tome IV - 合宿報告 10

 

南アルプス合宿・B班

昭和28年度夏季合宿(B班)
荒垣敬


page 2/2:行動記録2/2・反省


第3日


三日目。凡らく此の日が此度の山行で最も素晴らしい光景を見せて呉れた日であろう。この日の離床は二時であった。前夜は通風満点の小舎に寝たせいか起きた時は少々頭痛がしたが、まだ皓々と照っている月を仰ぎつゝ手の凍らむ許りに冷い清流で顔を洗うとその痛みも忽ちにして去り頬を吹く軽い風が何とも云えず快かった。前日に変らぬ森林帯の中を、月明りを頼りに歩いてゆく中に、やがて月光がうすれ、同時に山の端が白んで山の輪郭がくっきりと浮び上って来た。なお暫くゆくと太陽の姿こそ見えないが空はすっかりうすくれないに輝きその下一面にこれは又、素晴らしい雲海である。荒れ狂う大洋を一瞬停止させたらこのようになるのであろうか、或は渦巻き或は逆巻き、一つ一つの雲は激しい”動”を示しているのだがそれ等が一面に拡がって、そしてそれが微動だにしない、実に荘重な迄の”静”を描き出している。だから、雲海全体が柔いベッドのような感を与える。温かく、柔い、人間の手では到底造り出し得ない極上のベッドだ。その上に身を投げ出したらどうであろうか?..... 「完全に静寂で、完全に独りで。そしてその存在には誰も気付かない。知っているものが在るとすれば、そのものこそが、”私”を創造ったに違いない。凡てをそのものに委ね切って独り雲海のベッドに横わる。”それは逃避だ”、理性と云うヤツがそう叫ぶ。だが私はその夢に憧れる。夢想に、しばし、我を忘れる.....。”急げ”又してもM氏の怒号に夢を破られる」。知らぬ間に立止まっていた私は再び歩き出した。それから後に見た景色は曲のないもの許り、太陽が山際からのっと顔を出すその瞬間すらも平凡で詰らない光景に思えた。私はそれ程に雲海に魅了されて了った。そしてカメラを持参しなかったことを喜んだ。なまじ写真機などという写偽機があるからつい景色を撮って了って後でそれを見て落胆するのだ。私は直接目にして感嘆した通りの風景を写真に再現されたのを未だ嘗て見たことがない。

早川尾根より北岳(田辺恭穂)

鳳凰三山中、先ず薬師岳へ登ったがその途中這松(偃松)と砂の斜面を登った時は、一寸愉快だった。生い繁る這松の枝の交錯する中に僅に人の通った跡を見出して其処にザワザワと分け入ったがザックが邪魔になってなかなか前進出来ない。そこで、意を決して這松のアーチの中を四ツ這いになって文字通り猪突猛進、その難所を突破したのだがその時の四ツ足の味は忘れられない。進化論は正しかった。進化の過程に於て四ツ足を経て来たからこそ人間は四ツ足で歩く潜在本能を持っているのだ。膝を屈して前肢を冷い砂の上に下し、二、三歩前へ進み出た時は、正にその本能の呼び醒まされた時だったのであろう。私は、何か野性的な快感を覚えて奇妙に咆哮しつゝ、一気に突っ走ったものだ。

薬師岳の頂上辺りからようやく他のパーティに会うようになった。そして観音岳の頂上では、麻布に殊に縁の深い某(特に名を秘す)女学院の山梨の生徒さん達に会い、共に語りつゝ遠く東の方を望み、遥々来ぬる旅を想って淡い郷愁に襲われたことである。私は後にホーム・シックを起した下級生諸君は此処でその因子を植え付けられたのではないかと思って、山上で一服の清涼剤の役割を果して呉れた彼女らを怨じてみたりする。
花崗岩が風化して作ったと見える眩ゆい許りの白砂を踏んで右手の遥か彼方に八ヶ岳を望み、左手に北、間、農鳥の白根三山を眺めながら炎暑の下を行軍する中にガスに覆われた高峯に着き、数時間後には広河原峠に達した。山男の別れ際は真にアッサリしている。或はこれが今生の別れとなるかも知れないのに、一寸握手を交わしたゞけで A 班は B 班と分れて行った。

峠から 20分程行くと早川小舎がある。無料で而も屋根、壁、床を完全に備えているので夕刻までには同宿者が30名近くに及んだ。大した賑いである。此処で私達は南御室小舎の時同様、慈善事業と称して薪を沢山伐り出して小舎の傍らに井桁に組んで積み重ね後に来る者に備えておいた。夕方、始めて夕立に遭った。立派な小屋の中で威勢よく燃える炊事の火にあたりながら、遠雷に耳を傾け、太い銀線を眺める山の夕立の景色は情緒的でさえある。霽れると今度は空が深紅に燃える夕焼けだ。あれ程までに美しい虹の色を見たのは、”風と共に去りぬ”という映画の終幕近くの日暮れのシーンでだけである。然しアカデミー賞の色彩名画もこの荘重な夕焼けの前にはその光芒を失った。

