山は夏の沢がなにより好きです。毎年八月のお盆休みには、泊まりで山深い渓流に身を浸してきました。

 二〇一九年の八月一三日から一五日は、私と同期の高坂元顕、一年先輩の岩城達之助さんと、二泊三日で朝日連峰の根子川本谷へ行ってきました。下流部の緑深い瀞、中流部のゴルジュと滝、源流部の雪渓に草原と、変化に富んだ渓谷美を堪能してきました。
 水神淵と呼ばれる大きな釜をもった滝まではほぼ河原歩き、水神淵を高巻くとゴーロに小滝が現われはじめます。乗っ越したりへつったり、ときにちょっと泳いだり、むせかえるような濃緑の森に降りそそぐ木漏れ日を浴びて進みます。沢が右へ曲がるところに懸かる一〇メートル滝にロープを出して登ると渓はひらけ、ほどなく初日の泊まり場に着きました。
 二日目、明るいゴーロを進むうちに沢床の岩盤が張ってきて、いくつか優美なナメ滝が現われます。いつのまにか森は渓の上部に後退して、両岸の緑が薄くなってきました。一〇メートル前後の滝を小気味よく越えていくと、二〇メートルの大滝に突き当たります。幅広の立派な直瀑です。左岸の草付から高巻くとほどなく正面に樋状の滝が見えてきました。これは登れないなと地図を見ると、これは支沢の滝で、本流はその手前で直角に右へ曲がっています。本流のほうも岩盤を斧で割ったような狭隘なゴルジュで、なかに細長い滝が懸かっています。ここがこの渓のハイライトでした。まず支沢の滝を左から巻いて支沢を横切り、そのまま本流の右岸を高巻きました。
 本流のゴルジュを越えると渓はひらけ、稜線も望めます。ふたたびゴーロになり、両岸が狭まるところには雪渓のブロックが散乱しています。ブロックを越えるとまた渓がひらけ、正面に大きな雪渓が見えてきました。雪渓の手前の河原で二日目を終えました。
 三日目の朝、雪渓の向こうに朝日連峰の稜線が赤く染まりました。今日も快晴です。傾斜の緩い雪渓を歩き、小滝をいくつか越え、最後にスノーブリッジを高巻くと、なだらかな草原がひろがりました。金玉水の水場を過ぎ、藪漕ぎもなく大朝日岳へ詰め上がりました。

 二〇二〇年の八月一六日から一九日は、東北和賀山塊の堀内沢に三人で行ってきました。三泊四日のゆとりのある計画でマンダノ沢を羽後朝日岳まで詰め上がるつもりでしたが、あいにく雨に祟られて果たせませんでした。
 夏瀬温泉から先の発電所取水口から入渓します。足を浸してみると水勢が強い。どうも増水しているようです。初日は滝もない平瀬の渓流なのですが、膝上くらいの徒渉で苦労し、岸が狭まった淵は渉れないので高巻きをくり返す。マンダノ沢出合より手前の幕営跡に着いたときにはもう午後三時くらいでした。予定ではマンダノ沢の蛇体淵あたりまでいくつもりだったのですが——。けっきょくここで三泊することになったのでした。
 二日目は終日雨で停滞。タープを二つ並行して張ったのですが、雨漏りが酷くて、シュラフカバーを持ってこなかった私のシュラフはずぶ濡れになってしまいました。川は濁って釣りもできず、じつに寒くて不快な一日でした。この日の夕方、あと二日あるけどどうしようか、三人で話しました。ここから二日で、朝日岳を越えて夏瀬温泉まで下るとなると、明日は部名垂沢の中流あたりまで歩かなければならず、相当きつい行程になるだろう、増水と雨ですっかり志気を削がれてしまい、明日もこのままここで過ごすことになるだろうなと諦めつつ、降りやまぬ夜は更けていくのでした。
 三日目、雨は上がったけれど、撤収して出発しようとは誰も言い出しません。朝食後、せめてマンダノ沢を途中まで見に行こうということで、空荷で出かけました。マンダノ沢に入るとすぐに渓の傾斜がきつくなり、落ち込みと滝が連続します。昨日の雨のせいもあって、一二メートルほどの斜瀑は怒濤の勢いで水しぶきを上げており、とても直登は無理なのでここで引き返しました。けっきょく蛇体淵までもたどり着けず、往復三時間で幕場に戻りました。あとは昼寝と釣りです。粘りに粘って四尾ほど、私にしてはまあ釣れたほうでした。

 二〇二一年の夏は、八月の天候が不順で、お盆の頃には沢へ行けませんでした。それでも九月になり、三人でメール連絡を取り合って、一二日から苗場のサゴイ沢へ行ってきました。
 上越の秘湯赤湯から登山道を辿って入渓します。すぐに現われる瀞や関門のような八メートル滝には、高巻き用のフィックスロープがありました。釣り人の入渓もけっこうあるようです。しばらくゴーロが続きますが、どうも思うように足が上がらない。転石を乗っ越すのに大股で踏ん張らなければならないわけですが、太腿に力が入らないのです。運動不足でずいぶん筋肉が鈍ってしまったようです。渓はひらけたり狭まったり、随所に五メートル前後の滝を懸け、大岩は苔むして岩盤は黒く濡れ、両岸は闊葉樹が鬱蒼と覆って、静謐な幽谷の趣きです。足さえ上がれば、この初秋の涼味にもっと酔えたでしょう。
 対岸から枝沢が長いナメ滝を懸けているところの河原に、タープを張りました。日が暮れるまで粘って岩魚を三尾ほど、小さいので天ぷらにして美味しく戴きました。
 翌日、渓はさらに傾斜を増し、五メートルから一〇メートルほどの登れる滝が連続して楽しめます。ゴルジュに懸かる一五メートルの直瀑は、手前左岸の尾根から大きく高巻きました。これを過ぎると源流の様相で、まだ小滝はあるものの両岸から茂みが被さってきます。二俣を左に入り、倒木を跨いだり潜ったり、水が涸れたら急傾斜の藪漕ぎで、へとへとになりながら信越の国境稜線に這い上がりました。
 ここで私は完全にスタミナが切れてしまいました。赤倉山まで一キロちょっとなのに、歩いては停まり、歩いては停まりで何時間かかったでしょうか。けっきょくこの日じゅうには下山できず、急遽高倉山の山頂で泊まったのでした。高坂と岩城さんにはほんとうに心配と迷惑をかけてしまいました。

さて、今年二〇二二年。コロナ禍もそろそろ収まりつつある六月半ば現在、まだ沢へ行く予定はありません。春先から体調を崩したこともあって、しばらくふさぎ込んでいました。そんなある日、変な夢を見ました。私はどこか山里の渓流で一人涼んでいるのですが、いきなり「洪水がくるぞ」と尖った声がして、上流を見ると黒い塊のような奔流のうねりが目に入りました。必死で岸の急斜面を這い上がると、そこは平坦な郊外の田園地帯。人気のない畦道をとぼとぼ歩いていくと、日暮れ間近に、小さな駅舎にたどり着きました。路線図を見ると、聞き覚えのある地方都市からひとつめの、実在しないローカル線の駅でした。  また歩けなくなるのが恐いので、春先に中断していたジョギングを再開して、脚力をつけてからまた沢へ行きたいと思う、今日この頃です。

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