コラム  11号 Sep.2004



《8月8日》

 仙ノ滝沢に入ると、さっそく滝があらわれはじめる。5メートルくらいの滝を、水流沿いに続けざまに越える。まだ谷に陽がさしてくる前の、青白い水しぶきに浸す手足の感覚が、身体を芯から目覚めさせていく。10メートル2段の斜瀑は、上段が扇状に流水を分けていて、左寄りの凹角の水流が登れるが、二、三歩足場がつるつるなので、先行した山田さんに上から細引きをたらしてビレイしてもらう。(033)その先の、廊下状に瀑水を落としている6メートル滝は、廊下内部の右岸凹角に取りついて、ザイルを延ばす。(037)
 さらに小滝を越えると、黒光りしてよく磨かれた15メートル滝があらわれ、登れないので左岸から高巻きに入る。急傾斜の小尾根を灌木の枝に掴まりながら汗だくで登っていくが、かなり上まで追い上げられる。どのくらい上がっただろうか、ようやく傾斜がゆるくなってきたところで一息つき、谷間のほうを覗きこむ。おそろしく薙ぎ落ちているV字の谷底に、60メートルの豪快な直瀑が圧縮されて挟まっている壮観に、思わず感嘆の声を上げる。振り返ると、中ノ岳から下りている山稜に朝陽があたってまぶしい。(041)灌木まじりのブッシュを下りぎみにトラバースし、立木を選んで、ザイルに細引きを繋ぎあわせ、40メートルの懸垂で谷に降りる。
降り立った先の、心なごむ河原でしばし休憩し、高巻きで火照った体をいやす。それからすぐに、ふたたび両岸から露岩がせり出し、廊下状となって、その奥に左側へねじれた15メートル滝を落としている。瀑水すぐ左の側壁にザイルを延ばす。残置ピンなどは見あたらず、高坂はハーケンを数本打ってリードする。残置もそうだが、この沢には人の入った形跡がほとんど見あたらない。遡行者の少なさがうかがい知れる(047)
小滝を二つほど、盛夏の陽ざしを浴びながら快適に登ると、豪快な20メートル滝に行きあたる。両岸はドーム型の岩の要塞で、下のほうはしぶきが宙を舞っている。右岸のブッシュまじりのスラブが取りつけそうだ。高坂がザイルを出してリードするが、岩が脆く、かなり難儀している。ハーケンを打ってはいるものの、あまり効き目はなさそうだ。いやらしい一歩を逡巡したすえに越えたところで、たまらず小休止している。上部はブッシュから小灌木に突入し、落口まで右にトラバースする。(054)
 これを越えると、沢筋がいくぶんひらけた感じになり、そのなかを小滝が連続する。きめ細かく磨かれた沢床、両岸のスラブを爽やかな緑にいろどる草付き。越後の谷の懐ふかく分け入ってきた実感が、一歩ごとに昂まってくる。釜の大きな小滝のむこうに、顕著な滝が見える。仙ノ滝だろう。はやく近づきたくて、岩を掴む手にもおのずと力が入る。(065)
 仙ノ滝は、幅のひろい垂直のフェースから30メートルの直瀑を一気に落とす、見事な滝だ。ここまで大小の滝を、ときにはロープを着けながら、いったいいくつ越えてきただろう。いつのまにか、岩の襞にラインを引く目の動きと、取りついて岩角をまさぐる手足の動きがひとつのループをなして、瀑水のうねりに波長を合わせるように、運動神経系の回路がおのずと同調してきたように感じられる。滝の中ほどにバンドが走っていて、瀑布の左から取りつき、バンドで瀑水の裏をくぐって、右へ斜上すれば抜けられそうにも思えたが、高坂にはさっきのボロ壁での苦労がまだ脳裏に焼きついているらしく、登ろうという気にはなれないようだ。少し戻って、右岸のガレルンゼから高巻きに入る。(067)
 ガレルンゼはつめ上がった先が露岩の壁になっているので、途中から右の草付きに取りつきたいのだが、なかなかいいポイントが見つからない。先行した山田さんが、ここらへんでどうだとばかりに取りついて、10メートルほど草付きを直上したところで右へトラバースしている。「あと3メートル、あと2メートル、……」と声をしぼり出しながら、バランスと神経をフルに鼓舞している様子が、下からも見てとれる。なんとか木の枝を掴み、そのまま小灌木づたいに直上して、セルフビレイを取ってから細引きをたらしてもらう。
 悪さ、という意味では、ここが今回の核心だった。なにしろ急な泥壁で足場など置きようもなく、掴めるものといえばひ弱な葉っぱと茎ばかり。もし自分が先に取りついていたら、出だしの一歩でやめていただろう。山田さんの妙技に敬服するほかはない。あとで高坂がいみじくも、山田さんを「草付き隊長」と名づけたのだった。(069)
 灌木帯にたどりついてほっとしたものの、そのままかなり上まで追い上げられて、懸垂20メートルで仙ノ滝の落口に降り立つ。滝上はしばしゴーロがひろがり、上方には稜線につづくなだらかな尾根が見わたせ、ようやく空が間近まで下りてきたようだ。そろそろ今夜の幕場を探す頃合いだろう。2段15メートルの滝が視界に入ってきたところで行動を切り上げ、少し戻って左岸のわずかな平地を開拓する。石をどかし、砂利を掻き出して平らに均し、草を敷きつめ、けっこうな土木工事をほどこしてテントを張る。対岸にはタープを張りわたし、これでなんとか落ち着けそうだ。
 今日は中身の詰まった一日だった。雷雨に遇わなかったのもさいわいだった。焚火の焔に照らされ、ウイスキーでゆるゆると緊張をほぐしながら、「草付き泥壁」の恐怖で盛り上がる。これもまた、豪雪にはぐくまれた越後の沢の醍醐味だろうか。ともかくも野性味がたっぷりと染みこんだスラブにルンゼだった。(080)(078)



 

033037041047054065067069078080