじめ、道も霜柱を踏み締めて歩くようになりました。オツネノの泣坂ではかえって登山道が凍っていたので歩きやすかったのですが、私は少々バテ気味・2人は快調(少しは寒かったようです)予定の時刻4時には山頂に着きましたが、あたりは薄暗く早々と避難小屋へ(3人ほど中年の客がいましたがウルサイの)6時には食事もおわり(もちろんカレーと味噌汁で、漬物を自宅に置き忘れた)松江君いわくこの後何をするんですか・・野本・・寝るだけ・・・早過ぎて寝られそうも有りません・・・シュラフに入って朝まで 禅の 境地でいなさい。・・・藤森は12時間ぐらいいつも寝ているとの事でシュラフの中に潜ってしまった。


12月28日

 朝6時起床のはずか、6:30にやっと起きる(起こそうかと思ったけど特に急ぐわけではないのでそのままに)私は外に出て赤い富士山を見にいったが寒いのでそく小屋の中に・・・松江に富士山見た・・・寒いので外には出てません・・・・8時に体操後に出発。

奥多摩の山らしく、快適な稜線歩きで快調に飛ばし西原峠へ、北側の斜面に入り霜柱の上に薄く雪が残っていました。見ると彼等は快調、でも足を引き摺る野本がおりました。

下山したところに温泉があるので楽しみにはしていたのですが、藤森曰く、先生26日から休みです。バスの待合わせもそれほどなく五日市駅へ

松江君は初めての登山靴に少々足が当たって痛がっていました。楽しめたかな・・・・

追伸

1月2月は、野本・増子ともども忙しく彼等となかなか山につきあえないので、どなたか彼等(特に中学生)を山に連れて行って下さいませんか。上級生がしっかりしていればこのような心配が無いのですが、高校生は自分たちだけで精一杯だと思いますので




■ 2001年度 夏合宿 感想    野本 勇  [2001/7/29]

全体の反省会は9月の学校が始まってからなので、正式な反省会資料はリーダーを通して出されると思いますが、気になったことなどを私の反省資料としてまとめてみました。

はじめに

準備段階で、ここ数年は学校(生徒委員会)に届けなければならない合宿計画書の提出が遅れ、毎回生徒委員会の先生に迷惑をかけており、そろそろ私の堪忍袋が切れる寸前でした。提出期日までに計画書を持ってこなければ、今年度の合宿は中止させるつもりでした。かなり前から合宿計画はどうなっているか尋ねると一応、東北の山がいいとか、有名な山に登りたいとか具体性の無い話は聞こえて来ました。・・・計画書が遅れても、いつもの通り 野本さん がなんとかやってくれるよと話しているのが聞こえて来ました・・・・この時点で実は私は山岳部の顧問をヤメル決心がつきました。

しかし新しく中1(荻原・藤森君)が入部したのと、今年になって入部した高1の生徒と中1まで合宿を取り止めたのでは可哀相なので(ここが私の甘さで、前記の何とかしてくれるに繋がっているのかも)、ひそかに、高1のT君に中1を中心とした北沢峠のキャンプを計画させていました。

なにを察したのか、期日前に完全ではないにしろ、朝日連峰縦走の計画書を私の所へ持って来ました。ヤルキも少しは見せたので、T君には悪かったのですが、中1も含めて全員で合宿を行えるように、少し手直しを行わせて計画書を書き直させました。

・・・・このやり取りの一部が保護者の方に少し誤解を与えてしまいました。・・・・

計画を変更させた点は、中1も参加させるために途中で停滞日を設けること、一日の行動時間を少なくさせることでした。幾つかのアドバイスやらお叱りを受けましたが、今までの山行を見直すと、一日の行動時間が長く短期間に縦走して来るというのが多く見られました。それでは山を楽しむどころか頂上に登ったという事しかなく、自宅にたどり着くころには疲れはてて、次の山行計画が進まないと思いました。 そこで日数が長くなっても一日の行動時間を短くし余裕をもたせることにしました。中1の山行日数が長くなりますが、ワンゲル部などは中1でも10日前後は合宿に参加させても何等問題のないことを確認しましたので、問題がないだろうと思いました。(少々の不安はありましたが)

