[chronicles]



1996年度山行記録

1996年(平成8年)4月
  • 四月山行・九鬼山(4月20日)安達秀一、山本真一郎(高二)、池田耕介、坂上敬、深田勝一(中三)、高久裕輝、藤井小弥太(中二)
    • 目的:部員の連帯を深める
    • 日程:禾生〜九鬼山〜札金峠〜猿橋(計画:禾生〜九鬼山〜札金峠〜馬立山〜御前山〜神楽山〜田中峠〜猿橋)。日程:禾生〜九鬼山〜札金峠〜猿橋(計画:禾生〜九鬼山〜札金峠〜馬立山〜御前山〜神楽山〜田中峠〜猿橋)。

今回はコースタイムが眺めなので、夜行日帰りにした。
禾生駅でしばらく寝てから登山するはずだったが、駅が小さいので小学校で寝ることになった。寒かったがツェルトを被って耐えた。
九鬼山は急勾配だったが、時間をかけずに登ることが出来た。その後は尾根の上を歩いたが、札金峠付近で右手の沢に降りてしまった。気付いたときには、四十度ほどの急斜面を二十分ほど下った後だったので、そのまま下山した。[山本]


    5月
    • オープン山行・高川山(5月12日)安達、山本(高二)、池田、坂上、深田(中三)、高久、藤井(中二)、岩佐洋一、平秀明、野本勇(顧問)、他部外者三名。
      • 目的:新入部員を集める
      • 日程:初狩〜高川山〜大休場〜禾生。

    今回はオープン山行だったが、中一は一人も参加せず、代わりに先生のお子さんが三人参加した。
    登りは急であったが、コースタイムが短かったので、子供以外は誰もバテずに山頂までたどり着いた。頂上は360度視界が良く、爽やかだった。
    食事は大休場で取ったが、思わず見落としてしまうほど狭く、景色も見えず、みんなから不評だった。
    禾生まで林道を二十分歩くのが少しつらかった。[山本]




    6月
    • オープン山行・岩殿山(6月2日)安達、山本(高二)、池田、坂上、深田(中三)、藤井、高久(中二)、増子寛、野本(顧問)、他中一が二名参加。
      • 目的:新入部員を集める
      • 日程:大月〜稚児落し〜天神山〜岩殿山〜大月

    今回の登山では、中一が二名参加してくれた。
    先生と我々高二は丸山公園を経由して、先に山頂で食事の準備をしながら待ち、ほかの部員は中一と稚児落し、天神山を通って大回りすることにした。山頂は景色が良く過ごしやすかったが、昔の山城の遺跡が残っていなかったのが残念だった。
    中一は山岳部とワンダーフォーゲル部両方に体験入部したが、結局ワンダーフォーゲル部に入った。[山本]




    7月
    • 夏合宿・白馬・穂高(7月21-27日)山本(高二)、池田、坂上、深田(高一)、新垣眞樹、野本、増子(顧問)。
      • 目的:中三の意識強化、大雪渓にチャレンジする
      • 7/21:白馬=猿倉
        今までにいろいろあったが、泣いても笑ってもこれが現役最後の夏合宿である。今回は私にとって初めての二部構成合宿であるため不安はあったが、精一杯山を楽しんでこようと思う。
        時刻表の見間違いから前日の夜に集合時間を変更してしまったが、みな定刻どおり無事に集まることが出来た。
        見送りに来てくださったOBの梅村さんに缶詰六個とドーナツをもらい、予定通り新宿を出発する。
      • 7/22:猿倉(6:46)〜白馬尻(7:10)〜葱平〜白馬山荘(16:00)設営(泊)
        猿倉でドーナツを朝食に取った後、軽く準備体操をして出発する。林道を抜けたところで一本とり、さらに五分ほど進むと白馬尻小屋に着いた。今年は雪が多いためか、小屋の脇からすぐに雪渓が始まっていた。以前から登るのを楽しみにしていた大雪渓だが、落石の危険があるので座って休めず、動かないでいると体が冷えてしまい、大変厳しい登りになった。次の一本でアイゼンをつけたが、私はほかのメンバーから遅れ始めた。
        雪渓を抜け、アイゼンを外してもペースが上がらず、私がテント場についたのはみんなよりも一時間ほど後になってしまった。
      • 7/23:停滞(予定:白馬山荘〜白馬岳〜三国境〜雪倉岳〜小蓮華山〜大池山荘)
        この日は風雨共に強く、予定していた雪倉岳へのアタックを中止して、待機することにした。前線が停滞したためか一向に雨のやむ気配は無く、明日の天候が危ぶまれた。



