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[chronicles]
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1974年度をふり返って
三品裕司 |
序章春合宿に常念を-これは夏合宿の前頃から僕らの今年の目標となった。そして一次、二次偵察を出して概念をつかみ、後は直前の偵察と具体的準備を残すのみとなった2月8日その目標は断念せざるを得なかった。ある部員が、現状では春合宿常念は無理だ、全員で行けるような、チームワークを育てるような合宿をやる方がよいのでは、といい出した事に起因している。 |
反省
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合同合宿問題は片づいたわけではなかった。 春合宿をやるのかやらないのか、やるならどういう形にするのか? 田辺-合宿はやるべき、できれば二回 結局15日間の討議の末、春は中学高校合同で行ないチームワークを固めるという事にし、佐々木のためにはOB同伴で個人山行で八ヶ岳へ行き教え込む事になった。 ところが合宿のフタを開けて見ると無惨だった。準備期間は、ほとんど僕と、一人の中一とでやったようなものであった。参加者については、一名しかいない中二が親の反対で参加断念、七名いる中一も、一人は家庭の事情、一人は左膝関節挫傷、一人は心臓発作、一人はボーイスカウトの都合、一人は家庭外の都合で直前取消が相次ぎ結局二人しか来なかったのである。 |
これから僕らは、この一年間、常念岳東南稜における春合宿を目ざし、そしてかくの如く途中で挫折した。2月のこの時期にここまで意見が食い違ったことが致命的であった。短い期間であったけれど、いうべき事はすべていいつくした。できる限りの事はしたのである。 こうなる事は必然であって、それに蒔田が一早く気付いただけのことだったのかも知れない。しかし常念の失敗は僕らに数多くの教訓を残した。僕らはもう一つ仕事をせねばならない。この教訓をいかし、後輩に二度と失敗を繰り返えさせない事である。4月からは、当然の事ながらトレーニングと研究会をガッチリやっていく事を確認し合った。常念の失敗の意義は、これからその真価を間われるのである。「三品のような奴ばかり五人もいたら、行けただろう」という蒔田の言葉の意味を考えながら、翌昭和50年度に期待をかける。
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text by y.mishina. photo by h.uwaha.
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