2月の日川尾根につづいて、この5月の連休に、大菩薩の忘れられた尾根をもう一つ歩いた。葛野川源流、小金沢の北に横たわる長峰である。'98年版『エアリアマップ』には、「長峰の稜線は全体的に道不明瞭で荒廃している」と注記があり、'02年版ではもはや登山道としては表記されなくなっている。そこを登って山中で2泊し、小金沢連嶺を経由して下りには小金沢の南の楢ノ木尾根をとり、出発点である猿橋に戻るという計画をたてた。
 4月28日朝、私と妻と倅は猿橋からタクシーで、長峰の起点である深城に向かった。運転手さんの話では、深城の集落は近く完成する深城ダムに水没する運命にあり、すでに無人になっているという。小金沢の出合にかかる小金沢橋で車を降りる(約5,800円)。ここが標高600mで、長峰の末端にあたる。ダム湖ができればこの橋も水没するということだから、長峰をこれまでのように末端から登ることはできなくなる。私たちは長峰を完歩する最後の何人かになるのだろうか。今日は石丸峠を越えて、勝縁荘のある姫ノ湯沢のテント場まで行きたいところだが、道の状態が判らないので途中で露営する事態も考え、水を6l持ってきた。3日分の食糧とテントなど一式持っているので、倅が背負う一番重いザックは25kgを超えた。
 8時40分、橋を渡ったところにあるゲートの裏から尾根に取り付く。初めはジグザグの踏み跡があったが、じきに消えてしまった。しかしヤブはほとんど気にならず、尾根上を快調に登る。天気は曇りで、時々日が射す。939.6mの三角点の手前までは急登がつづく。三角点まで70分かかった。尾根は広くなり、次のピークは北から捲く。相変わらず踏み跡はない。10時半、緩い登りの標高1,000mあたりで、七本木山の神に出た。尾根の上に小さな祠が祀られている。市販お握りの包み紙が落ちていて、4月21日の日付だった。信心深い人がお参りに来たのだろうか。意外なことに、ここから上はしっかりした径が残っている。所々に赤テープも見かける。スミレが咲く径は、次の1,143mピークの相当北側を捲いていた。右手には新緑の木の間越しに、土室川のダムを隔てて牛ノ寝通りの平らな尾根が望まれる。こちらより若干高い。標高1,150m辺りから背の高い笹が出てきて、所々密生している。12時、カネツケの頭(1,268m)を通過。ミツバツツジの淡桃色の花が美しい。野鳥の囀りも盛んに聞こえる。
 やがて笹が径をおおうほどになり、12時20分に白草ノ頭(1,326.3m)を南から捲いて過ぎた。ここが長峰のほぼ中間点だから、今のところ順調なペースだ。この前後4km程は、上下の少ない標高1,300m位の尾根がダラダラ伸びている。長峰と呼ばれる所以だろう。左手の小金沢からはずっと沢音が聞こえている。地形図でも沢までの標高差は300m足らずである。1,256mの標高点の辺りは間伐が入っていて、笹も刈り払われており歩きやすかった。しかし、1,370mピークの手前から背丈を越す密生した笹藪に突入し、ペースがガクンと落ちた。ルートは、このピークを南から捲いている。私たちが辿っている微かな踏み跡は獣道でもあるらしく、鹿の糞がとても多い。時刻はすでに15時をまわり、いよいよ石丸峠への600mの登りにかかる。笹藪は非常に深くなり、頭を低くして、足許の幅15cmほどの踏み跡だけを追って、笹を掻き分けて進む。背中のザックが笹に擦れて重くなる。暑い、汗が噴き出す。2mも離れると笹に没して妻や倅の姿が消えてしまう。笹の中で動いているのが人なのか獣なのかの区別もつかないような状態だ。ひたすら頭から突っ込んで笹を左右に掻き分けて行く。猪にでもなった気分である。帽子が無ければやっていられない。おかげで新品のJACの白いキャップが薄黒く汚れてしまった。妻は、この山行を考えた倅のほうを見て「あーあ、どうして私は、こんなところに来ちゃったのかしら...」と、こぼしている。
 いつまでこんな状態がつづくのかと気になりだした16時過ぎ、標高1,720m辺りで、ようやく笹の丈が低くなり、猪ごっこから解放された。ここまで1.5kmの距離に2時間も費やしてしまった。気がつくと両腕の小手がヒリヒリ痛む。笹で切った傷が無数についていた。暑いので袖を捲り上げていたせいだ。相変わらずの登りだが、小笹なのでずっと歩きやすくなり、生き返った心地がする。ツガなどが見うけられ、標高も大分上がったようだ。17時、ようやく牛ノ寝通りとの合流点、米代に出た。長峰の入口の樹には、赤や黄色のビニールテープが巻きつけてあった。
 石丸峠への道はしっかり笹が刈り払われ実に歩きやすい。17時20分、石丸峠着。日没が近いので姫ノ湯沢へ下るのはとりやめ、峠の北側の枯れた草地に幕営する。日が沈むと気温が急速に下がり、夜は星空と塩山市街の夜景が美しかった。


