[chronicles]



1951年度後半(昭和26年9月〜27年3月)をふり返って

三橋正道


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1951年前半の回顧からつづく

アルプス銀座等と称せられて上高地がアロハで彩られる昨今こそ、案内書に騒がれ出した南アルプスも、その頃は忘れられた存在であった。アルプスとして東京から北アよりも近く小屋も少なく有っても多くは無人小屋で、従がって経済的であると云うひどく現実的な理由から主として笠原氏の時代に培われて伝統的にホーム・クラウドとなっていた。

それ迄、局部的に合宿や縦走の対照であったこの赤石連峰を総仕上げの意味で26年の夏、全山縦走と集中登山を同時に敢行した。案内書と云えば当時では定評ある昭和18年発行の渡辺公平薯「南ブルブス」だけで、あとは先輩の経験を足で集めるしかなかった。

さて行ってみて驚いた。

通称馬鹿尾根と云われる仙丈岳の南稜は倒木と荒廃で林道は文字通り寸断され、ナタ目深しと木登のアルバイトで、ようよう尾根を見失なわずに済んだ。後で聞いた所によると冬期は勿論、夏でも二、三パーティしか入っていないとのことだった。気持よい沢音に夢を結んで、その翌朝、圧するばかりの今日の稜線を目指し胸を輩かせながら濡れた草葉を踏んで出発した。両又小屋から北岳に攀じたのだがルートにとった野呂川源流左股の登山路もまぎらわしい這松の波にのまれて失ってしまった。前途10日分の食料をつめ込んだ重いザックに唸り足をとられる這松に傷だらけとなりながら、ともかく三角点を踏んだ。ふと気が付くと名にし負うバットレスを蔽うように這い登って来たガスが稜線を境に停帯し後からやって来るのを加えて序々にその濃さを増して行く。そして山稜を乗越して行こうとはしないのだ。丁度東面だけ幕を引いて隠したよう。西側は木曾駒をはじめ中央連山、遠く北ア連峰がコバルトのスカイ・ラインを描く青天井だ。そよと吹く風もない静寂の凪。折からの夕日を背に一行三人のシルエットを内に霧の中の円虹、ブロッケンが現れた。しばしの沈黙。肩を組む、霧の中の人物も肩を組む。ピッケルを上げる、影もピッケルを上げる。その大きさだけすっぽりと囲む虹の中で。

この忘れ得ぬ思い出を最後に高三部員は現役を引かれた。それから半年を引受けることになった。今まで、何か面倒な事が起れば上の方にお譲りしていた態度は自然と無くなる。責任を否応なしに強く感じるようになるのだ。だれしも苦心する部の統率に早くも突き当った。屋上のサイレン下の集合場にどうやって放課後、集めるかに森田と二人(これが我々の学年の全でであった)頭を痛めたものである。

部員は高一の諸君がほとんど、中三に一人近藤君がいた。「こうしたクラブ活動はどうしても盛衰の波があるのはやむを得ないね」とは確か内田氏の言と記憶しているが新入部員のいない先細の状態であった。とまれ次代にバトンを渡してから上昇線をたどるのを見て何かほっとするものを感じる。

部はその一期生を送り出して大学の山岳部に籍を置かれてから、よきアドヴアイスを受けるようになった。初期の頃OB会によるコーチング・スタッフは得られなかったが、個人的に何かと御世話をしていただいた。大学の現役で活躍しておられた諸先輩のお話は得る所少からず、指針を与えられて来た。レーニングにも時々顔を出され共にやっていただいたのだが大学級のしごき方に強く刺激された。

先きの二週間に亘る南ア全山縦走の成功が大いに認められ、この実績が予算会議に意外の部費を割当られ以後のそれに影響して行ったのは幸である。又この経験から、それ迄合宿にしても山行にしても孤立的に建てられていた計画が、種々の意味で高度な山行を目指すスポーツ・アルピニズムの方向に進んで来たようである。山行計画が成って一つのポイントがきまると重点的にその目的のために、必要な資料を集め一年間の行動を偵察、準備、体力の養成のための夏期登山等を規定する。この事は高度な山をやる場合の当然の帰結だが先輩の指導のもとにこの様な気運が芽生えていた。

しかし比較的自由であった26年度迄の諸先輩は高三迄、何かと部の運営にタッチしていただいたのであるが学校側の受験態勢の強化のために、高二部員重点に原則的に規定されたのもこの頃だった。

部の創立から五年を経過し年毎により大きな発展と成長を嘱望された先輩諸氏に答えたいと願ってはいたのだがその力の弱さにコンプレックスを感じた一時期であった。(1958記)





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