岩燕拾遺

1998年夏合宿資料

 

北アルプス蝶〜常念〜槍〜薬師

藤井小弥太・井上満穂・椎野孔二郎


page 1/2:合宿概要・行動記録1/2



7月24日
A隊:常念乗越〜大天井〜西岳
B隊:常念乗越〜一の沢

常念岳山頂にて(23日) B隊を見送る朝

藤井小弥太
井上満穂
椎野孔二郎
朝の撤収はだんだん良くなってきたようだ。もちろんまだ改善すべき所はあるが。朝食後A隊とB隊は別れる。我々A隊はガスっている大天井の方に向かった。

想像通り展望は悪く、退屈な道のりが続く。さて東大井の巻き道の分岐で東大井に登るか迷ったが結局強行。しかしガスって何も見えず、下りは踏み跡もなく、無駄な体力を消耗した。でも高山植物がすごくきれいだった。しばらくして大天荘にっき、大天井岳をアタック。あいにくのガスで何も見えなかったのが残念だった。大天井ヒュッテまでちょっと疲れたが、がんばって歩く。だらだらとした道にあきるが見晴らしに良いところでは東鎌、北鎌尾根、そして槍が綺麗に見えた。

やっとのところで西岳ヒュッテに着く。ここは水の値段が高いが、「それ池」という池があるなど、なかなかユニークなところだった。でもキャンプ場としては場所も狭く、風がもろに当たり、あまり良いとはいえなかった。

テントを張った後、西岳にアタックする。言葉では表せない山であった。ぜひ又登ってみたい。だんだんと貧しくなる夜ご飯を食べ就寝。




中学生部隊と高校生部隊とに別れ出発、常念乗越から横通岳まではガス状態が続いていた。横通岳はただのがれきの山という感じがした。東大井岳に登るまでの所でガスが晴れ展望が良くなる。下の方に雪渓が残っているのが確認できた。東大井岳は回り込んでもよいのに結果的に登ったが、人が来た気配もなかった様なところだった。またコマ草もところどころに見ることができた。

大天荘に到着。ペースはなかなか速く、コースタイムより速かった。そして、ザックを大天荘に置き、大天井岳をアタック。大して休まずに大天荘を出発。大天井ヒュッテまでなかなか長く切れていて危険なところもあった。大天井ヒュッテからは大きな上下はなかったが、切れていた。右側に北鎌尾根を望むことができた。

西岳ヒュッテまではなかなか時間がかかり、疲れた。テントを設営してから、西岳をアタックしたが東大井岳と同じように人が一人もいない寂しい山頂だった。




朝にA隊と別れた。それからはリーダーになり、「ばてられない」ということを知った。6:00に出発し、4本で降りきった。リードする立場を体験する、貴重な一日だったと思う。帰り、タクシーが来なくて閉口した。





7月25日
西岳〜槍ケ岳〜双六

槍まであと少し 槍ケ岳山頂にて

藤井小弥太
井上満穂

やはり高校生だけということもあり、朝はすばやく撤収。そしてすばやく出発。

軽く切れている東鎌尾根を登っていく。はしご等も数力所有ったが、無事に槍が岳山荘に着く。やはりやたらと人が多い。荷物をおいてアタック。途中ルートを少し間違えたが何と言うこともなく、頂上に着く。本当にいい眺めだった。ほかの二人には「槍は登る山じゃない見る山だ」などと言われたが、登って本当に良かったと思う。

再び山荘まで降りると、まだ日が高かったので、双六小屋を目指すことになった。山荘からすぐの下りがものすごいガレ場で、足がすごく痛くなった。登りはもっときつそうだ。下りきると、かなり緩やかな登り下りが続く。気持ちよい道ではあるが、なにしろ直射日光をもろに受けたので非常に暑かった。渋沢のあたりではそろそろバテたかな、と思ったが、何とか着いた。

双六小屋では横尾以来久しぶりに水が無料でうれしかった。山ケイJOYの取材を受けた後就寝。




この日はメインの槍が岳を登る日である。西岳から水俣乗越まは急な下り坂で、昨日の疲れが出てきてしまうような場所だった。そして東鎌尾根の登りにとりつく。だんだん槍ヶ岳が近づいてくる。途中切れているところもあったが安全に通過した。

槍ヶ岳にアタック。登りは常念岳の様であったが格が違う登りであった。ルートを小槍の方へ間違えてしまい、身が縮む気がした。

降りてきてまだ10時なので双六小屋まで行ってしまおうということになった。槍ヶ岳から千丈沢乗越までは、長い急な下りのガレ場であった。疲れがどんどん出てきてしまった。ここからはこぶが何個もある平坦な道であったとにかく長かった。渋沢岳に着いたときは一歩も動けなくなりそうであった。しかし、双六小屋が近いことが分かっていたので、すぐに下っていった。下っていくと雪渓を持っている双六岳がそびえているのが見え、右の方に三俣蓮華岳が見えた。双六小屋はその峠のあたりに位置していた。