      • 7/24:起床(4:30)〜白馬山荘発(5:30)〜白馬岳(6:10)〜三国境〜小蓮華山(8:00)〜大池山荘〜乗鞍岳〜天狗原〜栂池山荘(13:45)ー(ロープウェイで移動)ー高原=白馬大池(14:30 - 山本以外解散)
        白馬大池=(電車)=松本(17:30)=新島々=上高地〜小梨平(19:30)(泊)
        幸いにも天候が回復し、今まで見えなかった美しい山々が姿を現した。
        白馬山荘で貸しアイゼンを返して一気に白馬山頂に向かい、6:50までのんびり過ごした。さすがに山頂からの眺めはすばらしく、苦労して登ってきた雪渓も下まで見通せた。次の小蓮華山も予想より大きくて見晴らしも良かったので、三十分ほど休んだ。
        しかし、次の一本をとった白馬大池山荘から、また私が遅れ始めてしまい、乗鞍岳の頂上で一本とった後も、下の雪渓で七回も転んでしまった。結局、栂池小屋に着いたのは、二時近くになってからだった。
        下山後、次の目的地である穂高に向かうために、中三達や増子先生と別れて大急ぎで特急あずさに飛び乗る。しかし、それでも上高地行きの最終バスに一時間も遅れてしまったので、先生と相談してタクシーで上高地に向かい、そこで野本、新垣両先生と合流することにした。
      • 7/25:起床(4:00)〜小梨平発(4:50)〜明神〜徳沢〜横尾(8:30)〜涸沢ヒュッテ(12:35)(設営・泊)
        食事を終えてすぐ出発する。
        三時間ほどで明神、徳沢を抜けて横尾に到着し、今後の登りに備えて二十分の休みを取った。
        横尾からの道は思ったよりも長く、本谷橋の手前で一本取ることになり、橋を通過したのは十時になった。さらにここから本格的な登りに入り、樹林帯を抜けて雪渓に入るまでに二本も休みを取ってしまった。
        しかし、出発が早かったので、到着時刻が今まで私が参加した合宿に例が無いほど早く、二時間ほど涸沢の自然を楽しむことが出来た。

      • 7/26:起床(4:00)〜涸沢ヒュッテ発(4:50)〜穂高山荘(7:50)〜奥穂高岳(8:30)〜涸沢ヒュッテ(11:50)〜横尾(16:25)(設営・泊)
        最初の登りはかなり疲れたが、一本でザイデングラードの下に着く。
        ザイデングラードは下から見るとかなり急に思えたが、思ったよりも登りやすく、早めに穂高小屋に着いた。二十分の休憩の後、いよいよ最後の登りに取り掛かる。最初見たときには壁のように見えた岩肌も、いざ登ってみると足がかりが多くて楽だった。
        穂高からの眺めは素晴しく、槍ヶ岳までくっきりと見えた。ここで三十分ほど休んだ後、涸沢ヒュッテまで戻り、12:50にはテントをたたんで横尾まで一気に下った。

      • 7/27:起床(5:00)〜横尾発(5:50)〜徳沢〜明神〜小梨平〜上高地(9:00)
        今日の行程は平らで、道も整備されているので何事も無く上高地についたが、休日のせいか人がやたらに多かった。
        少し遠かったが風呂に入り、さっぱりしたところでバスに乗り、夏合宿最後の山を後にした。

