月の建国記念の日(早速余談になるが、この祝日が制定されたのは私が麻布在学中のことだった。当日は制定に疑問を抱く先生方や生徒たちが登校して"自主授業"を行なった)の連休を使って、誰もいない大菩薩日川尾根を倅と2人で歩いた。大菩薩に登るのは20年ぶり。現役時代盛んに歩いた山の近年の変わり様を、この目で確かめる山行ともなった。
 日の10日、大菩薩登山口(裂石)でバスを降りると小雪が舞っていた。(塩山〜裂石間のバス料金が今時100円というのには驚いた)今日歩くのは、裂石〜丸川峠〜大菩薩嶺〜大菩薩峠〜上日川峠。10時出発。みそぎ沢に入ると積雪は30cm位あるが、しっかりと踏み固められた雪道がついている。新しく付けかえられた急な尾根道を登りつめて、峠を12時20分に通過。峠の小屋の煙突からはゆるやかに煙が立ち昇っていた。
 雪は相変わらず降っている。嶺への登りでは下山してくるパーティー5組とすれ違った。ストックを使っている人が多く、アイゼンやスノーシューを履いている人もいた。嶺には14時着。前線は通過したのだろう、ようやく雪が止んだ。樹林帯を抜けて明るく開けた雷岩に出るとやや風がある。上空の雲が急速に動いてゆき、西から南にかけて徐々に展望が開けてきた。目前の日川の谷間を見下ろすと、谷を堰き止めている大きなダムの姿が目にはいった。東電の揚水式発電用ダムだそうだ。山腹の樹林もかなり広範囲に刈りこまれている。この山あいの風景には何と不似合いな人造湖の出現だろう。
 新雪に覆われた広い尾根を峠に向かって下る。無雪期にはのんびり昼寝がしたくなるようなカヤトの草原だ。右手に何やら立て看板。富士見新道は崩落のため通行禁止とのこと。山岳部に入った中学2年の秋、伯父に連れられ初めて大菩薩に来たとき登ったのがこの・新道だった。いつしか陽が射し始め、峠につく頃には真っ蒼な空が広がっていた。小屋の外気温は−8℃。この小屋の食事は豪勢なんだ、と倅。ここに泊まるらしい登山者に何人も会った。
 明るい道を下って、萱葺きから金属製の屋根に変わった勝縁荘の脇を通り車道に出る。冬期は人しか通らない幅広の道を辿り、今夜の宿、上日川峠のロッヂ長兵衛に16時着。(もはや長兵衛山荘ではない)無雪期にはここまでマイカーやタクシーで上がってしまう百名山ハンターも多いそうだが、いまは山小屋の主人たちの車しか来ない。雪に埋もれたログハウスは童話にでてくる小人の家といった趣で、スパッツを外して入ると薪ストーブが赤々と燃えていた。素泊まりは現在キャンペーン中とかで1人4,000円。プラス冬料金500円。日川尾根の様子を若い主人に尋ねると、冬場は殆ど歩かれていないとのこと。しかも手入れがされず年々ヤブがひどくなっているので、源次郎岳と恩若ノ峰の間ではルートを外れて間違った尾根を下ってしまう人が少なくない。塩山までの完歩を目指して二度、三度トライする人もいるくらいだ。くれぐれも無理をしないように... そんな話を聞いて、俄然やる気が湧いてきた。
 夕食後、外に出てみると満天に星が瞬いていた。明日はきっと晴れるだろう。同宿者は10人ほど。この建物はまだ新しく、テレビもきれいに映るし、部屋は個室、風呂まで沸いていて暖かく眠れた。
 11日は4時半起床。暖炉の前では2時半に目が醒めてしまったという男性客2人が、もうビールを飲んでいた。ストレッチで身体をほぐし、6時に出発。すぐに明るくなる。予想通りの晴天で無風だ。トレースは全くなく、足首から膝下までもぐる。昨日見えたダム湖を左下に睨みつつ進む。日川尾根は1,600m前後のピークが連なって南西に延びており、2,000mに近い小金沢連嶺とは日川の谷を隔てて向かい合っている。その小金沢山の上空に朝日をうけて桜色に染まった雲が一片、二片浮かんでいる。日川尾根は植林が多いが、小金沢山も西側は山頂近くまで伐採が入り、人工林に変わってしまった。しかも南の方から林道が山肌を削って北上してきているのが見える。振り返ると大菩薩峠の南の熊沢山の山腹も車道が深くえぐっている。どうも小金沢連嶺の起点である狼平の辺りを覗っているようだ。尾根の向こうの小金沢方面から上がってくる林道と、狼平でつなぐ計画だろうか。あの南ア・スーパー林道のある山梨県のことだから、遠からずそうなってしまうのかもしれない。石丸峠から狼平にかけて広がるカヤトの原くらい心和むのどかな風景は、よそではめったに見られないものなのに。