7月26日
双六〜三俣蓮華〜黒部乗越

双六岳にて 朝の稜線(27日)

藤井小弥太
井上満穂

この日は移動距離が少なかった。まず、双六岳を目指す。しばらく歩き平らな頂上にたどり着く。野本先生は26年ぶりの登頂だったそうだ。次は三俣蓮華岳に登るがここもガスっていて何も見えなかった。でも地形からして綺麗だろうに、と思った。

黒部五郎小舎にはお昼ごろつき、たまった疲れを少しいやした。それにしても、晴れていたこともあるが、本当にいいところだった。機会があったらまた来たい。この日は早めに就寝。




双六小屋を出て、双六山に登ろうか考えたが、雷鳥を見ることができるかもと言うことに誘われ、登った。しかし、結果的に見られなかった。

三俣蓮華岳までは大した登りもなかった。頂上ではガスっていて、何も見えなかった。そこから黒部五郎小屋まで下ったが、見えていてもなかなか着かなかった。しかし着いてみると、とても広々としていて、のんびりとすることができた。









7月27日
黒部乗越〜黒部五郎〜太郎兵衛平

黒部五郎山頂より槍を遠望する 薬師、赤牛、そして剣。

藤井小弥太
井上満穂

黒部五郎岳を稜線ルート、カールルートとあるうちの前者の方から登ることにする。始め、やぶがうるさいが、稜線に出てしまえば大丈夫だった。黒部五郎山頂では天気も良く、小さく槍も見えいい景色だった。後はひたすら下る下るで太郎兵衛小屋に着く。テント場は小屋から離れていて静かだった。しかし我々も結構早く着いたほうだったけどそれでもあらかた場所がふさがっていた。ななめに傾いた所ばかりでつらかった。

テントをたて、薬師にアタックするかどうか迷う。雲行きがかなりあやしいが明日はもっと分からない。結局行かないことに決めるとしばらくして雨が降ってきた。でも通り雨っぽかったから行けないこともなかったかもしれない。夕飯を食べて7:00就寝。




稜線ルートから行くことにしたが、道が岩場で歩きにくい。しかし景色は最高である。黒部五郎岳からは雲ノ平や鷲羽岳が見えた。そして左の方には薬師岳が広がっていた。そこから4時間かかって太郎平小屋につき、薬師峠に着いた。着いたときには空が.......で時間が早かった。薬師岳には結局登らないことに決まったがするととたんに雷雨になった。








7月28日
太郎兵衛平〜薬師岳往復〜折立

ガスの薬師山頂 太郎兵衛平より薬師を望む

藤井小弥太
井上満穂

前夜は夜通しすごい雨で朝になってもしとしと降っている。起きてからさらに1時間寝て、朝飯を食べてもまだ雲行きが怪しい。でも雨がとぎれたのを見て野本先生を強引に説得。一時は帰ることにもなりそうだったが、結局登る。

高校生の空身だけあり、かなりのスピードで登る。途中積雪時の赤布の方へいってしまい迷いそうになるが、それでも大幅にコースタイムを切って登頂。当然のごとく周りはガスで何も見えなかったが、それでも満足だった。

下りを登りと同じ時間で行き、テントを撤収して出発。薬師をバックに平らな道を歩いて行くと、雷が鳴りだし、雨まで降ってきた。樹林帯に入り悪い足場を何も考えずに下った。つらかったが最後と思い気合いを入れた。バス停に着いたときは汗と雨と泥でぐしゃぐしゃだったけど、本当にほっとした。富山駅までの直通バスに乗って合宿終了。




薬師岳にアタック。テント場を出たのが6:00だったのでとてもハイスピードで行った。薬師小屋までは雨が降っていたが、それからはガスっていた。頂上まではかなり強い風が吹いていた。頂上にはまだ雪渓が残っていて、ひんやりとしていた。そして降りたのだが、登るのに1時間7分かかったのに対し下りは1時間7分であった。

太郎平小屋からは道が整備されていて、広かったが雷が常に鳴っていた。右の方に薬師岳と鹿島槍ヶ岳と剣岳が並んで見えた。折立からは富山への直通バスがあって良かった。









page 1. 合宿概要・行動記録 1/2
page 2. 行動記録 2/2


1998年度活動記録も併せてご覧下さい。



home > history > iwatsubame > extra > 1998年度夏合宿資料
prev.

(C) 2000-2024, azabu alpine club. all rights reserved.
text by k.fujii, m.inoue & k.shiino. photos by i.nomoto.

ホーム || これまでの活動 || ギャラリー || コラム || 山岳部員・OB会員のページ || 掲示板 || このサイトについて
岩燕メイン || I-V号 || VI-IX号 || 那須追悼号 || 岩燕総合インデックス || 管理者へメール