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tome IV - 合宿報告 8
春の仙丈、甲斐駒の印象昭和27(1952)年度春季合宿
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二十九日(風雪) 五時半起床。室内は重々しい感じで静まっている。シュラーフから顔を出し窓外を眺めると案の定雪が降っていた。一寸そこいらの都会では見られぬ雪の光景である。昨日まで出てゐたはずの小屋の向こうの特徴ある木の枝が見えない。雪の下にうづもれたので。そして雪は無情に降り続き当分止みそうもない。今日は沈殿だな、と誰かしら薄暗い中でつぶやいた。まあ疲れ休みに良いだらうと云う事になり、一日を小屋の囲炉裏を囲んで無駄話の花を咲かせていた。 午後二時であろうか都立豊多摩高校の一行が登って来た。彼等は二階に上り明日は僕等と同様に駒ヶ岳に登るそうである。聞くところによると、日野春側から登って来る本隊の為に仙水峠、駒ヶ岳間のラッセル役であるとか。 午後になってから少し天候も回復したようだ。 |
三十日(晴、後降雪)
樹林帯にラッセルを残して下り仙水峠へ着いた時は十二時四十五分。そこから仰いだ摩利子天(ママ)の岩峰も素晴らしかった。ヴァーヂンスノーだと云って純白の雪のかたまりを橋って横切り、聳える摩利子天を写して来た青木さんの姿が意までも目に浮ぶ。かくして今日は失敗であったがラッセルを施したゞけで明日の足しにはなろう。午後二時十五分小屋へ着いた。夕食六時、就寝は九時である。 |
四時半起床。事情により帰らねばならぬ森田、三橋、松田の三人を送り、残留の三人(青木、伊藤、神原)は昨日のラッセルの心地よく凍った道を仙水峠へと急いだ。時に時刻は五時四十五分、昨日通ったばかりの道は記憶が新らしく、又今日は天気が良さそうなので足も軽くぐんぐんピッチを上げ、五十分にして仙水峠へ着き昨日と同じ駒ヶ岳を見上げたが、そこで青木さんが昨夜来の腹痛を訴え結局伊藤さんと二人で登る事になった。
駒津岳にて小休止の後、この空の様子ではまあ午前中はもつだろうと希望を持ち一歩一歩を身長に稜線を下り出した。両側は深く切りこんだ谷で落ちたら全身打撲傷でこの世とおさらばであろう。駒ヶ岳との中間の切り立った鞍部に出る少し前に、岡一男君遭難の碑と彫った石が立って鉄の鎖が張り渡してある。その辺からは一歩毎にピッケルを深く突きさしスリップに具えて進むのだが、鞍部に降りる直前の岩が階段状に急に下ってゐる所は、積雪も少なくピッケルで確保出来ず少しヒヤリとさせられたが、勢力はそれ以上であったので前進をこばむものは何物とてなくがむしゃらに登って行ったと云えないこともない。又、六方石を過ぎしばらく登ると行く手に大きな岩がふさいである。夏道はその岩のさけ目をはいづるのであるが、今は全く氷りついている。相談の結果まず僕がそのさけ目をへずってみた。しかし上に行くとホールドもなく又岩の割れ目は氷がすっかり詰っていて直登は無理な事が解ったので、その岩の下側を大きく捲く事にした。岩の下側にはブッシュが顔を出しその上に柔らかい雪がふんわりと積っていて実に不安定であるがそこを行くより道がない。なるべく岩にへばりつく様な形で体をこゞめて行くと雪の広い斜面に出た。そこを少し上方気味にトラバースして小さな枝尾根を乗り越すといよいよ摩利子天との鞍部少し上方に出る雪の斜面に出る。傾斜は上方は少いようだがフランス屋根型に下方へ行くと急角度を成しスリップをして三十米の間に止まらなかったらまあ助るまい。慎重に進み九時五十分ついに墓標の立つ鞍部までたどり着いた。小休止。あと頂上までは僅かである。憧れの峯を目前にしてしばし夢幻の境に楽しんだがふと帰りの苦労を思うと気はせきたてられ又雪の中を立ち上り登行を続けた。ぢぐざぐに小きざみに登り頂上と石碑の沢山立ったピークとの間に出ると左へ曲り頂上へ出るのだ。三千米の高所で岩と氷と人間との戦がなされているのだ。アイゼンの爪がザクッと氷の中に食込むとピッケルが前方の雪中に深くさゝれて次に片方の足が前に進む。 ついに着いた。初めての駒ヶ岳一等三角点も折からガスがたちこめ何も見えない。しかし心は無事登ったと云う事だけで満足である。 人間が高い所に登りたいと思う気持は、それをいかなる美しい言葉で形容しようが、とゞのつまりは山羊が高い岩の上に登りたがると同様なる動物的本能であろう。征服欲それと同時に人間は感情の弱い一面を持っている。しかしそれ等の上に君臨するものを忘れてはならない。 それを急いですますと又下りにかゝる。まづトラバースから始まって例の大きな岩の下に出る直前の出来事である。僕の体が急に宙に浮いた様に感じ、雪面をなゝめに下へすべって行く。その間はほんの瞬間的なものであったろうが、脳裏には一条の影が走り渡った様に感じた。手は自然にピッケルを雪中に突きさしていた。未だ生命に魅力があったのだろうか。 岩を越した所で豊多摩の一行とすれちがいしばらく立ち話をして又歩き出した。ピッケルは完全にうづめて進む。まるで登りの歩き方と変り用心に用心を重ねた足取りである。 駒津岳へ着くと安心感から腹がへり二度目の昼食とした。カンパンとマーガリンと雪である。一条の矢の様似飛び去って行った胸深の果無い想いを一人強く感じさせられて何も云う事が出来なかった。山は美しかった。そして、その時ぐらい恐しいと想った事はない。 十時半、出発(デッパツ)。雄大な懐かしい駒ヶ岳を顧みながら仙水峠へと一気に下った。二時四十分長衛小屋着。六時夕食。 |
一日(晴)六時。朝。久振の太陽を窓一ぱいに受けて起床。一週間の宿との別れを懐かしみ初めて不恰好な小屋をしみじみと見た。各人荷物をまとめてザックに詰め出発である。かくして一週間のワンデルングの終止符を打つ溶きが刻一刻と近きつゝある。 八丁坂をころがり滑りながら下り、赤河原まで一時間半で飛ばし、行きと同様に単調な川原道を戸台部落へと進む。ぐんぐんピッチを上げて戸台部落を過ぎ砂防工事をしている鷹岩まで着き、トラックに便乗を請ひ三時四十分に高遠へと向った。中型トラックのホロの後の開きから山腹を曲り曲り下る向こうの谷間に、雪をいたゞいた白い峯々は離れて行く我等を祝福するの如くに聳えている。 |
注)各日の小見出しは、オリジナルにはありません。後から追加しました。 |
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text by t.kambara. photo by y.aoki. graphics by n.takano
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