[chronicles]



1978年度をふり返って

高坂元顕




冬合宿・八ヶ岳にて
この年は、私自身、麻布の6年間を通して最も多く山に入っていた年であり、年間50日近くを山の中で過ごした。考えることも山のことばかりで、積雪期の北アルプスの頂に立つ事が、当時の私の目標であり、夢でもあった。『岩燕』六号を幾度となく読み返しては、過去の積雪期の合宿について、メンバー構成や部員の山行経験といったものを研究したりしていた。しかし、現実に我々が積雪期の北アルプスで合宿を行えるとは思えなかった。

私が入部した頃から、山岳部は一つの転換期を迎えていた。それは部員数の減少もさることながら、部員構成の中心が中学生となり、従って活動も下級生の育成が中心とならざるをえないなど問題が多かったのである。もはや、積雪期の北アルプスどころではなかった。下級生育成の名の下に、訓練に終始せざるをえない合宿のあり方自体に部としての苦悩と戸惑いがあった。私の代と、一年上級の岩城さんの学年とは、合宿のあり方について、よく議論した。もっと違った形で山へ行く合宿があってもよいはずだと。しかし、我々自身、訓練山行によって育ってきたということもあって、明確な結論を導き出すことは容易なことではなかった。ついには、既製概念にとらわれた合宿に希望は持てないというところまで行ってしまったという感がある。52年と53年の夏に黒部源流で行われた個人山行は私の山岳部生活の中で最も充実した山行であった。何がよかったかと言葉で表すのは難しいが、全員が一体となって山へ行ったという実感があった。しかし、こうした山行を合宿で行うには、我々自身、まだ戸惑いがあった。私にしても、個人山行に情熱を燃やし、合宿は、こうした個人山行の基礎を作るものであると考えるようになっていた。今思えば、こうした状況は、下級生にとっても合宿に対する意識を沈滞させるものであった。彼らこそ、いい迷惑であったと言えるかもしれない。

53年の9月に私は岩城さんからリーダーを引き継ぎ、54年8月まで一年間務めた訳だが、いざリーダーという立場になって考えてみると、今までの自分の山岳部に対する接し方が何か本当ではないという気がし始めたのである。私は、合宿こそ山岳部の活動の中心であるべきものであると考えた。そう考えるようになったのは、リーダーとしての責任感からだったのかもしれない。そして、私がした事は春合宿を年度の最終目標として、我々の持てる力の全てを発揮する場とすることであった。場所は黒法師岳周辺となった。黒法師岳を中心とした山域で縦走形式の山行を行う事は、当時の我々にしてみれば十分やりがいのある対象であったと言える。半年間の山行計画を作成し、日常活動も合わせてすべては春合宿へ向けて動き始めた。雪上歩行技術、雪上生活など、やらなければならない事は幾らでもあった。必然的に山行は、それらの技術を習得する揚となり、訓練山行としての色合いが濃いものとなった。そして、こうした状況は、結局以前の部の状況と何ら変らないものとなってしまった。山行の度に議論は断えなかった。

こうして迎えた春合宿は、何か釈然としないものであった。行程は順調に消化できた訳であるから、表面上は成功であったと言えるかもしれないが、山を下りて私は空しさを感じずにはいられなかった。それは皆も同様であったと思う。私は何か最も大切なものを忘れていた様な気がする。一体それは何であったのか。

黒部源流での個人山行が素晴らしかった事は先に書いたが、考えてみれば、春合宿にはこの山行にあった様な一体感が欠けていた。つまり、上下の関係を越えて共通の目標である山に向かって協力し合うという意識に欠けていたと言える。山へ行くに当って、体力や経験に個人差が存在することは仕方のないことであり、それを補うのがパーティを組むということであり、仲間と山へ行くということなのである。こんな当り前の事に気づいたのも最近のことで、当時私は、未熟な下級生を鍛え、体力も経験も揃ったパーティを作ることだけに夢中になっていた。その結果が、当時の部長であった平野先生が指摘された、「合宿としてはミスの少ない合宿であったが、ミスの少ない合宿がよい合宿だとは言えない」ということになってしまったのではないかと思う。よい合宿とは、互いの弱点を補える仲間が共通の目標としての山へ向った成果であると言える。そして、こうした山行の積み重ねの中で、個々の弱点が克服された時、あの黒部の様な山行も可能になる。もしかしたら、積雪期の北アルプスもその延長線上にあったのかもしれない。まあ今となっては残念であるとしか言い様がないのであるが。

最後に、未熟な我々を支えてくださったOB会指導委員の方々、特に代表指導委員として事あるごとに相談に乗って下さった鈴木さんには、当時のリーダーとして、ここで改めて御礼を申し上げたいと思います。
尚、本稿を書くにあたっては、『レポート』42号(昭和54年6月6日発行)43号(上に同じ)を参考にしました。

(1986年記)





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text by ganken kosaka. photo by n.takano

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