 翌29日、ゆっくり準備を整え7時石丸峠を後にする。予報通りの好天だ。今朝は冷え込んだのか、道には霜柱が立っていた。右手の日川の谷には発電用のダム湖が見える。まったく無遠慮な人造湖だ。その上、こちらに向かって山肌を削りながら車道が這い上がってきている。これ以上延びてこないことを切に願う。前方にはこれから辿る狼平から小金沢連嶺、そして左に雁ガ腹摺山から楢ノ木尾根へと展望が広がる。狼平の広々とした笹原はいつ来ても気分が好い。どうかこの楽園のような風景が、車の轍で荒らされることがありませんように。

 原生林に入ると小金沢山への登りとなる。足許には白い可憐な花が見うけられる。梅花黄蓮というそうだ。8時、今回の山行の最高点・小金沢山(2,014.3m)の山頂に着く。展望が開け、正面にはまだたっぷりと雪を頂く富士山が望まれ、振り返ると昨日登ってきた長峰がずっと下の方に横たわっている。ここでスケッチなどして1時間余り過ごしていると、大菩薩峠や湯ノ沢峠の小屋を朝発ったハイカーが次々に登ってきた。東のマミエ尾根にははっきりとした踏み跡がついていたが、小金沢本谷を遡行してきた人が使うのだろうか。
 さらに南の牛奥ノ雁ガ腹摺山へ向かう。道は明瞭で、笹もきれいに刈ってある。雁ガ腹摺からは、とても美しい笹原の斜面を下る。麻布の現役時代、クラスメートたちと歩いた時にこの斜面をバックに写真を撮ったことを思い出し、似たようなアングルで倅にシャッターを押してもらった。(2枚の写真を比べてみると、35年の間に斜面の針葉樹と笹が成長し、立っている男は別人になってしまった)10時、眺めのよい川胡桃沢ノ頭で昼食にする。マウンテンバイクに乗った学生のグループが「お騒がせしまーす」と挨拶しながら過ぎていった。

 樹林の中を黒岳へと向かい、頂上の手前から大峠に下る東の尾根に入る。主脈を外れると、とたんに人影が無くなった。12時、400m下った大峠には、「熊出没注意」の看板が立っていた。辺りは明るく切り開かれて立派な休憩所もあり、南の真木から車道がきている。ここまでタクシーでも入れるそうだ。車道はさらに北の小金沢方面に伸びているが、そちらはゲートが閉じられていた。こんなに開発されたら熊も行き場を失って、人間の前に姿を見せることだろう。勝沼の果樹園が荒らされるのもむべなるかな。峠の東にある沢で水を補給する。ここから雁ガ腹摺山へは1ピッチの登りだった。「山梨百名山」、「秀麗富岳12景」にも選ばれているこのピークは、500円札に描かれた富士山の撮影地点として知られているが、その富士は残念ながらもう雲の中に隠れてしまっていた。大峠まで車で来たのか、軽装のパーティーが2組休んでいた。
 大月市が立てたアルミ製の道標に導かれて北の楢ノ木尾根に入る。木陰にはまだ少し雪が残っていた。人には会わないが登山道は整備されている。14時半、大樺ノ頭を通過。深い笹は刈り払われていて問題ない。そろそろ今夜の幕営地を見つけなければと思いながら歩いていたら、1,597mピークの手前で理想的な平坦地に出た。小広い小笹の原で、さっそくテントを張らせてもらう(写真)。夜半には、あまり耳にしたことのない鳥や獣の鳴き声がすぐそばの闇の中からいくつか聞こえた。

 30日午前5時、小雨が降っているが小鳥たちの囀りに励まされて出発。じきに送電線の鉄塔を過ぎる。尾根の南側斜面は昔は豊かな天然林だったのだろうが、今は一帯が立ち枯れて荒涼とした不気味な風景が広がっている。原因はまったく想像がつかない。すぐ下を通っている林道と何か関連があるのだろうか。
 スミレの花がいっぱい咲く道を順調に飛ばしているうちに、雨は上がった。きれいなイワカガミもある。4月にこの花を見るのは、恐らく初めてだろう。今年は山でも季節が早いようだ。6時半、泣き坂の登りにかかる。昔、大樺ノ頭の方で猟をした狩人たちが獲物を担いで里に戻る時、この急坂に泣かされたので泣き坂。登りきった1,420.7mのピークは、地形図では大峰となっているが、地元では泣き坂ノ頭と呼ぶらしい。大峰はその東の1,400mピークで、大月市の指導標もそうなっていた。7時に着いた大峰山頂には、半壊した祠があった。南の水無山に向かって下りにはいる。1,298mピークから先は南側斜面が下の矢竹の集落まですっかり伐採されて丸裸になっている。檜や落葉松といった収益性重視の植林ではなく、山の生き物たちにもっと優しい森を回復してほしいものだ。水無山(1,139m)からは北へ急坂を下る。淡い新緑が目に快い。標高差600mの下りでつま先が痛くなった頃、上和田の集落が見えてきた。花盛りの山里では、早くもウスバシロチョウが気持よさそうに舞っていた。終点のバス停には9時半に到着。これで小金沢の谷を北、西、南から囲む長峰、小金沢連嶺、楢ノ木尾根をめぐる山旅が終わった。
 帰りはバスで猿橋に出て、勝沼のぶどうの丘にある温泉・天空の湯の露天風呂につかり、甲府盆地を見下ろしながらゆっくりと疲れを癒すことができた。

  

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