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[chronicles]
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1999年度山行記録 |
1999年(平成11年)12月
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2000年(平成12年)3月
<1日目> 池袋で待ち合わせ、しかし、集合時間は7:00なのに野本先生と山本さんと僕は、すでに6:30に来ていた。僕は、今会リーダーなので当然だと思うが先生と山本さんはすごい人だ。 |
<2日目>
昨夜はパラパラ雨が降っていたのだが、今日は晴れた。朝はお汁粉だったが、甘くて食が進まなかった。白岩山を出発してわかったが、この日は風がものすごく強くて寒かった。しかし、道は思ったよりもよく、歩きやすかった。酉谷の山頂を通って、一杯水避難小屋で泊まった。その夜はカレーで、一瞬で宇宙の真理を理解し、そしてそれを忘れるほどまずかった。先生の黒豆がありがたかった。 <3日目>
一杯水から川乗へいった。その間道は広くて気持ちよかった。川乗から本仁田まで行く時、道を間違え尾根の方へ行ってしまった。大ダワへ行った時は天気も悪く、疲れていたのでそのまま下りた。駅でラーメンをおごっていただいた。おいしかった。[土本記] |
<山本OBの山行記録>
三月二十一日(晴) 今回は、時間が無いため池袋に集合して特急を使うという贅沢な始まりとなった。しかし快適なはずの車内で、寝ていた私は金縛り。気合で金縛りを破って三ツ峰口に到着した。最初はバスとロープウェイを使う予定だったが(ロープウェイの始発が遅いのが、このルートのネック)、タクシーで三ツ峰神社に直接行ける事が分かったのでこちらを利用した。 二十二日(晴) 結局雲取山に登るのをあきらめて長沢背稜を下る事にした。芋の木ドッケ周辺でやや道が荒れていたものの、健脚向きとの立て札が立っていたわりにはしっかりした道で、歩き易かったが、長沢山から水松山にかけて耳がちぎれるような北風を受けて体力を消耗した。最も長沢、水松、酉谷の各山頂からの石尾根の展望は素晴らしかった。この日は二時ごろに一杯水避難小屋にたどり着き、小屋でのんびり休んだ。ただ、水場が完全に枯れていたので、また雪を溶かさねばならなかった。土本が二回程床に転げ落ちたのを除けば快適な夜だった。(前日のテントより寒かったけど) 二十二日(晴) いよいよ最終日である。ただ下るだけでは芸が無いので、蕎麦粒山、川苔山、本仁田山に登る事にした。蕎麦粒山の登りは、道が狭く、ぬかるんでやや状態が良くなかったが、山頂では、石尾根や雲取、それに富士の展望が素晴らしかった。そこからは、日向沢ノ南峰まで開けてはいるが急な坂道を登り下りした。これは川苔山本体の登りよりきつかった。川苔山も展望が良く、さらに気温も上がっていたので快適であったが、花粉症の土本と野本先生はちょっとつらそうだった。特に眼に症状がでた野本先生はかなり大変そうであった。 (目薬を忘れたのが敗因)
春合宿は天気も良くのんびりと登れましたが、(中学生2名で仕方がないのですが)少し以上に物足りなさを感じました。 |
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