問題点は、高1の荷物が増える(主に食料)事でしたが、できるだけ軽量化すること、初日を登山口でテント泊、及び初日の食材を現地で購入することで計画書ができ上がりました。その後、成田君が遅れて参加すること、谷口君が早目に下山しなければならないことが生じ、岩佐先生、増子先生がそれぞれ引き受けてくれました。

7月23日 合宿初日 東京駅集合(銀の鈴前) 朝 8時 大きなザックを背負っての電車はこたえました

集まりが早かったので、予定の電車より早目に乗り、それも予定では福島で乗り換えとか言っていたが、直通電車で乗り換えなし、山形駅で1時間以上時間が取れました。

・・・山形駅まで新幹線が通っているのに、何で福島駅で乗り換えなければならないのか未だに分りませんが → もっとしっかり時刻表を調べてほしいものだ

駅前からジャンボタクシー(人数が多いときは便利ですね)で朝日鉱泉へ、朝日連峰は特別保護地域ということでテント泊が禁止されていますが、小屋の主人のご厚意によりヘリポートに張らさせてもらいました。・・・高校生かと聞かれて返事すると、大きい声では言えないがという前置きがあってから場所を教えてもらいました

テント設営で四隅にペグを打込まないので聞くと、ペグを忘れたとの事・・・今のテントは底が一体なので内に人が入れば余程の事が無い限り飛ばされることは有りませんがね。・・・この場では河原の石で何とかなりましたが、また縦走中はテントが禁止なので・・・・・

今日の夕食は、焼肉で豪華ということで期待したのですが、いきなりアルマイトの鍋に肉を放り込むではないですか ? 油は・・・・・聞くところによると、自宅で焼肉をするときは、油をひかなくても済むようにホーロー引きのフライパンでした・・・・

結局焼肉のタレを少し薄めて、すき焼風にし御飯の上にかけて頂きました、始めからこのようにすれば・・・さすが・・で良かったと思うのですがね。トウモロコシは生のまま鍋の上で焼けばOKと思っていたようです。(自宅では時間もあるし、ガスコンロの火力も強いのでかまわないのですが)

☆ 食事も済んでお茶でも沸したらというところで、ガスカートリッジの軽いこと、大型ボンべ一本分無くなっているではないか、この後どうするの・・・はじめて非常パックの燃料を用いるか・・・生徒にもちろん言いませんでしたが、私のボンべ、途中で上がって来る増子さんのボンべを期待して、途中の行動はできる限り燃料を節約することで合宿を続行させる事にはしましたが、もし冬合宿ならばこの時点で即中止下山しかありませんでしたね。

生のトウモロコシをそのまま生ごみとして持ち上げるのは、馬鹿らしいので小屋の主人に食べてもらいなさいと小屋に持って行かせました。そのついでにもし、小屋にボンべが売っていたら購入するしかないね。結果として、ボンベを抱えて来たので購入したのか聞くと、小屋の主人がトウモロコシと交換してくれたそうで・・助かりました。


7月24日 少々曇空で 今日の樹林帯のコースを考えると、晴れているよりはうれしい天 気です

つり橋を渡りいよいよ山行の始まりです。・・・この所の運動不足がこたえて始めからバテ気味で参りました。 ・・・・今日は最初の計画では、大朝日小屋なのですが、この数年の山行で標準的なコースタイムを何時も大幅に上回っているので、鳥原小屋に9時を大幅に超えるようならば、行動を打ち切り行動時間が短く、次の日の行動時間が長くなるが鳥原小屋で打ち切ろうとリーダーに指示しました。3時間程度歩いたころ、雲行きが怪しくなり、雨がパラパラ落ち始めたので、雨具を着ました。・・・もう少しで鳥原小屋に着くので我慢をしようかとも思いましたが・・・・雨の中歩き始めて10分ほどで小屋に到着、時間的には9時30分と早かったのですが、この先稜線に出るのと、風が大分強くなったので、今日の行動を打ち切りました。大正解でこの後、かなり風雨が強くなりました。・・・・時間がたっぷりあるので、お茶を沸せて飲もうかと思っても燃料が足りない・・・・彼等はゲームの話とトランプに夢中でした。




■ 春合宿を終えて [2001/3/25]

2001年 春合宿 ( 21日より24日 )の簡単な報告をお知らせします。反省会の資料としては4月の中旬にならないと出ないと思われますので、私(野本)から感想を述べておきます。