山行の前後に於て最も印象的な一日はその日に相応しい夕焼けに暮れた。


第4日


四日目。四日目となると、脚は機械的に動いて、少しも疲れを感じない。浅夜峯を過ぎる頃は、右に甲府盆地を見下し、左に伊那、高遠の圧し潰されたように拡がっているのを見て、下界の人々が下らなく想える。奇妙な優越感だ。予想以上に早く仙水峠に着いて、初めてのキャンピングをした。激流の側に平坦な僅かな空地を見付けて 3A の朱のマークも鮮やかなコバルトのテントを張った時には、十分に堪能し盡して了った山又山の環境に倦き始めていた一同は一寸昂奮した。そして物珍しさに、全員がその中にもぐり込んだ途端に山行中二度目の夕立が容赦なく新調のテントを打ち始めた。テントのコバルト色の所為で人の顔が蛍光照明のように淡青色に映えてモダンな趣を呈したが、その顔が遭難のSさんの話になると一瞬緊張した。彼の人となりを知らない私達だが、心秘かにその死を悼むと共に、彼が死地を大自然の中に選んだことに僅かな慰めを見出したのである。

やがて雨は仙丈岳の方から霽れて来た。六人用のテントに八人を詰め込んだのは無暴と云えばそうであったが或る者は眠り或る者は語り合う中にキャンプの夜は更けて行った。


第5日


五日目。裸で茶色な駒ヶ岳に登ったのは十時近く。折悪しくガスが視野を遮って了って一等三角点の眺望を楽しむことは出来なかった。その腹癒せに、熱いコーヒーに、チーズ、カンパンの饗宴を張った後、無慮50名の男女地元高校生を抜き去って一気に山を降った。健脚を誇る彼等が羚羊の一群が駆け去るにも似た私達の、後塵を拝して、口惜しいどころか感嘆の余り声も出なかった。と後に北沢小屋の長衛さんに語ったとは痛快である。根拠地に戻ってから、キャンプを北沢小舎の少し下流に遷し、日暮れを待って、花火を打上げ、キャンプ・ファイアーを楽しんだ。正に、最も壮快な一日であったが、殊に先輩の着想になる花火は傑作であった。これの花々しい音を聞いてデカンショをワメいていたM大学の陣営がシュンとして了ったものだ。

凡らく南アに花火を持込んだのは実に、我が麻布高校山岳部 B 班を以て嚆矢とするのではあるまいか。


第6日


六日目。愈々最終日。振り仰ぐ山々は、星空に黯々とそのシルエットを浮び出している。はや、それに去り難い迄の愛着を覚えている自分達である。山の歌に曰く”山よサヨウナラ、御機嫌宜しう、又来る時には笑っておくれ”そうだ、機会を得て再び見える<まみえる>時には笑って迎えて呉れ。北沢峠に出た。仙丈へ往く五名と別れて、事情有って帰らねばならぬ二人と共に、私は八丁坂へ向った。

辰野から乗った臨時列車は小さな駅を、文字通り小石の様に黙殺した。新宿着、二十時丁度。山手線を待つ私の耳に一週間前の 7月25日、私達が東京を離れたと同じ 20時12分発甲府行の列車の発車ベルが聞えて来た。

私達が帰宅した翌日、8 月 1 日に仙丈組が、四日後に A 班が、全員一人の故障者も無く東京の土を踏んだ。



続B班

続・南アルプス B 班(仙丈岳)

荒垣、桐谷、佐藤の三君と北沢峠で分れ、残りの五人は仙丈の頂上へと向った。

快晴、空気のすんだすがすがしい朝だ。太陽は緑の針葉樹林を通し、明るいまなざしで枯ち落ちた木の葉や、水気をもった木の根や岩角などを踊らせている。

6時55分。小仙丈の岩稜に出る。展望は一っきに開け、まぶしいばかりの光線の下で稜線づたいに岩稜上を仙丈岳の頂上へと目を移すと、心ははや頂上へと飛びいやが上にも足は軽くなる、と云いたいのだが、地元の高遠高校の連中を追いぬこうと急傾斜の樹林帯の登りを駆足で登って来たので息が切れてガレ場で小休。寸瞬后、全員揃って二等三角点を脚下に置いた。

展望は予想外に良かったが、はるか下、伊那高遠の村々はち切れ飛ぶあやし気な雲の下に睡っている。だがお山は快晴、北岳の姿はまったく勇ましいと云うより奥深いと云う気がする。

花崗岩の台の上にがっちりと乗った銅製の方向盤のある東芝の遭難碑を後に頂上を辞したのは午前 8時15分。小仙丈側と反対の尾根を少し下り、右折してヤブ沢源流のかろうじて残った雪渓上に降り、しばらく往くと岩室の様な仙丈小屋があり、水がこんこんと湧き出て旅人の喉を潤している。思うぞん分水を飲み、ふり返ると頂上は頭上にのしかゝる様に聳えている。

再び駈足の下りにかゝり、立派な道が開かれた這松の中を行くと、岳樺の木影の下一面に拡がったお花畑に出た。白い木々の間から青空を見上げ寝ころんだ顔の横にある可憐な紫色の花に目を移し、一週間のワンデルングの終幕を飾るにふさわしき一時を送り、再び起き上った時には、いつの日か再びおとづれる時あらばと、しばし深呼吸をして山の美しい空気に分れを告げてゐた。

かくて 10時25分キャンプ地に着き、テントをたゝみ12時北沢峠を後に下った。



page 1. 合宿概要・行動記録 1/2
page 2. 行動記録2/2

1953年活動記録も併せてご覧下さい。



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text by k. aragaki & unknown writer. photo by y.tanabe.

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