その1 ヒモさんバテるの巻 


「おい、絶対に内緒だぞ」
「ハイ」

それは高2の夏。
飯豊夏合宿から帰宅して風呂に入っていましたところ、OBの太田氏から福原フィルムス山岳映画撮影のバイト案内がありまして。
近藤会長もコラム(00-09)で言われたとおり「タダで山に行けて、小遣銭までも」は超魅力でしたから、はい、翌朝即出発。

場所は南アルプス南部。何とか合流場所の椹島小屋に着いたのが、また翌日の13:00。
小屋の人「ああ、撮影の人達ね。昨日千枚小屋へ上がったよ。」
「・・・・」標高2500mの稜線上、コースタイム6時間以上・・・
小屋の人にパンと水筒代わりのウヰスキー空瓶を恵んでもらって、ままよ、と出発したのが14:00。
何たって荷が軽いし、と快調に飛ばしましたが、さっすが南ア、長い長い・・・
だいぶ薄暗くなったし、あと30分歩いてビバークかな、と一服して(^^;おりますと上の方から聞きなれた人声が・・・
「あっ、ヒモさん!」(佐藤則秋氏 S39卒)
この時ばかりは「鬼のヒモ」氏が天使に見えた?のでありました。

翌日からはヒモさんが荷上げした食糧と小屋泊まり、私の仕事4人分の装備ったって小型キスリング1個の軽装で、千枚岳、荒川三山、赤石岳、と存分に楽しませていただきました。

さて、表記の会話、は最後の赤石岳への登りでした。そう、あの超人(鳥人=剣岳の岩場での姿から私が勝手につけました)ヒモ氏が「おバテ」あそばされまして・・・
「鬼のヒモがバテたってんぢゃ格好つかないからよ」と続きます。
ががこのヒモ氏、ヤハリ只者ではありませんでした。
疲労困憊の赤石岳山頂、座り込んで荒い息。と、落ちていたアメダマを口にポイ。
おおおおお、見る見る回復!で、下りはもうそれこそ飛んで行ってしまいました・・・何者・・・。
はははは、もう四半世紀も前(^^;ですので、イイっすよね。

ついでに
下山して風呂に入ろうとしましたら、福原健司先生
「君、明日朝に出発シーン撮るからヒゲ剃らないでね。」
???と鏡を見ると、3週間以上山に入ってますので確かにヒゲ面・・・
このバイト料で夏休みの最後を中学生八ヶ岳合宿に飛び入り参加し、さあ新学期、で多少騒動になったのは言うまでもありません。(その後オヨベが一時ヒゲ面に。)
いや、最高の夏休みでしたね。良い思い出です。


斉藤(昭和51卒)

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