 1,637mピーク(「エアリアマップ」では1,642m)を東から巻くと林道に出る。送電線の下を通って中日川峠から再び山道に入り、サラサラ乾いた新雪に膝下までのラッセルが続く。一面雪が覆っていても山道は少し凹んでいるのでそれと判るが、そこに動物の足跡が沢山ついていて、まるで獣に先導されているような錯覚さえ覚える。鹿、熊、兎といった動物たちが人間の道を盛んに利用しているのだ。尤も昔は、先にあった獣道を人間の方が使わせてもらって仕事道や登山道を拓いたのだろうが。正面には富士山が見えている。
 1,627mピークも東から巻き終わると前方に鉄の櫓が見えてきた。NTTの中継塔で、ここからしばらくはまた車道を辿ることになる。この日川尾根は人影もなく静かな山歩きを楽しめるが、残念なことにこんな具合に所々で車道が山道を分断していて興が削がれる。小金沢連嶺や牛ノ寝通りがこんな風にならなければいいねと、倅と話をした。
 陽のよく射す車道でも雪は40cm位積もっている。真っ白な雪面に光が反射して眩しい。車道が西に折れた角からは、金峰、国師、甲武信と連なる奥秩父の主脈が間近に眺められた。林道の終点に近い下日川峠から、ようやく山道に戻る。やがて源次郎岳とのジャンクション・ピーク(1,530m)に登り着いた。嵯峨塩鉱泉や源次郎への道を示す標識が立木についている。(2.5万分の1の地形図には、嵯峨塩鉱泉への道は記載されていない)ここで10時から30分間、大休止。上日川峠からここまで無雪期のコースタイムでは2時間45分とあるから、大体1.5倍かかったことになる。周囲の樹木はすっかり落葉しているので、木の間越しながら360度見渡せた。 写真1(128K)
 ここで日川尾根を外れて西の源次郎岳に向かう。これまでとは違い、辺りはブナの大木が目につく天然林となり実に気持が好い(写真1参照)。所々テープやリボンの目印が木の枝に巻かれている。普通はあまり見かけないものだが、この尾根ではルートを外してしまう人がいるそうだから、役に立つことがあるのだろう。源次郎岳(1,477m)には「山梨百名山」の立派な標柱が立っていた。山頂からは標高差240mの下り。急傾斜で雪も深く、1ヶ所岩場を南から巻く所が悪かった。下りきった鞍部の先には源次郎平という標識があり、今日これまで辿ってきた日川尾根の全貌が見渡せた(写真2参照)。
そこからは小ピークを幾つも越えたり巻いたりしながら少しずつ高度を下げてゆく。雪は減り歩きやすくなったが、ルートの選択は微妙になってきた。尾根筋は頻繁に方向を変えていて枝尾根も多く派生しているので、いちいち地形図とコンパスで確認しければならない。これは読図の訓練になるからもっぱら倅に任せた。今はどの山域でも精確な2.5万分の1の地形図があり、本当に助かる。私が現役だった頃(約35年前)には山には5万図しかなく、整備されていないコースでは不便を覚えることも度々あった。そう遠くない将来GPSが山でも使えるようになるだろうが、現在位置を地図で確かめ、進むべき方向を自分で割り出しながら目的地を目指す知的な愉しみは失われてしまうだろう。
 標高1,000m辺りで雪は消えた。13時、恩若ノ峰(983m)に着く。好いペースで来た。針葉樹に囲まれ展望はない。地形図に記載されている下山路は見当たらず、「エアリアマップ」に記されている西に下る踏み跡を辿ることにする。しかしそれもすぐ不明瞭になり、どこもヤブが深くなった。時々塩山の市街が見えるので、それを頼りに下りつづけると標高700m辺りではっきりした道の跡に出た。廃道のようだが葛折れをかまわずどんどん下ってゆく。すると果樹園のなかの舗装道路に飛び出した。地形図で550と記された辺りだ。14時だった。昨日とは打って変わって好天に恵まれ、しかもまったく人に会わない実に静かな山歩きだった。冬なのでヤブも大して気にならず見通しの利く状態だったから、ルートを外すことなく順調に下ることができた。塩山駅までは市街地を半時間ほど。駅からさらに10分歩いて塩山温泉で汗を洗い流しゆっくり湯につかって、充実した山旅を締めくくった。
 大菩薩はやはりいい山だ。この次は石丸峠から長峰を下ってみたいと思う。あの峠のカヤトが轍で荒らされてしまう前に...
 
鈴木順二(S46卒)
 
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