谷口君と成田君を新たに加えて、奥秩父の雁坂峠から甲武信岳を越えて十文字の縦走を計画。

最初この計画を聞いたとき、天候次第では特に問題は無いだろうと計画を進めさせました。しかし、前日に寒気団が入ったり、準備の出来の悪さに十文字までは無理かと思われましたが、新しいメンバーも入り、少しはクラブらしくなりましたので、せめて甲武信岳は登らせたいと思い、合宿当日を迎えました。

・ 21日 朝6時30分発甲府行きに乗車し塩山駅下車、雁坂峠入り口までバスでした。バスを降りて、雪の多さにあぜんとしました。でも、雁坂峠への途中にテントが張れる程度の場所は有るだろうと歩き始めましたが、ここで、彼らのトレーニング不足を感じました。30分程度歩いて、最初の1本は良いとして、その後も30分で10分休憩には、少し抵抗を感じましたが、私も久しぶりの歩きなので・・・・・
 そのうち、小さな沢を渡るときに、谷口がスノーブリッジを破りあわやびしょ濡れになるところでした。結局、雁坂峠まで行けずに、最後の沢を越えて急登に入る前でテント設営。

・ 22日 何と4時30分起床の予定が、外が完全に明るい6時30でした。その後ももたもたと出発が8時30分、雁坂峠に着いたのが11時近く、今日の予定では甲武信小屋だが、この調子では、西破風山を越えた避難小屋まで行ければと思いつつ登りましたが、結局東破風山を越えるのがやっとでした。でもさすがに30分歩いて10分休憩から45分歩いて10分休憩になり、少しずつ合宿の山行になってきた。残念ながら、成田の歩きが不調になってしまった。原因はズボンがびしょ濡れになって来たことと、靴ヅレを起こしてしまったこと。数日前に借りた靴なので充分に慣れていなかったのが原因のようだ。

・ 23日 今日も4時30分起床の予定が5時と朝から出遅れてしまった。良かったのは、体が大分慣れて来たと見えて、45分ペースがある程度出来てきたこと。西破風山の下りが急斜面で雪が堅かったので、アイゼンを着けさせた。サイノ河原の分岐点で、十文字を越えることは不可能に近いので、甲武信小屋で設営の予定だったが時間の問題も有り、戸渡尾根を下ることにした。小屋までは行かずに、雪が多いことをいいことに分岐点で設営することにし、甲武信岳までアタックすることにした。さすがにカラミに近いザックでの行動では、私は彼らについて行くのがやっとだった。(彼らは若く、パワーを感じます。)
 テントに戻ってから、水造り夕食の支度とテントの中はメチャメチャだが、何をすべきなのか少しは分かってきたような感じを受けました。

・ 24日 前日の就寝がすこし遅かったので、朝ものんびりと撤収して8時30分に下山を始めました。合宿最終日の下山と来れば、私の歳になれば皆に黙ってついて行くのがやっとなので・・・と思った瞬間にザックをしょったまま時間ばかりが過ぎて行きました。さすがに佐藤はどんどん降りて行くのですが、成田の靴ヅレがひどくスピードを上げられずに、お昼過ぎには西沢渓谷に着くだろうとのんびりと歩きました。しかし、残雪が林道まで続き下山に時間がかかり、バス停についた時は昼のバスが出た後で、次の最終時刻まで、3時間以上も待たなくてはならないはめになりました。バス停の食堂でそばを食べていると、そこの主人がタクシーを呼んでくれて思ったより早く自宅に着くことが出来た次第です。(タクシーは初め考えたのですが全部で5人なので1台では来ないのではないかと遠慮していました。)

・ 全体を通して、人数的に合宿らしく成りました。成田・谷口君は初めての山行に春とはいえ、雪山でそれも初めてのテント生活でさぞ大変だったのではないかと思います。また、次の山行が楽しみになりました。これで下級生が入れば、山岳部らしく復活できるのではないかと期待しています。

・ 天気も4日間とも恵まれて日焼けが痛いほどです。

 以上ですが、今回の山行にザック・登山靴・羽毛服等を谷口君・成田君が使わせて貰いました。この場をかりてお礼申し上げます。

      山岳部顧問 野本 勇




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