    今回の合宿は本来部員全員で穂高岳を登るはずであった。しかし、中三が穂高の岩稜帯を登ることに強く反対したために、前半は白馬を顧問の増子先生と部員全員で、後半の穂高は私と野本先生、新垣先生の三人で登ることになった。




    12月
    • 冬合宿・金峰山瑞牆山(12月21-23日)L.山本(高二)、藤井(中二)、野本(顧問)。
      • 目的:冬山を経験し、下の学年に引き継ぎをする。
      • 12/21:韮崎(10:05)=増富温泉(12:30)=瑞牆山荘(13:30)〜富士見平小屋(13:50)〜大日小屋(14:50)(設営・泊)[人数が少ないので、韮崎に集合することにした。先生とは増富温泉で合流]
        今回は時間の節約のため、バスの通らない増富温泉から瑞垣小屋まで、特別に野本先生の車に乗せてもらうことになった。
        瑞垣山荘では、小屋の親父の失礼な態度にむっとしたものの、大
        日小屋の少し手前でアイゼンを着けた他は何事も無く、無事にテント場まで着いた。
        しかし、テントの中に入ってからが大変だった。下で、壊れたスベアから劣化した灯油を給油してきたために、スベアが使えなかったのだ。最終的にエピガスで調理することになったのだが、この事が分かるまでに二時間もたったので、寝るのが大幅に遅れてしまった。

      • 12/22:起床(5:00)〜大日小屋発(6:00)〜金峰山山頂(10:15)〜大日小屋(14:27)
        行きの電車内で私のアラーム付き腕時計が盗まれてしまったため、四時におきる予定が、寝過ごして五時になってしまった。コースタイムに余裕はあったが、少し準備を急いでよく晴れた中を出発した。
        今年は例年に比べて雪が少ないので、道の状態は良かったが、肯定の半ばを過ぎたあたりから私がバテ始めたため、大幅に遅れてしまった。
        稜線に出ると冷たく澄んだ風が火照った体に心地よかった。景色も良く、瑞垣山の輪郭がくっきりと見えた。雪は10〜15cmほど積もっていたが、柔らかく歩きやすかった。頂上からは富士山も見え、最高の展望だったが、風が強く、寒くなってきたので一時間ほど休む予定を四十分ほどで切り上げ、下ることにした。

      • 12/23:起床(6:00)〜大日小屋発(7:00)〜富士見小屋(7:47)〜瑞牆山山頂付近(9:47)〜富士見平小屋(10:40)〜瑞牆小屋(11:30)=増富温泉(12:00)=韮崎(17:00) 
        最終日なのでのんびりと出発する。
        真っ直ぐ下山する予定だったが、富士見平小屋に早く着いたので、藤井の強い要望もあって、瑞垣山へのアタックをすることにした。チラチラと雪の舞い降りる中を瑞垣山に向かったが、下りから登りに変わったあたりで次第に雪が激しくなってきた。
        悪い視界の中をひたすら急な斜面を登ったが、次第に道が雪に埋もれて迷ってしまい、頂上の裏側に出てしまった。結局登頂はあきらめ、少し休んだ後下山することにした。
        増富温泉でゆっくり風呂に入り、疲れを癒して帰った。[山本]

    1997年(平成9年)3月
    • 春合宿・鍋割山、丹沢山(3月20-21日)藤井(中二)、野本(顧問)。
      • 目的:技術の向上、リーダーの育成
      • 3/20:渋沢=県立登山訓練所(宿泊)〜鍋割山往復
      • 3/21:県立登山訓練所〜塔ノ岳・丹沢山往復〜渋沢
      • 反省点:
        • ぺミカンのジャガイモに火が通っていなかった。
        • おしるこの具を忘れた。
        • ご飯を炊きすぎた。(一人何合かを知らなかった)
        • 小物をもう少し選んで持っていくべきだった。
        • 体力が無かった。
        • 塔ノ岳はきれいな景色だったが、丹沢山は見晴らしが悪い。
        • 計画段階では小草平に泊まる予定だったが、実際にはテントをはる場が無かったので、注意したい。
        • 丹沢はテントを張る場所が限られていたので、探すのが難しかった。




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