1956年9月号の雑誌「明星」にAAC部員がまとめて登場しているのだが、誰も憶えていないという話
思いかけず、鈴木順二さん (1971卒) が亡くなられてしまったので、その喪失感がまだ生々しいうちに、僕と鈴木さんとの間のあたりで生煮えのまま「そのうちやるかも箱」に入っていた話を、朽ちる前に箱から出しておこうと思います。
高野信久 (1977卒)
思いかけず、鈴木順二さん (1971卒) が亡くなられてしまったので、その喪失感がまだ生々しいうちに、僕と鈴木さんとの間のあたりで生煮えのまま「そのうちやるかも箱」に入っていた話を、朽ちる前に箱から出しておこうと思います。
高野信久 (1977卒)
話は2020年6月に遡ります。コロナが蔓延している中、僕が国会図書館の資料をオンラインで検索しているときに、どうも、見覚えのある名前がたまたま目に入ったのです。一人なら同姓同名ということがありますが、深沢益夫、三島秀介、高林英之、小林隆志、と並んでいるのですから、これは間違いなくAAC銘柄、しかしよく見ると「山と渓谷」や「岳人」ではなく、集英社の月刊誌「明星」の記事なのです。不思議なこともあるものです。
掲載誌は「明星」1956年9月号。 記事のタイトルは「若いぼくらの座談会 (第7回) 山はぼくらを待っている」 司会者が「マナスル征服の今西寿雄隊員」 座談参加者は「深沢益夫、三島秀介、高林英之、小林隆志、中山泰輔、 松井英勝、秦弘子、山本道子、大山恵子、吉野美陽、渡辺園子、岡田敏子」
雑誌・明星と言えば、僕の年代(1977年卒)の若い頃の記憶では、アイドルを前面に押し出した芸能誌で、よく(多分付録があるから、いや立ち読み禁止のためか?)ヒモで結わえて本屋の店頭に積んであったというイメージですが、調べてみると源流は一応文芸誌であって、週刊と月刊があり、週刊はその後廃刊されたものの、月刊誌の明星は Myojo として今も存続していると wikipedia に書いてあります。
1956年当時の明星が文芸誌か、芸能誌か、という点については、当該記事の上下に並んでいるほかの記事のタイトルで判断するとだいたいの想像はつきます。再び、僕の年代(1977年卒)の若い頃の記憶で似たものを探すと、プレイボーイとか、平凡パンチとか、そういう存在のようですが、このあたりは、皆さんの若い頃の記憶を用いて各自、適宜想像してください。
AACのホームページで1956年のできごとを確かめてみると、1958年卒の三島秀介さんの代、すなわち「若いぼくら」は当時高校二年生。気楽な雑誌で、好き勝手なことを威勢よく吹かせているのでは、と、期待、いえいえ想像が膨らみます。そこで、鈴木さんに手助けをお願いすることにしました。鈴木さんなら大学の先生ですし、国会図書館の資料の扱いに慣れているでしょう。それに、上のOBの皆さんとも接点があるでしょう。
鈴木さんからは、すぐに返事が来ました。「こんな座談会にAAC が参加していたとは初耳です」「AAC と繋がりのあった早大の方ではなく、今西さん(京大OB )が司会というところが意外です」「どういう経緯で参加したのでしょうね。」鈴木さんも興味津々のようです。
ぱっと見てまず気付くのは、顔写真の割り振りが違うということです。受け取った直後のメールで、僕はこんなことを鈴木さんに言っています。「僕が知ってる三島さんの顔に『高林さん』と書いてある。その横の「三島さん」は、どうも小林さんっぽい。高林さんは、「小林さん」と書いてある顔でしょう。」「まぁでも、記事もあんな調子だし、適当に割り振ったんじゃないですかね(笑)」「でもオボスポーツは昔からあるんだな」
そして万事そつのない鈴木さんですから、早速、当時の「若いぼくら」の皆さんと連絡をとってくれました。三島さんのコメントはこうです。
「さて、この件、当時の記憶や資料を出して探してみたが、全く覚えが無いのです。ここに名前がある深沢君にも聴いてみたが、記憶になしと。他の高校山岳部と合同会議のようなので、記憶に残っている筈だが、それがないのです。不思議です。この様な普通にはないイベントなら、山岳部の年報に記録される筈だが、それにもないと思います。しかし、不思議な事があるものですねー。はや、認知症になったかと思いました。」
そしてこちらが小林隆志さんです。
「先日の貴兄よりのメールを拝見し、遥か大昔のことを、断片的にほんの少し思い出しました。それにしても細かいことを見つけ出したものと、感心しております。」
「参加者には、社会人の方もいたのですね。我々の学年が『高3』になっていますが、正しくは『高2』です。申し訳ないことながら、記事の内容を読んでからも具体的なことは何も思い出せませんでした。今西さんがかみ砕いて、いろいろ説明してくだっさたのですね。」
「集合写真の確認ですが、前列,今西さんの左から小林、三島、深沢の順に座っています。高林は後列中央にちょうど今西さんの後ろに立っています。個別写真については貴兄ご指摘の通りです。」
「『明星』という雑誌は確か月刊誌で、内容は中高生を対象にした、芸能ニュース等を主に掲載してかなり人気のある雑誌でした。なぜこのような雑誌から依頼があったのか、いきさつは全く覚えていませんが、学校を通してということはなかったと思います。1956年5月9日に日本山岳会の登山隊が、マナスル初登頂を成し遂げて、日本中が大いに沸いて空前の登山ブームが訪れていた時代でした。この年我々は高校2年生で、やはり刺激を受けて山登りに入れ込んでいました。この登山ブームを当て込んで、数校の高校山岳部の男女部員を集めていろいろ語らせようという狙いであったのだと思います。座談会の内容についてや、マナスル初登頂者の今西壽雄氏が司会者を務められということもまったく覚えていません。言葉は悪いですが、当時冷やかし半分で軽い気持ちで参加したというような感じもあったような気もします。」
あわよくば誰も知らない当時のエピソードの一つ二つ、という思いもあったのですが、と言うわけで残念ながらこれ以上のことはわかりませんでした。鈴木さんも「まったく記憶にないとのこと」「マナスル登頂者に会えたのに!?」とガックリの風でした。いかにも軽い企画だったようですが、そういうことも含めて、AAC が、そして国じゅうが登山ブームで沸き立った時代の、愛すべき出来事のひとつとして、こうして記録に残しておくことにしましょう。
本当のことを言うと、おんぶに抱っこという期待を込めて、鈴木さんに「今回の一連の話を「読み物風の一文として」まとめてくれませんか?とお願いしたのです。しかし趣旨には賛同していただけたものの「短期的・中期的に色々抱えているので無理です」と断られてしまい、やむを得ず「そのうちやるかも箱」に収納されたというのがその後の経緯です。今回こうやって、軽い責任が果たせたようで、気持ちも軽くなりました。
最後に、コメントを下さった三島さん、小林さん、それからよろず骨を折ってくださった鈴木順二さんに感謝申し上げます。